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家族の絆

 投稿者:さとうひろみ  投稿日:2009年 4月 3日(金)12時09分21秒
編集済
     家族の絆

           さとうひろみ

 市川崑監督の映画「おとうと」を見た。昭和三十五年の作品で、幸田露伴の娘、幸田文の小説を映画化した文芸物である。

家族とのかかわりを避け、逃避するかのごとく黙々と仕事にあけくれる気の弱い父親と、熱心なクリスチャンであるが故に、自分以外の家族がみんな俗人に見えてしまう継母。そんな家庭環境にありながらも健気に助け合って生きていく、姉弟愛が描かれている。
けれど弟は愛情の飢えからか次第にぐれ始め、その生活がたたりやがて結核にかかってしまう。うろたえる父親と姉。そしていつも家族のことを他人事のようにとらえていた継母でさえも。
皮肉なことに家族の再生がかなったのは、弟の病気がきっかけであった。
持病のリューマチで片足を引きずりながらも、息子の病床を見舞った継母は、帰り際涙ながらに姉に話す。
「私は今日、碧郎さんに信仰を勧めに来たんだよ。けれど私よりもっと早くに、イエス様があの子を救ってくださっていた」
なぜか私は、田中絹代のそんな台詞が印象に残っている。
両親対子供達、妻対夫。
結局は家族四人、誰一人として薄情な人間はいなかったのだ。ただちょっとした心の擦れ違いが、冷え冷えとした家族関係を作っていただけなのだ。
家族の絆を考えさせられた・・・というより、私はそれがすでに自分の知っていた物話であるかのような、そんな不思議な懐かしさを覚えずにはいられなかった。
それは多分、子供のころのこんな記憶が起因しているのだと思う。


ざっと四十年近く前、小学生の私は、大阪市内のとある総合病院、脳神経外科病棟に入院していた。
みすぼらしい個人病院だった。コンクリート丸出しの配膳室。強い臭気の漂うトイレ。
今では考えられないことなのだが、深夜になるとそれらの部屋ではゴキブリがうようよしていた。食事の食器には、洗い残しの飯粒がこびりつき、そのまま乾燥して硬くなっていることもあった。
私がいたのは子供六人の大部屋だった。
当時は完全看護の病院側の体制はなく、子供や重病の患者にはその家族の者が付き添いとして、同じ病室に寝泊まりするのが当たり前になっていた。
入院した初めの頃は、私以外の子供はほとんどが水頭症の赤ん坊だった。だからしばらくは、子供の患者は私一人だった。
家族からは母を独占し、大好きな赤ちゃんに囲まれての生活に、私はそれなりの満足感を感じていた。

数週間たって【カオルちゃん】という私と同年配の女の子が、同じ子供部屋に入院してきた。
彼女の病名は私と同じ脳腫瘍。けれど私と大きく違うところは、彼女のは転移する腫瘍、つまり脳の中にできる癌ということである。
発病してからというもの、彼女は入退院を繰り返していた。
今回の入院は彼女にとって四回目だった。だから彼女のほうがずっと私より古株で、
入院慣れ、闘病慣れもしていた。
カオルちゃんは周りの大人から自分の病状について、どのように聞かされていたのだろうか、いつも明るく、悲観的なところはみじんもなかった。
何でもテキパキこなすしっかり者のカオルちゃんが、入院初心者で甘えん坊だった私にはやや苦手な存在といえた。カオルちゃんのほうでも私のことなど、相手にはしていなかったと思う。一対一で向き合って話したことも、遊んだ記憶さえない。
何故だったのだろう? たった一人の同じ年頃の友達だったというのに。
たぶん同じ年齢ということで、周りから比べられてしまうところがあったのかもしれないし、比べられなくても私自身が、心の中で自分と比べていたのかもしれない。
ひょっとしたらあれは、健気に自分の病気と向き合っているカオルちゃんに対する、私自身の秘かなジェラシーであったのかもしれない。

カオルちゃんには病気の彼女を支える極々普通の、三人の家族があった。父親と母親が交代で付き添い、休みの日には五つ違いの兄が見舞いに来ることもあった。
彼女はお父さんっ子で、父親が一緒のときは特に嬉れしそうだったし、父親もよく娘の面倒を見ていた。そして父親が不在の時には周りの大人たちに、よく父親のことなどを言って、自慢していた。

ある日私の付き添いとして同じ病室に寝泊まりしている母に
「お父さんはねぇ。以前、機械に指を挟まれたことがあって、左手の薬指がない」っと、
自慢するときの癖で、小鼻をぴくぴくさせながらカオルちゃんが得意気けに言ったことがある。
「ふーん。じゃあ、カオルちゃんのお父さんは、いっぱい痛い目もしてこられたんだね」
母が合い槌を打つように答えた。
あの時の嬉しそうな彼女の表情を、数十年たった今でも私は覚えている。
さぞや痛かったであろうに、そんな尋常ではない痛さを経験し終えている父親は、子供心に、カオルちゃんにとっては、それだけでやっぱり《お父さんは英雄》に違いなかったのだ。

 その数ヵ月後、彼女の腫瘍はとうとう当時の医学では手の施しようのない所に転移し、家族の看病虚しくカオルちゃんは息を引き取った。
 臨終のその瞬間まで、家族の結束に支えられながら。

 昔の記憶なのでいつ頃、どんな形でその事実を知るようになったのかは覚えていないが、カオルちゃんの父親は娘の発病の直前まで、家族を捨て出奔していたのだそうだ。
家出していた父親を呼び戻し、家族の再生を促したのは、やはり一人娘の不治の病であった。

 逆境に遭遇した時にこそ、家族の絆は真に強くなる。
 市川崑監督の映画『おとうと』は、そんな記憶の中の定説を呼び戻してくれた。
どこか懐かしいストーリー展開の映画であったと満足している。
 
 

花車さんがやってきた

 投稿者:さとう ひろみ  投稿日:2009年 3月26日(木)22時46分1秒
編集済
 




「生きているって、新しい経験の積み重ねだと思うのです。見ず知らずの者同士が気を使
い合って生活を始めても、運が良ければ打ち解けあって、よりよい未来に繋げていけるの
では」

 ルームシェア内覧希望者の娘さんの前で、私はシェアメイト募集の理由を熱っぽく語っ
た。いかにも好奇心旺盛で苦労知らずの私らしい甘い考えだと思う。もし同居する人に裏
切られたら、私は人間不信に陥ってしまうかもしれない。 でもそんな取り越し苦労はし
ない、失敗をして傷ついたのなら、それはその時になってから考えよう。当たるか外れる
かの、人生は賭けのようなものだとも思う。

 するとそれまで黙って私の話に耳傾けていた見ず知らずの娘さんは、瞳を輝かせながら、
「まったくそのとおりですね」と笑んだ。そして
「わたしはシェア生活の経験もあります。今度は佐藤さんのような人と生活することも、
多分いい経験になると思います」
と付け加えた。
つまり私のような障害者と一緒に生活をするのもまた、自分にとってはいい勉強になると
彼女は言っているのだろう。

私は四年前に夫と死に別れてから、ずっと一人暮らしをしている。だから身辺自立はでき
ているつもりだ。そうは言っても何かと肉体的な負担を彼女にはかけてしまうかもしれな
い。そう考えて普通だと思う。けれどそんなことですら彼女の弁によれば、結局はすべて
彼女の人生勉強につながるのだ。いや、そこまで結びつけてはいないのかもしれない。

その好意的な気楽さ、おおらかさが私は気に入った。
この人と一緒になら、気兼ねなく暮らしていけるかもしれない。
今から思えばあれが、私が彼女を同居人に選んだ瞬間だった。



 彼女の名前は<花車みなる>といった。三年前に東北の岩手県から出てきた彼女は、今ア
ルバイトでお金を貯めながら佛教大学の通信教育を受けているという。  地元の短大を
終了しているので通信教育課程は三年、予定通り進めば卒業は来年になるそうだ。
いつも薄い色のスラックスをはいていて、外出の際には白い日除けの山高帽をかぶってい
る。《風の又三郎》を少女にしたような雰囲気の人だと私は思っている。


こうして見ず知らずの二人は、同じ屋根の下、二階と一階にわかれて生活するようになっ
た。

「ひろみさんにお話があります」
ある日、朝食を済ませると、花車さんがいつになくこわばった表情で言った。いくぶん顔
の表情がひきつっている。
『来た来た、来たぁー』私は覚悟をきめて、彼女と向かい合い、話を聞くために食卓のテ
ーブルに腰掛けた。彼女が何を切り出しても、そう簡単には驚かない心構えはできていた。

 彼女との新しい生活は和やかに始まり、和やかに続くはずだった。三日前まで…けれど
数日前からどうも彼女の様子がおかしい。内面に私への不満があるのだろうか、生活への
ストレスをため込んでいるようなのだ。
 トイレ、シャワールーム、台所は共同で、お互いにこの一軒家を使ってそれぞれに生活
しようというのが、初めからの二人の取り決めであった。

 食事は自炊で別々、干渉しすぎず、独立して生活をするのがシェア生活の基本なのだそ
うだ。けれど私は内心、あとは成り行き任せ、共有する時間を持てればありがたいと密か
に考えていた。週に一度は一緒に食事をしたり、二人でテレビを見たり、どうせ同じ一つ
屋根の下で暮らすのならいずれは家族のようになりたい。長屋の暮らしに慣れ親しんでい
た私には《干渉しすぎない》というルールのほうが《気を使う》ことよりずっと至難の技
だった。

 彼女のアルバイト先は常勤ではない。 シフトの都合でお呼びのない日もあるのだそう
だ。学校の都合か引越しの都合でか、しばらく仕事を休んでいた彼女には職場からの呼び
出しが無くなってしまった。
 越してきてから一週間になるが、彼女はまだ一日も働きに行っていない。アルバイトで
あるのだから日雇いであるだろうに…私は彼女の経済状態を心配した。

 若い女の子が生活を切り詰めるとしたら、それはまず食費からだと思う。
彼女は果たして、食事はちゃんととっているのだろうか? 栄養は足りているのだろうか?
独身に戻り、心配ごとの種が減ったところに、道楽で新たな悩みを作っている。なんとも
間の抜けた話である。

けれど新たな悩みがあるからこそ、新しい楽しさ、喜びだって感じられるのだ。
私は母になったような快感を感じていた。いい気になりすぎていたのだ。
「百円セールで秋刀魚が売ってたから、思わず二匹買っちゃた。今晩一緒に食べましょう」
とか、
「スイカ、悪くなる前に、一緒に食べちゃおう」などなど。
初めはそれなりの理由付きで誘っていたのだが、どんどん露骨になっていったのかもしれ
ない。

「ちゃんと栄養取ってる?」
「これ食べて」などなど。
ついに彼女の堪忍袋の緒が切れた。
 東北の田舎から一人で上京し、誰にも頼らず、たった一人で生きてきた彼女にとっては、
私の小さな気使いも負担でしかなかったのだ。

 彼女はお互いが独立した生活者であることを主張した。そして今まで育ってきた環境の
違う者同士は、時間をかけてこそ共に時間を共有するまでになれるのだと言った。
そんなものなのかなあ、とも思う。
確かに私は嬉しさのあまり、焦りすぎていたのかもしれない。馴れ馴れしくし過ぎてしま
ったのかなぁ。

一週間たって彼女のアルバイトも再開し、二人のシェア生活も元に戻った。
《雨降って、地、固まる》
朝と夜だけ顔を合わせる生活が続くようになった。作りすぎたおかずも、何とか今は一人
で処理している。

念願だったシェア生活というのは、さして面白いものでもなく、つまらなくもなく、けれ
どやっぱり二人分の人肌を感じる暖かさいには、どこか懐かしさを感じているところがあ
る。





 

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