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全12件の内、新着の記事から100件ずつ表示します。 1  |  《前のページ |  次のページ》 

影水作菱湖書

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)08時04分47秒
  影水作菱湖書、レッド・ドラゴンである。幹太郎の典型的菱湖(例えば故升田幸三名人所蔵の影水作菱湖書)とは少し味が異なる。その味は素晴らしい方に向いて異なっているのです。幹太郎の弱点である小手先味の少ない菱湖であると感じます。

本作は王将、玉将における迫力のハネまでも漆の表現が滑らかであり小手先味を感じさせない雄大な菱湖であります。これは岐阜県の梁山泊で拝見した超名品で、遠くまで足を運んでもこのようなものに出会えるならその労はいっぺんに癒されるものです。須藤思愼師が本作を長い間眺めておられたのを思い出します。

ところで皆さんは書家「巻菱湖」(まきりょうこ)の千字文(せんじもん)をご存じでしょうか。漢字・習字を学びあるいは教えるためにその書家の千種の文字が書かれた教本で漢文の長詩として構成されているものです。巻菱湖の千字文には小字の楷・行・草・章草・隷書と大字の楷・行・草書と全部で8種類ありますが、駒字として一番お馴染みなのは楷書です。巻菱湖の楷書は歐陽詢(おうようじゅん)、特に皇甫誕碑(こうほたんひ)を基調としています。

千字文自体は巻菱湖の芸術性とは少し離れたものですが、少しだけ根源から駒書体としての巻菱湖を理解し、新しい菱湖書の可能性を探る挑戦をしようとしています。このことはちょうど今ある影水菱湖字母紙に頼らず時を逆行し豊島龍山の時代、大正初期の高浜禎の仕事にまで立ち返り菱湖書の駒字を創造しようとする試しみとなります。

さて話を戻しますが、本作は松尾作菱湖書彫りの本歌駒なのです。本作を深く理解された松尾師が労を惜しまない仕事をされており、今では彫り駒ファン垂涎の駒となっています。これは、デザイナー影水の力を借りたとはいえ、その作の魅力を見抜いた梁山泊とそれを情熱を持って再現した松尾師によって誕生したといえるのです。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

木村作清安書

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)08時00分19秒
  木村文俊は14歳で豊島龍山に弟子入りし、約7年間の修行ののち龍山の元を去ったとされています。その後独立して木村流独自の駒作りが始まるわけです。さて、本作はいわゆる木村形と呼ばれる駒形に施された清安書であります。

本作は木村形の駒のなかでも初期の作品に当たるのではないかとみています。木村にはめずらしく妥協のないキッチリとした盛り上げです。のちに消え失せることとなる駒作りへ意欲をここでは示しており、木村の気骨を感じさせる作となっています。そして取り合わせの妙とでも申しましょうか、木地の荒ぶった杢が木村の思いの丈を波立たせています。

木村形の清安書というのは散見しますが面白いものでその作はじつに多様であり、また、その出来はピンからキリなのです。木村形の清安は本作辺りを負のスタートラインに駒作りへの意欲が薄れると共に段々力が抜けていき最終段階となり、それでも世間からは枯淡の味わいと評されるのです。



意欲は間違いなく薄れていったのでありましょう。一番イケナイのは盛り上げにざらつきが出る頃です。それでもなかには低い盛り上げながらざらつきのないじつに味わい深い正に枯淡というに相応しい作品も残しています。銘駒図鑑にその姿を見ることができます。

皆さんもご存じのように木村は不完全です。だからこそ面白い。それでいいじゃないか。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

木村作初期清安書

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時53分13秒
  今から6~7年前のことです。古美術店でこの駒が駒袋からゴロン・ゴロンと出されたとき、わたしの心はときめいた。木村に違いない。わたしの感性はそう主張しました。と同時に木村ではないと、わたしの理性が動き出しました。結局、真贋以前のこととして、この駒はわたしを魅了しました。その後、これが木村文俊の真作であることを証明するために駒世界の旅へと向かうことになります。

本作は銘を伏せれば駒マニアの10人中10人が木村作と気づくことはないでしょう。その作風だけからは木村作とは想像できないものです。

従ってわたしとしては多くの良作を観てその変化を探り、本作に木村作のルーツを見出しうるのかという判断になります。そして、最終的には木村の絶対美感を捉える必要があるのです。そのために木村作を 20組ほどは観て歩いたでしょうか。

そして検討を重ねたその結果、わたしは本作を正真正銘、木村文俊の作品と断定しました。

ここで改めて本作を観てみましょう。厚みがあり芸術感漂う杢木地の上に個性が爆発したような盛り上げ。こんな凄い代物には滅多にお目にかかれないはずです。実際、本作以後、未だに出会うことはありません。この駒はエミール・ガレ(Charles Martin mile Gall)の作品と共に古美術店に持ち込まれたものです。

そこからの想起でしょうか、わたしにはこの駒のイメージがガレの作品に重なって見えてしまいます。

銘駒図鑑 宮田梅水


 

天一作草書彫り

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時44分23秒
  皆さんも多分そうだと思いますが天一といえば二代天一(佐藤松喜)師の作品にしか興味がないことでしょう。

わたしもそうでした。たまに見る初代天一(佐藤静)師の作はとてもへたくそなものか、うまいけども数ものの作りで魅力がもう一つ、このような駒ばかりでした。初代はダメという烙印を押していたのです。しかし、初代天一の実力や相当なものであったのだとのちに知ることとなります。

そして、写真(左上)の草書の彫り駒。初代天一の作です。限られた時間で多くをこなした作でしょうが、実力が示されています。古駒鑑定士鵜川善郷氏によると、天童にありながら東京駒に対抗しようとするほどの気概があった人物とのこと。しかし当時の天童には受け入れらることはなく埋もれてしまうこととなります。

さて、次の写真(右下)の駒は二代天一(佐藤松喜)作草書彫り駒です。二代天一の彫りとしては今回の作以外では三邨書などを散見しますが、今は駒作りを止めてしまわれたようで、それもあってか二代天一の彫り駒は彫り駒ファン垂涎の品となっております。ヤフーオークションでは30万の値を付けたと聞き及びます。


鵜川善郷氏によると、初代と二代目を比べると実力は初代が断然上とのことです。今回、たまたまこの二組が手元にあり、その彫りを比べてみました。彫りは似てはいません。比べればはっきりとした違いが分かります。そして、わたしの評価ですが、確かに初代が上であると、少なくとも今回の草書彫りにおいては、そのような結論に存じます。

彫りの精密さなどということではなく、その彫りの味わいが初代を格上に感じさせます。初代に比べると二代目の作は厚い漆の不利を差し引いても単調気味です。ひょっとしたら初代は豊島龍山のような実力の可能性を持つ方だったのかもしれません。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

金井静山

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時36分37秒
  金井静山 (本名:金井秋男) 1904年~1991年。歴史に残る名工。

わたしは金井静山の仕事が好きです。ただ残念ながら静山には汚れた作品が数多くあります。その中には気力もなくただこなしてしまったという作品や、贋作集団のターゲットになってしまった故の大量の贋作などが存在します。

ですから、静山作は銘で買ってはいけません。作品を中身で選ぶ必要があります。そしてそのことは可能ですから、皆さんもぜひぜひ静山駒を持ちましょう。一家に一組、静山駒(笑)。ダメな作品の中に埋もれた名品を手に入れることが出来るかもしれません。影水などなら銘だけで値が付いてしまいます。しかし、影水だってピンキリですのにね。

上は皆さんもう見飽きたかもしれない静山作水無瀬書です。わたしは静山作は2組しか持っておりません。もう一組は静山作源兵衛清安書です。こちらもお馴染みでしょうね。でも、もう見飽きたなどとおっしゃらずに皆さんの静山駒選びの参考にしてください。

どちらも中古駒ですが、この二組の中には最高の静山の姿を見ることができます。どこがそうなのかって?それがね、言葉を並べるのはわたしの得意技ですが、そのようなことが野暮に思えてしまうのですね。静山の場合は。

写真の水無瀬書は平田雅峰師が惚れ込んだ水無瀬の本歌駒。須藤思愼師が一ヶ月ほど毎日観て愛しんだという絶品でもあります。自慢話に気持ちが悪い?(笑) わたしを知る方には理解できるでしょうが、どなたの駒であったとしてもわたしのいうことは同じです。

銘を見てみましょう。水無瀬書の銘は全盛期の特徴的な銘ですね。駒尻面一杯に優雅に細字で画かれています。源兵衛清安書の銘は、ちょろちょろさらさらっと力が抜け小さくまとまった銘です。どちらの銘にもわたしはほれ込んでいます。

一豊島 二静山 三影水。静山を知らずして影水を語るべからず。

銘駒図鑑 宮田梅水


 

豊島作水無瀬大納言兼俊卿筆跡

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時20分8秒
  写真は豊島作水無瀬大納言兼俊卿筆跡の盛上駒(前沢碁盤店所蔵)です。古駒鑑定士の鵜川善郷氏によると「豊島太郎吉は自分自身で駒を作ることはありませんでした。」とのことですが、わたしとしては作ったと思いたいのです(笑)。そして最もこれこそそれであろうという駒が今回の写真の駒というわけです。

これがそうであるという歴史的事実を証明する資料というものはわたしにはありません。しかし、その格式、駒尻に書かれた銘や書体、作風、状態などを総合的に鑑みて、ここでは、初代豊島龍山即ち豊島太郎吉の作であると仮定して本作を太郎吉作の「マザーピース(Mother Piece)」と位置づけたいと思います。

ここで、マザーピースというのは今後、太郎吉作の駒を探る推論の出発点となる駒という意味です。「太郎吉(作)のマザーピース」といういい方をします。マザー駒といってもよいでしょう。

仮説でありますからこの出発点が間違いであればその先は当然否定されます。しかし本作は少なくとも数次郎の作とは思えません。内容から見て豊島の職人によると考えるのも不自然です。皆さんはどう思われますか?

このマザーピースが正しいとすれば、銘が今後の参考になります。作風は変化しますので筆跡的要素を持つ銘は重要になります。また、この駒は実見しておりますが、盛上の技量はこの作においては高いとはいえません。しかし、わたしはこの作に異彩を放つ何かを感じます。

このように格式があり異彩を放つ駒を誰が作ったというのでしょうか。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

初期龍山 錦旗

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時17分52秒
  やきものの世界には「一井戸 二楽 三唐津」(いちいど、にらく、さんからつ)という言葉があります。初めは分からない井戸の美しさが最後にはやはり井戸が最高ということになる。

わたしはこれに習い「一豊島 二静山三影水」という言葉を作りました。最初は分からない豊島の素晴らしさに、最後にはやはり豊島こそが最高となる。今回は、その最高峰、豊島数次郎の十代の作品と思われる「初期龍山」の錦旗を取り上げます。この初期龍山という名称もわたしが使い始めたものです。

さて、この初期龍山の錦旗ですが何気ないですよね。須藤思愼師にもお見せしなかったのではないか?つまり、観ても参考にならないと思ったのでした。これは思愼師に限ることではありません。駒作りの方は参考になるとは思われないでしょう。そういう意味でのベストは前々回の話題に取り上げた静山作水無瀬書なのです。初期龍山錦旗、この駒へは実際興味を持たれませんでした。

思い出したのですが、わたしはコラムに「このような駒こそマニアが注目すべき駒、理解すべき駒、駒師の方が所蔵し感性を養うべき駒なのではないでしょうか。」と書いていたのでした。よくぞこんなことを書くものです(笑)。ピュアだったのでしょう。今はいろいろ考慮しすぎなのかもしれません。ピュアに戻らねば。

二人といない最高の名工が十代の青白い顔で作った、この小さくて汚れた駒は永い時を越えて現代まで生き延びてきたのです。豊島数次郎の全盛期には、既にご紹介したように、力強く自信に満ちた誰からの批判も受け付け得ないほどの作品を作りました。そして十代の頃にはこのような控えめで知的で繊細な駒を作りました。雰囲気ありますね。才能の片鱗が十分感じられます。

この駒は宮田梅水家の家宝であります。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

影水作金龍書彫り

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時14分21秒
  この駒を観てどう思われるでしょう。写真が小さい?そうですね。銘駒図鑑の方には大きな写真を載せたいと思います。今のところは想像力を働かせてください。この影水工房で慌ただしく作られた実戦用の彫り駒。影水本人はこのような形で鑑賞されることを想像できなかったことでしょう。道場のために彫ったのさ、並べて鑑賞するなど野暮なことは止めとくれ、何て影水の声が聞こえてきそうです。

この駒は業界の重鎮の方々はあまり気にもとめない駒です。しかし、わたしにとっては最も気にとめる駒の一つです。影水は彫りが下手だとハッキリおっしゃる方もいらっしゃいます。わたしもそれに対しそれほど異論があるわけではありません。

しかしですね、上手い下手だけの技術論ばかりでは駒というものはせいぜい工芸品止まりです。この駒を観て何も感じないのでしょうか。奥野の彫り駒には何かを感じるのにこの影水の彫り駒には何も感じませんか。

わたしはこの駒こそ幹太郎の絶対美感が知らず知らずのうちに込められているものと感じます。実は、須藤思愼師がわたしの駒の中からベストを2組選ばれました。その2組はわたしのベストと同じでした。1位が静山作水無瀬書で、2位が影水作金龍書彫り、つまり本作です。わたしと同じ見解の方には初めてお会いしました。

一体これが何者なのかということが駒におけるわたしの一番のテーマです。こればかりは如何に上手に字母紙を拵え、如何に精密な彫りと盛上を施そうが再現など出来ない存在です。だからこそわたしにとってはロマンの世界なのです。

念のために申しますが、最高の技量を見せつけられぎゃふんと言わせて頂くのもわたしの好みであります。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

宮松作淇洲書

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時12分3秒
  わたしはこの駒を「レッド・ドラゴン(Red Dragon)」と名付けました。素晴らしい木地に素晴らしい漆、使い込むことによって赤みがかった飴色になり、指す者の手によって盤の上を舞う姿がレッド・ドラゴンをイメージさせます。レッド・ドラゴンの赤く光る眼の中には芸術性が映し出されます。大袈裟でしょうか(笑)

本作は故板谷進九段愛用の駒です。板谷九段は飛車が好きで、この駒も飛車の裏が特にすり減っています。ところで、わたしは名古屋に住んでいたことがあり、その時代は板谷進道場に通っていた時期があります。

道場には板谷四郎九段がいつもおられ、よくおならをされる先生でした。わたしは初段くらいで指しましたが四郎九段に二枚落ちを教わった記憶があります。その当時、板谷進九段は現役のA級だったのではないでしょうか。普通の三・四段の方と平手で指しておられ、進九段のツノ銀中飛車でした。また、現在の杉本昌隆七段もよく見かけましたが、当時は可愛い顔の小学生でした。矢倉をよく指していました。わたしは額面通り初段程度の棋力でしたが板谷門下の奨励会1級くらいの少年と指し、なぜか勝ったことがありました。板谷一門に対してはこのような思い出があるわたしです。

話が脱線しましたが、この駒は岐阜で手にすることが出来ました。手に取った瞬間、ヒンヤリとして重量感がありゾクッとしたことを今でもハッキリ覚えています。そして迫力がありましたねぇ。何かが宿っているという印象さえ受ける神がかった駒でした。また、わたしとしては影水駒で初めて見た深く特徴のある面取りでした。それ以後もこのような面取りには出会っていません。

盛り上げについてもこれ以上はないと思えるほどの完成度です。影水流のイリやハネ、漆の高低によるにくいほどの演出。そしてその書体にも納得させられます。これほどの駒を手にするとデザイナーとしての華麗な一面だけではない影水の底力を感じずにはいられません。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

豊島作清定書

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時04分56秒
  初代 豊島龍山は本名を太郎吉(たろきち)、二代目は数次郎(かずじろう、36歳で病死)といいます。この二代目が天才なのです。43歳という若さで夭逝した宮松影水を凌ぐ若さで亡くなりました。 そしてその駒作りにおいても影水を凌ぐ天才でした。

数次郎は15~6歳から36歳までの間の約20年ほどに渡り駒作りをしたと思われます。最初のころは繊細で知的な印象の駒を作りました。わたしはそれらの駒を「初期龍山」と呼んでいます。そして全盛期にはこの清定のような力強く自信に満ちた駒を作るようになったのです。

このような駒を観て皆さんはどう思われるのでしょう。技量も抜群、漆の迫力も満点。わたしもその技と迫力に魅了されました。しかしわたしが最も注目したのはそのような点ではありません。この作品の絵としての美しさなのです。数次郎には「絶対美感」が備わっていたのでしょう。初期龍山を観ても控えめながらその事実が伺えるのです。

そしてこの清定にはオリジナリティ(Originality)があります。わたしが考えるところの芸術の定義(正確には部分集合)は「独創的哲学表現」というものです。優れた芸術には哲学があり、独創性(つまりオリジナリティ)が求められます。つまり、この清定は芸術性を内包します。

ところで、初代龍山の作品は技量の上でも表現力の上でも数次郎に劣ります。しかし企画者としての天才であり、奥野一香を凌ぐ素晴らしいプロデューサーであったわけです。

また、龍山作には複数の職人が携わったようであり、現在でも金井静山による龍山銘の作品が散見されます。静山は龍山亡き後も龍山が残した駒木地を使って豊島家の生活のためにも、ある期間に渡り龍山銘の作品を作ったと思われます。

さて、作品に戻りますが、この作品は字母紙のチカラなど借りてはいません。もちろん字母紙は使ったのでしょうがそのようなことをいっているのではありません。字母紙に正確・精密に沿って盛り上げてはいないのです。それなのにこの美しさ。それは数次郎の持つ絶対美感と天才的技量によって成し遂げられているのです。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

奥野作菱湖書

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月18日(木)07時00分59秒
  今回も前回の奥野錦旗に続き奥野作です。最初ですからね、今回は日を跨がずの更新です。それでは奥野作菱湖書を観てみましょう。

奥野作はとにかく数が少ない。名品が一組手元にあれば奥野コレクターと名乗ってよいというくらいです。

奥野の駒の特徴の一つはその広く深い面取りにあります。これを見て安易に真似て作る方もいらっしゃいますが、これがなかなか難しいのです。技術的に難しいというよりは、その面取りの美しい構成を真似るのが難しいのです。その美しさを理解した上でないと再現できません。この深い面取りは、たとえ手間がかかっても競争相手の龍山に勝つがための奥野一香商店の戦略であったのでしょう。

しかし片や一方、駒尻には漆を載せたハンコで押された奥野作の銘。銘については手抜きなんですね。使い込まれた奥野の駒は銘がとんでいる場合が多いのにも頷けます。

さて、わたしは今回の作品については実見していますが、写真で観ても分かりますように奥野以外ではみることのないほどの太字で画かれた勇壮な菱湖です。菱湖の表現については実に多種多様ですが、この菱湖は素晴らしい。

大味な雰囲気でありながら、これほど美意識を満たしてくれる菱湖もめずらしい。全盛期の静山の菱湖も同様の美を感じさせてくれます。その共通性がお分かりになるでしょうか。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

奥野作錦旗

 投稿者:_  投稿日:2010年 2月17日(水)23時26分26秒
  皆さんは銘駒図鑑に大量の駒写真が眠っているのをご存じだろうか。梅水ブログではそれらの駒に光を当てて改めて鑑賞したいと思います。音楽CDやDVDは一度鑑賞したらあとはポイすてってことはないでしょう。駒の場合も特に名品の写真は何度でも楽しむことが出来ます。

なお、ブログで載せる写真はすべて400x300ピクセルの予定です。拡大は出来ません。小さいとお嘆きの方は銘駒図鑑に飛んで行き大きな写真で確かめてください。なお、ここに掲載するのは銘駒図鑑の二番煎じばかりではありません。銘駒図鑑に載せる前のプレビュー(Preview)の役割もあります。

今回の駒は奥野作錦旗です。銘駒図鑑に「御蔵名駒ギャラリー」として掲載させていただいています。銘駒図鑑掲載駒としてここで取り上げます。

さて、ようやく本題です。奥野作錦旗(以下、奥野錦旗)は豊島龍山と同時代に活躍した奥野一香の作品です。一香は東京で「奥野一香商店」として店を構え、親子二代で駒作りを行っていました。初代藤五郎、二代幸次郎ですが二代の腕がよかったとのことです。その他、腕のよい職人を使っていたとされていますが、特に松尾某が知られています。正確な根拠もなくわたしの想像ですが、この写真の作、奥野錦旗も松尾某の作品であろうと思われます。

本作は奥野錦旗の最高傑作の一つだと思います。ざっくり彫られた彫りあとが味わい深く、全体として実に絵になっています。彫りの腕がよいというのとはまた別の見方が必要です。この駒は真似ようとしても真似ることは出来ません。なぜなら松尾某という名人の「絶対美感」に依るところが全てといえる作品だからです。

実はわたし、本作を実見しておりません。しかし、本作に勝るとも劣らないような奥野錦旗(彫り)を手に取った経験があり、そのことから本作の素晴らしさが確信できます。本作は、奥野一香という稀代の名プロデューサーと松尾某という天才的名工によって世に出された作品とみてよいでしょう。

銘駒図鑑 宮田梅水
 

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