五行歌・池上サロン 歌会レポート
レポート担当:旅人
八月紙上歌会
八月こそ通常歌会を! と広い会場を予約して歌も纏めて八月三日(月)の歌会を待つばかりとなった。忘れもしない八月一日。「二日続けて東京の感染者数は四百人を越えました」とニュースが流れた。「出席します」の明るい声に救われたが迷い続けた。そして、紙上歌会に変更をした。新型コロナは夏の暑さと湿度に弱いと巷の噂があったが、猛暑でも収まる気配はない。
今回はコロナ禍の歌会のあり方を考える良いきっかけになった。十月からは、少人数を生かして広い会場でフェイスシールドを配布して通常歌会を開くことにしました。
紙上歌会はコメントを書く楽しみ、じっくり読む楽しみもあるけれど、やはり言葉の応酬のあるリアル歌会に勝るものはないと思う。
胸底の小部屋に 平井千尋(一席)
ピースの
欠けた
絵を飾って
生きている
一片の欠片は、全てのピースに拮抗する力がある、胸の奥の絵には何が飾られているのか等々。作者は失ったピースはもう戻らないと涙するときがあると語っていました。
思い人が待つ 玉井チヨ子(一席)
都へと
古人*も歩いたか *いにしえびと
夕暮れの
きぬかけの路
格調ある抒情的な作品、「古人・きぬかけ」に惹かれた等々。作者は一人旅で日暮れの心細さを古人に重ねたそうです。
誰を生かすのか コバライチ*キコ(二席)
決めるのは神か
医者なのか
わたし 生きられそう
なんて 思う夕暮れ
パンデミックにこそ問われる命の選択、作者の生への力を感じた等々。正常性バイアスの高い作者は、コロナ禍の中、命の選択は誰が? でも生きられそうと。
ゆっくりとまばたきしたら 紫かたばみ(二席)
消えていそう
セミの声だけする
真昼の公園で
一人遊ぶ子
真夏、真昼の公園、異界の扉が開いたかのよう、キリコの絵の様なシュールな映像等々。作者は、真夏の静かすぎる公園で、黙々と一人遊ぶ孫といたら異空間の感覚になったそうです。
レポート担当:守野純子
七月六日(月)
三ヶ月ぶりの歌会、紫かたばみさんの司会で開始されました。コロナ自粛生活の近況から、三密と外出をさけて、家でコロナ太りされた方が多かったです。
心って 髙馬和子(一席)
なに
そうだ
喜怒哀楽の
収納袋
心ってなに? 永遠のなぞ、脳にあるのか? 心と意志、精神的に良い分析、収納袋の表現が自由自在で納得する。
梅雨空に 旅 人(一席)
水玉 ストライプ 江戸小紋
人混みを縫うように
カラフルマスクが
街を行く
シェルブールの雨傘を思い出した。今コロナの現状をサッと美しく切り取って歌にされている。江戸小紋が入って落ち着いた。
もの思うことに 紫かたばみ(二席)
ストッパーかけて
生きてきた
わたしの歌の
まぁ 平凡
いろんな思いをつきつめて生きると、生きにくいのでストーッパーをかけている。
良い人生が行間に全部入っている。平凡でなく、非凡な良いお歌がいっぱいある。
ミュッセやショパンには 雅蘭洞(三席)
聖女と讃えられ
ボードレールには
淫売と罵しられ
評価の別れ道とは
人名を出すことで、具体的にイメージできる。自分の思いをキッチリ言わないで、読手のイメージにおまかせする。別れ道の表現が良い。人間の評価はいろいろである。
月刊誌六月号から好きな歌各自三首等を皆で鑑賞した。
レポート担当:旅人
六月一日(月)紙上歌会
中国では青空が見えて、ベネチアの水が澄んできたとニュースが伝えていました。
コロナ禍で籠る暮らしになってしまいましたが、大作を読む機会と捉えると気持ちが楽になります。紙上歌会も三回目、皆さんのコメント力も増して読み応えのある歌会となりました。参加作品は十六首。コメント数の多い作品を紹介します。
「自分を貫け」 観 月(一席)
の言葉を胸に
私は
私の
薔薇を描*く *えが
「薔薇」が良い、刺も太くなるのでは、強い思いが伝わってくる、自分だけにしか描けない薔薇は人生そのもの等々好評でした。作者は、岡本太郎氏の言葉を拝借し、他者に左右されない思いを大事にしたいと。
流れは 明槻陽子(二席)
緩やかに大胆に
変わってゆくのだ。
連続していると
見えづらいが
水の流れを普遍的な真実にとらえている、川のようでも政治情勢のようでもあり比喩となって重層性がある、俯瞰的な眼差し等のコメントが多数。作者は、歴史を振り返った時、分岐点はあそこだったと気づく、淡々と毎日は過ぎているのですがと記していました。
なぜ、あなたに旅ができ 平井千尋(二席)
私が物乞いをしなければならないのか
昔、アフリカで出会った
少年の大きな瞳に
問われ続けている
世界の格差と現実を問われ続けている、答えられる自分になるために何ができるのか、自分の日常は不均衡の上にあって、奪う側にいると実感するなどの評でした。作者は「後進国」と呼ばれる国の少年の真っすぐな瞳が忘れることができないとコメントしていました。
紙面の都合で三席は歌のみ紹介します。
今日/五十七歳になる/僕は/「新人類」/だった 憂 慧(三席)
レポート担当:旅人
五月四日(月)紙上歌会
街は緑で溢れているのに、マスクが日常となってしまい花の香を聞くこともできません。今月も紙上歌会となりました。参加者は十二名です。
下心は 紫かたばみ(一席)
闇に溶かし
美しさだけ
ライトアップして
夜の薔薇の色香
薔薇が咲き誇る季節にぴったりの歌、「下心は/闇に溶かし」の表現が見事で妖しい雰囲気を醸し出していると好評でした。作者は、大船フラワーセンターの夜のバラ展で見たバラが、昼と違った美しさだったので感激して詠んだと記していました。
ひたすらな思いは 旅 人(二席)
受け取らなくては
いけません
正か悪かは
どうでもよいこと
歌に同感、引き受けるのは人間の器量、ありきたりでない価値観に惹かれた、思いを受け取るなら危険も覚悟しなければいけない等々。作者は、人は思うように生きられない。せめて、思いだけは受け止めるようにしたいと歌にしました。
コロナウイルスで 雅蘭洞(三席)
株価暴落倒産失業
ベニスの水は澄み
北京に青空が戻り
地球に清浄が蘇る
コロナ禍の一面をつく歌、各行八字に収め二行目は漢字のみで技あり、人の動きが止まって戻る自然は皮肉。作者は、利己的資本主義経済学は終焉して利他的経済学の時代が来たと記していました。
ひとのこころ コバライチ*キコ(三席)
花は知らずや
突き上げる春の息吹
そのままに 咲く
咲く 咲く
「知らずや」文語的表現が良い、咲くを三回重ねたのが印象に残る。作者は、花は愛でられている意識もなく、春が来れば花開く、その本能の不思議と記していました。
レポート担当:旅人
四月六日(月)紙上歌会
新型コロナウイルスによって会場が使用できなくなり、紙上作品展覧会に変更しました。歌の後に作者のコメントを載せました。
捨てても 捨てても/捨てきれない/身体という器/此処より彼方へ/憧れでようとする霊* *アニマ
一 歳
作者コメント…私の霊*は時々彼方へ憧れでようとして漂いだしそうになります。
他人は人生の/点景人物に過ぎない/自分も又/他人の人生の/点景人物に過ぎない 雅蘭洞
作者コメント…自己と他者の絶対的な枠のもどかしさを詠みました。
自主規制にて/閑中忙有と/断捨離を決断/アルバム整理で/早や頓挫する 髙馬和子
作者コメント…自分は「思い付き人間・尻つぼみ人間」と思い知りました。
尾根走る/風よ/幾たびか/山を廻り/痩せてゆくか コバライチ*キコ
作者コメント…尾根を吹く風の行方を追ってみました。
桜隠しの/今日の日に/語ることなく/男*は/旅立つ *ひと 旅 人
作者コメント…桜に突然の雪が降った日に「東京を出ます」と言われた時の情景。
おたまじゃくし/鶯の声/二人で歩く六郷用水/それぞれが/原風景の中 玉井チヨ子
作者コメント…夫婦で同じ風景を見ているが、幼き頃の思い出は別々。
私が桜*なら/梶井基次郎**に教えるわ/「生餌に勝る/養分は/ないのよ」って *カノジョ **カレ
観 月
作者コメント…熟成肉よりレアが食べたい気分だったので。
神が/老人問題に悩む/人類に与えた恩寵か/新型コロナウイルス/《プラン75》を実行する
紫かたばみ
作者コメント…映画〈プラン75〉とコロナで先の見えない今の状況を重ねました。
朝の公園/桃の花に/メジロがいっぱい/蜜がおいしいよ と/可愛くさえずる 守野純子
作者コメント…毎朝散歩する公園のメジロが可愛いので。
老いて/頬の垂れた/母/身長が/七センチ縮んだと 憂 慧
作者コメント…たまには親の歌も。
レポート担当:旅人
三月二日(月)
新生*コロナウイルスが世界中に広まり始めて、不穏な空気に休会する歌会も多くなりました。早い収束を願っています。
肌寒い雨降りの中を、漂彦龍さん、憂慧さんをお迎えして七名で歌会が始まりました。司会は守野さんでした。
(*注:「新生」は「新型」の誤入力でしょう、「新型」と読みかえてください。)
人生で 憂 慧(一席)
読み解くのは
花火のシンメトリー
ではなく
ロールシャッハの花びら
「ではなく」に引き付けられた。「ロールシャッハ」の言葉に、皆さんの考えが分かれ盛り上がりました。作者は、読み解いていく例えに、花火の単純なシンメトリーと、ロールシャッハの無秩序で複雑な形を表現したと語っていました。
牢屋の窄*の *さこ 一 歳(二席)
碑*に *いしぶみ
金文字で
刻まれた
隠れの島の記憶
隠れキリシタンのことなのか、金文字は心象風景なのかと話し合いました。作者は五島列島の旅で、隠れキリシタンの金で書かれた石碑を見て思いを詠んだそうです。
待ちわびて待ちわびて 秋山信子(二席)
やっと来るバス
今日はまた何故行き過ぎる
いいもーん、
これから私歩くと決めた
一行目の繰り返しのリズムが心地よい、四行目の読点が効いていると好評でした。作者は待っている時は来ないバスを、待つのは止めた生き方に例えて詠んだと語っていました。
高架下で 漂 彦龍(二席)
ゴミ袋の中の
縫いぐるみと
眼が合う
朝帰りの朝
高架下は投げ捨てる場所の例えなのだろうか、哀愁と悲哀を感じたと言ってました。作者は捨てられた縫いぐるみと目が合った時の気持ちを詠んだそうです。
三席は紙面の都合で歌のみ書きます。
その/一言が/聞きたくて/ビデオを観る/「モランディは完璧だ」 旅 人(三席)
レポート担当:雅蘭洞
二月三日(月)
暖冬の今年の冬も、立春の前の節分の今日は漸く冬らしい冷たい風が吹き、会の面々は厳冬の装いで池上サロンの定席である珈琲店の二階に集合した。
此処はモンマルトルのカフェの屋根裏部屋の様な雰囲気があり、歌の会にはお誂え向きの場所である。初参加の秋山信子さんをお迎えして歌会が始った。司会は玉井チヨ子さん。
寄り添ったのも本 旅 人(一席)
再生したのも本
右手の紙の手触りが
生きよ
と言い続けた
本と人との強い絆を詠み込んだ歌で、作者の強い想いが伝わって来る。本が作者の生きる糧に成って居る。作者の並々ならぬ本に対する愛情が感じられる等の評があった。
作者は母上を看病して居る時に、本との絆を強く意識した由。話したくても友人はそこには居ない。本は身近で励まして呉れるとの事。
世界の 紫かたばみ(二席)
蝶番がはずれた
不寛容と憎しみの
幼虫がうごめき
変態をはじめる
蝶番が外れると云う表現が素晴らしい。日本は紛争が無いだけ未だましだが、世界中至る所にに憎しみと争いが溢れて居る等の評があった。
作者は最近の世界情勢の自分勝手な民族主義と自己主張を憂えて此の歌を詠まれた。
見えない「点」 雅蘭洞(三席)
拡がって「空間」
感じない「今」
連なって「時間」
其がこの「宇宙」
点から宇宙への壮大な展開が面白い。特別な事を云って居る訳では無い。点とは何? 今とは何? と云う事を云って居るだけだが、構成が上手い。一番上の字を漢字で揃えて居る。詠み方が新鮮、等の寸評があった。
作者は我々は三次元の存在なので三次元の事物しか感知出来ないが、其を構成して居る零次元に不思議を感じたとの事であった。
歌会の後で、本誌一月号巻頭歌から、三首を選んで寸評し合った。
レポート担当:一歳
一月六日(月)
年初の池上サロン、司会は紫かたばみさん。
流れ星は 天界の落ちこぼれ
我は 地上の落ちこぼれ
悩み悩んだ青い時
今は ただ懐かしい
グレー時 髙馬和子(一席)
天界の落ちこぼれ、地上の落ちこぼれと並べて「我」を「流れ星」に重ね、己が生を宇宙的視座で振り返ってみれば、地上の生はほんの一瞬、須臾の間に過ぎ去ってゆく。人生のグレー時となった今は、悩みに悩んだあの青かった時がただ懐かしく思われる。作者は中学生の時に既に「流れ星は天界の落伍者」と詠まれていたというが、今は「グレー時」という時の色を発見した。
幼子よ お前に 旅 人(二席)
零れるばかりの愛をあげよう
先逝く者は
見届けることが
できないのだから
先に逝く私はこれから先お前が歩むであろう道を見届けることはできない。だからこそ、幼子よ、今、いのちの塊のようなお前に、今私がもっているものすべてをあげたい、とりわけ愛を、お前の溢れるばかりのいのちに染まった私から雨霰と零れるばかりの愛を、今のうちにできるかぎり、お前にそそぎたいのだ。お孫さんに愛をそそごうとする気持ちは祈りのようである。
今までは 雅蘭洞(三席)
無常迅速
これからは
日日是好日
ゆっくり行こう
お正月が来るといつも感じること??この一年あっと言う間に過ぎ去ってしまった。ついこの間生まれてきたばかりなのに。死ぬ時も多分、ついこの間生まれてきたのになぁと思って死んでいくのだろうか。「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」時は人を待ってくれない、光陰惜しむべし。『碧巌録』第六則で知られる「日日是好日」を「無常迅速」と番わせて、今までとこれからの生き方の導を禅語で簡潔に表現し了せた、見事な作。
休憩をはさんで、旅人さんの歌集『真珠層』より三首選で鑑賞、短評を交換した。
レポート担当:旅人
十二月二日(月)
豪雨の中、足元を濡らしながら珈琲の香りに満ちた「豆豆」に八名が集まりました。令和元年*最後の歌会、一時からサンドイッチランチで始まりました。司会は雅蘭洞さん。(*元年を補足)
決壊なくとも 紫かたばみ(一席)
洪水となる
出口を塞がれた
思いは逆流し
今、マンホールの蓋吹き上げる
豪雨が多い最近は、マンホールから水が吹き上がる光景を見るようになった。その様子を心の思いと重ねて巧みに詠んだ見事な作品でした。作者は、台風の映像でマンホールの蓋が持ち上がり水が噴き出す様子を見て、例え決定的なことがなくても、思いが重なっていけば同じようになると思い詠んだと語っていました。
年の瀬の慌ただしさ 雅蘭洞(二席)
正月ののどけさも
今は昔
情緒の文化が消え行き
効率の文明が蔓延る
今は毎日がハレとなってしまっている。この歌をきっかけに、伝統としての文化と、科学の発明で便利になった文明の対比について皆で話し合った。作者は、家族が揃って正月を迎えて羽根つき凧揚げを楽しんだのが、効率が優先となってしまった今の世を詠んだと語っていました。
心を鎮めたいときは 旅 人(二席)
カッチーニのアヴェ・マリア
部屋中に響かせて
Repeat
奥底の思いを聴き続ける
Repeatが効果的で丁寧に心情が綴られて音楽が全身に響いてきた。作者は、アヴェ・マリアのCDを友人から贈られ、その中でも、カッチーニに魅せられ、ほっとしたい時は浴びるように聴いているとのことです。
鷹の井が/浄らの水淼淼と/湛えることあらば/戀う/その源の水
一 歳(三席)
AIさん/あなたは緻密で完璧/でも/人々の琴線に触れる/五行歌を詠めますか
髙馬和子(三席)
珈琲を飲みながら本誌十一月号から三首を選んで話し合いましたが、髙橋美代子さんの作品が好評でした。
レポート担当:守野純子
十一月四日(月)
さわやかな秋日和り、お客様に田川宏朗さんと、元気になられた一歳さんが久しぶりに出席されての歌会です。
司会は一歳さんです。
老いの日常は 紫かたばみ(一席)
鈍行列車なのに
終着駅が近づくにつれ
超特急並みに
風景が過ぎ去ってゆく不思議
老いの日常は五才は1/5、八十六才は1/86と、年とるほど心理的に短かい。老いの感情を鈍行と超特急の比喩が納得させてくれる歌。不思議と中性的な結びがきいている。
二席が四首となり、/で段落します。
式場を和ませる/クラリネットの調べ/亡母さんが/好きだった/モーツァルトだよ
田川宏朗(二席)
母を思っている気持が胸にグッと来る。
モーツァルトがピッタリはまっている。私だったら、何の曲だろうと考えてしまった。
近い未来/人工頭脳が/自意識を持った時/魂・生死・実存の/概念が大きく変わる
雅蘭洞(二席)
人工頭脳が自意識を持ったら、魂・生死の概念が大きく変わると言い切りが素晴しい。人間て何だろう、人間の存在てなんだろう、変わるんだろうな、そうだなあと共感した。
目覚めたあとも/妙に気になる/夢の中/忘れてきたのは/バックだけなのに
玉井チヨ子(二席)
目覚めた後も気分が残る、共感でき身につまされた。夢の中には意識下の物の体験、バックの中に何が入っていたのかな。
鰯が/鯖が/抜けるような空を/泳いでいる/下界の不漁を見下ろしながら
旅 人(二席)
魚の不漁、今年の歌だなあ。空は境界線がないからいいんだよ。下界は大変ですね。上から下を見る五行目が良いと思う。
幻身/釘打たるるとき/現身に聴く/槌音ー肉の顫え/Paternoster
一 歳(三席)
レポート担当:紫かたばみ
十月七日(月)
十月になり朝晩は涼しくなりましたが、昼間は夏の日差しです。でも街角にはコスモスが揺れ秋の気配。今日は池上会館で、守野さんが初司会です。
知りたいことは 旅 人(一席)
たった一つ
何を思い
何を大切に
生きてきたのか
重い、深い歌。直球で問いかけるのは、自分の内面のことと解釈した人と、好きな人の思いと解釈された人に分かれました。作者は再婚を考えていた時、反対されたり職業で選んだと言われたが、何を大切に思うのか? という価値観が一緒で話して面白い人なら、身分や年齢や外面は関係ありません! と。
ひかれるのに 紫かたばみ(二席)
ストンと
腑に落ちない歌
食べ過ぎた次の日の
胃もたれに似て
腑に落ちる歌。感覚として良くわかる。良い歌なのに、頭では良い歌と思っても何か違和感があったり、心にすっと入ってこない感覚が良く表現されている。飲み過ぎの苦しさではなく、食べ過ぎの何となく収まりの悪い感じがぴったり。
入り日に映える風物は 雅蘭洞(三席)
もの寂しいが美しい
キリコの絵のような
いつか見たような
消え入る美しさ
何と言ってもキリコの絵が効いています。シーンとした美しさ、初秋のさみしさや、なつかしさが伝わります。キリコの絵を知らない人でも、ことばの響きで雰囲気は伝わります。作者は西日の当たる風景の美しさを表すには、キリコの絵しかないと。漢詩を引用されてたりして反景(西日)の美しさを語られました。
後半は五行歌誌九月号より、三首選んでじっくり話し合いました。今回は五人と、少人数でしたが、その分ゆったりとじっくりと話し合いができて良かったです。
レポート担当:玉井チヨ子
九月二日(月)
水と一緒に産直ぶどうの差し入れ、皮もむいてあり店主のはからいにほっと一息ついての歌会のスタートです。
今月は出席者五名と少ない人数でしたが、それぞれの方のコメントが、とても有意義で楽しく時間も足りないくらいでした。
司会は旅人さん。
もうすぐ 玉井チヨ子(一席)
始まる
マンション建設
青々とした
夏草の終着点
経済発展と共に自然を壊すマンション建設。昔はどこにでもあった野原もなくなった。一抹のさみしさと消えてゆく夏草の哀歌。
光に影はない 雅蘭洞(二席)
遮るものが
影をつくる
不幸を知って
幸せを知る
幸せと不幸を光と影と言葉の使い方がさりげなく心をつかむ。一行目の光に影はないになるほどと、前三行がとてもかっこいいのに、四、五行が平凡すぎるのではのコメントに「自分を幸せだと知らない人間は不幸」とドストエフスキーの言葉が元にあったと、物知りの作者に又ひとつ学びました。
百舌鳥夕雲*町を *もずせきうん コバライチ*キコ(三席)
夕陽が包む
太古の昔
大王*をも *おおきみ
照らした光だ
一行目の地名からインパクトがありひき込まれる、世界遺産に決定した古墳群を夕陽が包む、現在も、太古の昔も、永遠と続いてきたとても神々しい風景が見える様です。
作者の体験談を聞いてぜひ一度行ってみたいと思った筆者です。
レポート担当:紫かたばみ
八月五日(月)
容赦ない真夏の陽射しが、照りつけるなかたどり着いた涼しい喫茶店の二階で、初参加の中澤京華さんをお迎えして玉井チヨ子さんの司会で始まりました。
生まれるまえと 雅蘭洞(一席)
死んだあととは
正真正銘の空
浮世のくらしは
ほんのひと休み
哲学的で、宗教的な深い歌です。真ん中の「正真正銘の空」の迫力と、ほんのひと休みのとぼけた軽み。般若心経の「色即是空」の世界でしょうか? 作者は、最近のトピックを昔なじみに知らせようとしたら、皆亡くなっていて自分は長く生きすぎたかな。宇宙の時間からみたら人生せいぜい百年で、不在こそ実在で死ぬことも怖くないと、悟りの境地です。一休さんの名前の由来から銀座で飲んだ話まで話題の尽きない歌でした。
母が 中澤京華(二席)
ありがとうと言うと
父が
ありがとうと笑った
夏の日
さらりとシンプルに歌われて、つい読み過ごしがちだが、じわじわと万感が伝わる歌。夫婦円満であたたかい家庭が浮かび、ほっこりする歌。夏の日で切った終わり方がいい。
作者は去年亡くなった父と、二人三脚で支えた母を歌いました。直接言い合った訳ではないけどよく「ありがとう」と言う父母でした。
矛盾を 旅 人(三席)
受け入れ
呑み込む
仲直りは
なぜか 哀しい
大人の仲直り。受け入れるのはできても呑み込むのは苦しい。作者はケンカが苦手でなんかな~と思いつつも呑み込みウワバミ状態に。それが私の何かを育てているのかな?
会社で 日々 紫かたばみ(三席)
規格化した男と
家庭で もう母、妻の
着ぐるみ脱ぎたい女が
同居する 定年後
面白いけど熟年離婚が心配など、それぞれの夫婦のあり方が話題に。作者は夫の愚痴をこぼしつつも、夫の協力で五行歌等好きな事ができる事に感謝と。
コーヒータイムの後は、恒例の七月号からの三選をしました。
レポート担当:旅人
七月一日(月)
肌寒い雨模様の日でしたが、珈琲の香りを楽しみながら歌会が始まりました
湿りを帯びた真夜 旅 人(一席)
凌霄花*が *ノウゼンカズラ
触手を伸ばし
おいで おいでと
異界へ誘う
怪談のような雰囲気で、昼と違う夜の花の不思議な感じが上手く表現されていると高得点でした。作者は筆者ですが、夜道の風に揺れる凌霄花が、手招きをしているように感じたので詠んでみました。
雨の中 紫かたばみ(二席)
バスを待つ
ちっとも来ない…
他に待つ人もないー
……-ーー土砂降りとなる
一行から五行に向かい字数が増え、雨量と苛立つ気持ちが重なり、記号によく表されていて面白いと盛り上がりました。作者は、五行目に不安感を表したかったので記号を使ってみたとのことです。
怠け者の美学 一 歳(二席)
論う
口もたぬ
無口な
職人*の技* *アルチザン *アルス
凝縮した緊張感あふれる作品、多弁の世相への批判ではないかと感心しきりでした。作者は、近現代の芸術家は話しはするけれど、芸術性がないと痛感しているので、そのことを歌に詠んだそうです。
人通りの少ない 雅蘭洞(三席)
真昼のミラボー橋
川面の漣が囁く
古き良き時代の
詩人と画家の恋物語
まるで映画の一場面のようにシャンソンが聴こえてくる、堀口大学の訳詩を思い出したとの評がありました。作者は五十年前、ミラボー橋に住んでいた友を訪れた時を思い出して詠んだそうです。
歌会の後、「池上サロン個人年間作品集」を手に、各自が選んだ歌を述べ合いました。
レポート担当:雅蘭洞
六月三日(月)
梅雨を控えた貴重な快晴の午後、カフェの屋根裏部屋の會場に集った七名の會員により歌會が始まりました。
司会は髙馬さんです。
自己責任は 旅 人(一席)
手を差し伸べない
「免罪符」
君が傍観者で
いられるから
「自己責任」と云う言葉には、その責任の生ずる状況、條件によって必ずしも免罪符として傍観者になって突き放せない種類のものもあるのではないか。例えば国民に真実を伝える爲に、危険を冒して中東へ赴き、テロリストに捕った場合と、人の制止を振り切って入山し、遭難した場合の「自己責任」は明らかに違う。一概に免罪符を持った傍観者に逃げて良いとは限らない。
雨はいつも 紫かたばみ(二席)
予報より早く
降り出して
覚悟できていない
心と体を濡らす
脳は心の準備より早く感覚として雨の予感を知る。然て心と体は一体だから濡れるのは同時。感覚と知覚の齟齬を心理描写としてうまく表現されて居るのでは、と議論がありましたが、作者としてはいつも天気予報を気にして居り、経験上から詠まれたとの事。
人生の滋味 雅蘭洞(二席)
無用の用を
楽しむ贅沢
無役な装飾
生きる意味
漢字を多用して各行の字數を揃え、言葉を楽しみ、言葉で遊んで居る様な気がする。と云う意見が多かった。作者の意図した所は、最近あらゆる生活の場で無駄が省かれ、機能一辺倒になり、人生の面白味が消えつつある淋しさを詠んだとの事。
三席二首は歌のみ紹介致します。
荷台に揺れる/花籠が聴くは/別れか喜びか/過ぎゆく車に/心残して 髙馬和子
手助けする/やさしさと/突き放す手厳しさ/娘も/母の自立を願う 玉井チヨ子
レポート担当:玉井チヨ子
五月六日(月)
前半は、いつも通りに歌会、後半は、『だらしのないぬくもり』の歌集鑑賞会、作者の大島健志さんとお客様もお迎えして、各自が二首を選んで感想を話し合う。
作者のコメントもあり又紫かたばみさんも、ご出席で親子関係の温かさも感じる、とても有意義な時間が過せました。
司会は旅人さんです。
好きなものより 井椎しづく(一席)
嫌いなものの方が
教えてくれる
わたしの
境界線* *ボーダーライン
全体が、とてもやさしい言葉で心に響く。
たしかに楽しい時より、苦しい時の方が学ぶべきものがあったと皆様も共感され、五行目の境界線(ボーダーライン)もとても効いていると絶賛されました。
嫌いなものは避けたいけれど、教えてくれるものがあったと作者。
この怒りが 宮川 蓮(二席)
凪いで消えても
覚えていられますように
ひとの気持ちを
思えますように
怒りが消えても、この感情を覚えておきたい気持、自分自身に問いかけているように又反省をそているように、人の気持をいつも慮る、平常心、祈りに近い。
ひとの気持ちはわかることは出来ないが、思えますようにで作者の気持が込められている。
ゆっくりしか 玉井チヨ子(三席)
歩けない
だからこそ味わう
人生の最終章
年を重ねてゆっくりしか歩けなくなる、だからこそ、開き直って人生を楽しんで生きていきたいと思う作者の願望です。
そうだねと共感出来ると年令の近い方からの賛同を頂きました。
レポート担当:一歳
四月一日(月)
命の 旅 人(一席)
有限を
告げられた時
ゆっくりと
二人分の紅茶を淹れる
パートナーが余命を告げられた時と読まれた方が多かったが、作者は、書道の恩師が余命六か月と告知された時、私にできたのはゆっくりと紅茶を淹れることだけだったと。
パートナーが告知されたとして、同じく共に過ごす時間をもつだろうとも。終末を見つめ死を受け入れるための時間。やがて来る死までの時をどう生きるかを考えさせられる作。
朽ちる命 育つ命 紫かたばみ(二席)
すべて呑み込み
まったりと
春の海は
スパンコールの輝き
寄せる波、引く波は、命の海に繰り返される生死の喩。命のすべてを包み込み呑み込んで海面はキラキラと輝いていた。この春の海に、生まれ出た新芽のような命に灌がれる慈愛に満ちた菩薩界を感じたという方、「スパンコール」に違和を感じたという方も。
自分で 大橋克明(三席)
創り出した
時間軸で
振り回される
愚か者
自分自身がつくりだしたもの・ことに振り回されるのは人の常。愚か者とは私自身のこと、とほぼ全員が読まれた。時間表ではなく時間軸。この軸とは、自身の生きる中心核でもあろう。自身が創り出したものに振り回されている愚か者の日常そのまんま、と作者。
愉しみは コバライチ・キコ(三席)
醍醐寺の庭
四角く切り取り
春を満たす
土牛*の桜 *とぎゅう
秀吉が権勢を誇った頃の醍醐時の桜を彷彿とさせる一方、今ある庭の桜を見る視座から、その桜時空を「四角く切り取り」、「土牛の桜」と転じたのが秀逸。淡い色を重ねて画かれた土牛の桜花弁は一枚とて同じではない。櫻明りと櫻闇の境を湛えた幽玄の櫻の姿が顕つ。
レポート担当:旅人
三月四日(月)
昨夜から続く、あいにくの雨でしたが、ゲストの方を六名お迎えして十四名の熱い歌会が始まりました。司会は玉井さんです。
雨を受けて 富士江(一席)
竹林が
伸びをする
イッセイノセッ!と
空を持ち上げる
「イッセイノセッ!」と竹林の掛け声が聞こえてくるような楽しい元気な歌と皆さんが絶賛でした。「空を持ち上げる」も成長の速い竹を力強く表現して見事です。京都旅行で立ち寄った天龍寺脇の小路の竹林が、春雨を受けて生き生きとしていたので歌に詠んでみたと作者は語っていました。京都へ行って良かったとも。
死者たちで 一 歳(二席)
溢れんばかり
他界にぬける (レポートの「抜ける」を訂正して印字)
太虚* *そら (レポートのルビ「とき」を訂正して印字)
真っ青
死者たちの世界を、このように明るく表現する歌に驚きました。短い極限の表現で宗教観を越えた作品です。この歌をきっかけに死後の世界について語り合いました。作者は以前から、考えていた生の延長線上の死を詠んだと語っていました。
時間は流れているのか? 雅蘭洞(三席) (レポートの「二席」を訂正して印字)
時間は去来するのか?
時間は
トポスの中から生まれ 註 トポスは場所、位相(レポートには註が入っていないので補足)
そしてすぐに消滅する
この歌も考えさせられる歌でした。時間を線として捉えるのか、トポス=居る場所として考えるのか、「今」は概念としてはあっても、すでに消え去っていく。喧々囂々で、さながら哲学カフェのようでした。作者は、時間についての考察を歌に詠んだそうです。
歌会の後、喫茶店「豆豆」へ移動して挽きたての美味しい珈琲を飲みながら、歌談議に花を咲かせました。帰るころには雨も止み明日は晴れそうです。
レポート担当:守野純子
二月四日(月)
紅梅が美しく咲いた池上で、豆豆を会場に九人の参加、玉井さんの司会で始まりました。
孤独は 雅蘭洞(一席)
影の様に寄り添い
決して離れないが
常に自由気儘に
させて呉れる
孤独は寂しいのではなく、自由気儘を与えてくれる。精神力の強い方だなあ。受動態の歌であり深い歌である。
作者は、孤独を全面的に受け入れる、真の自由は、孤独の恐ろしさを感じる。孤に徹すると自由である。孤独を楽しむという考え。
こんな 愛 子(二席)
小さな面積で
地球と私を
繋いでくれていたんだ
じっと足の裏を見る
自分と地球、世界中と繫っているという発想が豊か。自分自身の中に小宇宙がある方だなあと思う。自分の足の裏を見るユーモアがある。
作者は、皆さんが解って下さったとおりと。
目を閉じ 旅 人(二席)
耳を塞ぐ
情報を遮断して
熟成する時を
待つ
今の時代を表している。常識は常に変更している。自分自身で考えて熟成するのを待つ。社会のニュースに惑わされている自分も熟成されるのを待つ。
作者は、情報あふれた時にゆらぐ気持がある。チョット待て、自分に問い直す、絵を見て落ち着く、とコメント。
今日を 蹴り上げろ 都築直美(三席)
明日を でっち上げろ
生きたけりゃ
常識なんかじゃ
もう 駄目なんだよ
時代が進むに従い 大橋克明(三席)
人は
ザラつく舌を無くし
二枚舌を
使うようになって行った
同点三席は、二首とも、深奥の深い所へ、響くお歌でした。
後半は、五行歌誌一月号から、各自三首選び感想を述べ合いました。
レポート担当:旅人
一月七日(月)
青空に五重塔がくっきりと浮かぶ七日正月本門寺にお参りをしてから歌会へ向かう。
段重ねのお弁当をいただきながら(玉井さんから漬物の差し入れあり)三月の池上サロン主催「柳瀬丈子氏・特集鑑賞会」のことを話し合った。ゲストに初参加の雅蘭洞さんをお迎えして九名の熱い歌会が始まりました。司会は紫かたばみさん。
この身の悩みは 玉井チヨ子(一席)
小さきもの
巨岩を抱きかかえた
樹齢二千年の
大楠を見上げて
人間の悩みと大楠との対比が良い、宇宙を感じる、楠のエネルギーを素直に詠んで共感できる等の評がありました。
作者は、来宮神社で、大楠を見上げる背もたれに身を預けて見上げていた時、自分は小さいな~としみじみ思ったので歌にしましたと語っていました。
あこがれの帆を上げ
羨望のため息を
吹きかけてみても
作りたいと 作れる歌の
距離は縮まらない 紫かたばみ(二席)
「羨望のため息」は個性的で素晴らしい表現、歌を詠む者の思いがこもっている等の評がありました。
作者は、前に作った歌を推敲し直して作った作品で、常に思っていることを詠んだと語っていました。
風のかたち コバライチ*キコ(三席)
風の速度に乗ってゆけ
連凧の
いのちのかたち
初空に見る
正月らしい歌、青空に連なる凧が浮かぶ、「いのちのかたち」に命の連鎖を感じた等の評がありました。百八十メートルも上がる連凧の写メに盛り上がりました。
作者は、三鷹中央公園の凧揚げ大会で、百三十もの凧が連なっていく様子が、まるで受け継がれる命のように思えたので詠んだと語っていました。
歌会の後で、本誌十二月号巻頭歌から、三首を選んで寸評しあいました。
レポート担当:紫かたばみ
十二月三日(月)
木枯らしが吹かぬまま、迎えた十二月の第一月曜日。ポインセチアやシクラメンの赤やピンクの花々であふれる花屋の前を通り、今日も”豆豆”にて、山鳥の郭公さんと山本富美子さんをゲストに迎えて始まりました。
台風で苦しむのは 紫かたばみ(一席)
人間だけじゃない
赤や黄のドレスで
旅立つ夢破れ
茶枯れて強制落葉
台風の塩害を色彩豊かに歌っている。人間だけじゃないと言い切った強さと、強制落葉という、造語のインパクトに惹かれた方が、多かったです。作者は同じテーマの歌を他の歌会に出し、初0点貰い、削ったり入れ替えたりリフォームした歌で高得点いただき感激ですと。元歌は十二月号一九二頁に掲載。
奥に潜む 旅 人(二席)
夜叉を
飼いならして
歳月が
菩薩にかえていく
夜叉や菩薩がよくわからない方、私は昔、夜叉でしたという方。仏教の十界論を論じる方や歳月が菩薩に変えるに心洗われた方、年と共にイライラ無くなり丸くなった方、私の論理に合わないとキッパリいう方等々、いろいろ意見が飛び交いました。作者は自分には夜叉がいて何とか浄化したいと、育たぬよう努力し続けて菩薩に変えつつあると。
月の蒼い晩だ 都築直美(三席)
僕の何かが
君を呼ぶ
おいで おいで
魂の話 しよ
月の蒼い晩がミステリアスで霊的な感じ。おいでおいでに引き込まれる、しようでなく”しよ”が効いている。僕と君は置き換えられるのではという意見も。作者は、通りいっぺんの話ではなく、精神の深い深い奥の話をしたいと。推敲しての”しよ”とのことです。
コーヒーブレイクの後は、五行歌誌十一月号から、各自三首選び感想を述べあいました。
レポート担当:紫かたばみ
十一月五日(月)
池上本門寺にお参りし、菊花展を楽しんでさあ、淹れたてのコーヒーいただきつつ八人で二時~五時まで濃い時間の始まりです。
想像力の 一 歳(一席)
靱やかで勁い翼を
羽搏かせる筋
不屈の意志のごとき骨を
吾に鍛えしめよ
ルビがないと読めない漢字もありますが、分かり易くその力強さ、吾に鍛えしめよ!と神にさえ要求する真剣な表現者としての思いに皆さん感動でした。作者は人に寄り添うには、想像力が必要、想像力に余分な脂肪を付けないよう鍛えたいと。
お前はどっちだ! 紫かたばみ(二席)
嵐が問う
踏ん張って耐えるのか?
ひらりくらりかわすのか?
一番脆いのは 半端な奴
一行目の問いかけがインパクトある。自分もそっくりの歌を作ったが五行目にどっちだ! を置いてしまった。四行目がのらりでなくて、ひらりなのがいい。作者は先日の台風体験し半端な自分に活を入れるつもりで作りました。
待つことも 木村美惠子(三席)
待たれる事もなく
ひとり
味わう
人生の黄昏
スッキリ無駄のない表現で味わうという前向きさ、人生の黄昏で止めた所が余韻があっていい。二行目の“事”がひらがな表記の方がいいのではという意見もあったが、まさに一人暮らしの達人の歌です。作者は待っているのは猫だけですと。
第二部として、五行歌誌十月号より良いと思う三首を各自選び感想を述べあいました。それぞれの好みの二十六首がでましたが、柳瀬丈子さんの歌を選んだ方が多かったです。
レポート担当:旅人
十月八日(月)
湿度を含んだ曇天の中を、ワクワクしながら会場の「豆豆」へ向かう。ゲストに田川さんをお迎えして八名の出席者。司会は紫かたばみさん。
やさしく ありたいわたし
でも ほんとは
臆病なだけ だって
やさしさは 徳の中で
最も 自分本位 紫かたばみ(一席)
やさしさは何? 各々が自分に問いかける言葉が溢れてメモを取る暇もない。何故自分本位なのか、生き方を模索する姿が見えてくる歌と高得点。空きの使い方が効果的の評も。作者は臆病だから傷つきたくなくて優しくする、その思いに、書き留めていた言葉「やさしさは自分本位」を加えて作品にしたと語っていた。
正直に書くのは 田川宏朗(二席)
当たり前として
ひとに
寄りそうことの
なんという難しさ
寄りそうとは何? 皆の思いが吐露されていく。同じ思いの幸福な化学反応は歌会にも興る。作者は、席を譲ったセールスマンへの応援の五行歌を推敲し続けるうちに違いを感じた。そして、人に思いを近づける歌を詠みたいと願って歌ができたと語っていた。
人生が 都築直美(二席)
一夜の夢なら
ありがてぇ
今宵 素敵な
狂人と なりたし
文体の巧みさ、鴨居玲の絵と言葉を連想させる、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第二番「一夜の悪夢」を彷彿させる魂の飛翔等々。出席者の想像はどこまでも広がっていく。作者は、鴨居玲の描く酔った老人のイメージを抱きながら、『閑吟集』の「…ただ狂へ」の返歌として詠んだと語っていた。
闇を/知る人の/灯りが/細く くっきりと/見える 旅人(三席)
歌会の後で、美味しい珈琲を飲みながら秀歌集3を寸評した。今月は「空き」の巧みな作品が多かったので、空きの効果も話し合った。
レポート担当:コバライチ*キコ
九月三日(月)
朝から、台風二十一号が四国から関西に上陸するというニュースでもちきり。小雨混じりの蒸し暑い中、歌会は白熱。点を入れていなくても、皆で言いたい放題。言われる側も、より良い作品に改作すべく聞く耳をもって話し合うという、生きた歌会を体感しました。
燃えなければ 紫かたばみ(一席)
光はないーでも
不燃物のわたしは
わたしを磨き鏡のように
光届ける人となる
作者の思考の流れ、意思の強さが伝わってくる。自らを不燃物と言い切りながら、光らせる側になるという純粋な気持ちに打たれたという意見が多数。「燃えなければ光はない」とはあるハンセン病者の言葉だが、この言葉にひそむ情熱を池上サロンのメンバーにも感じて、自分のエネルギーにしたいという作者。最後の朗読時、四行目の「わたしを磨き 鏡のように」と文節が割れることがわかり、字空き、改行についてしばし議論が起こった。
転轍機を/変えると/景色が一変して/新しい/生き方が始まる 旅 人(二席)
ポイントでなく転轍機という言葉に迫力を感ずる。景色の変化と生き方を結び付けた、切れ味のいい作品。二行目の「変える」は「換える」ではないか? 「切り換える」としたほうがより意味が近いのでは? という意見も。作者は、自分の人生の転換期からのことを踏まえて詠んだが、もう少し推敲したい、と。
白地に/白で描かれた/白描/無限の色を沈潜させて/ただ在る〈白〉 一 歳(二席)
五行の中に「白」が四つも出てきているのに、それぞれの白の存在感がある。白描とは墨で描かれた絵だが、白で描かれたとは如何に? ただ白といっても、黒と同様、その中にはすべての色が内包されていて、作者はここにその色を見ているのだろう。それは「無」と言い換えることができるかもしれない。
サヨナラの/握手のつもりが/ハグされた/何んと/温かいのだろう 木村美惠子(三席)
カタカナの使い方が軽やかで効果的。素直に、言いたいことをストレートに詠まれていて、読後感がいい。「何んと」は「なんと」でいい。作者の実体験に基づいた作品。
レポート担当:都築直美
八月六日(月)
連日続くうだる様な暑さにもめげずに十名の歌人にご参加頂けました。
奇しくも、八月六日は広島に原爆が投下された日。今回は、昭和二十年八月六日広島において六歳で被爆経験をされた木村美惠子さんにもご参加頂き、特集「八月六日から」を拝読しながら思いを語り合いました。
被爆された方々、戦争で犠牲になられた方々に哀悼の意を込めて皆で黙祷。
その後、通常歌会に入りました。
体験した事が 木村美惠子(一席)
良いか 悪いか
判らない
原爆投下の下を
逃げ回ったこと
ご本人が小学一年生(六歳)の広島での被爆経験をそのまま歌にされたとの事。原爆の恐怖、強烈なリアリティが読み手に迫って来て有無を言わせない。
哀しみは 旅 人(二席)
独りで
抱くもの
吐息の中に
潜ませ
共有したつもりでも哀しみは人には分けられない。自ら抱えるしかない自分自身だけのもの。文学的ロマンを感じさせる、作者渾身の新境地。
わたしは 紫かたばみ(三席)
憎しみから
産まれたとしても
憎しみの根源を知り
連鎖を断つ事はできる
ふと観た、(日本人の父親を持ち、壮絶な過去を経験したインドネシアの女性のドキュメンタリー番組)に心打たれできたとの事。「血のつながり」とは? 「生きる」とは? 考えさせられる五行。
人籟を聴けぬものが 一 歳(三席)
どうして
地籟 天籟を聴けよう
汝
天地人の聲を聴け
目先の利益のみを求め自然を傷め続ける人間、じっくりと立ち止まりものを感じようとしなくなった人間、それらに対する警鐘。まさに…哲学的な五行。
レポート担当:コバライチ*キコ
七月二日(月)
梅雨明け早々の炎天下。雲ひとつない夏空を見上げながら、池上本門寺の先にある会場へ。前半は、三月号特集(コバライチ*キコ)の作品から、参加者それぞれが好きな三首を選んで講評を述べ合う。普段、生の声が聞きにくい特集をこうして取り上げる歌会は、歌人の作品批評力が育っていくと感じた。
束縛の鎖を 旅 人(一席)
引きずりながら
宙を目指す
飛び立つのは
自由だ
わが身、わが心を束縛する鎖とは物理的には時間であり、精神的な何かであるかもしれない。最初の二行がロックである! ラストのまとめ方が鮮やかで、遠くまで飛んでゆけそうな力を感じる、と高評価を受けた。日常生活において「思うこと」だけは自由だが、しかし、それは本当か? 私たち、本当に自由に飛び立てるのかどうか考えながら作った歌です、と作者。「宙」は「そら」と読む。
人生の荒波に 都築直美(二席)
揉まれ
丸くなった 石
でも…その石の真ん中には
マグマが あるんだよ
石の描写がまるでひとの一生のようだ、噴火しそうな熱い恋心を表している、四、五行目の言葉に納得した等、人間に置き換えて読まれた作品。のんびり生きているようでも、譲れないところがある厳しい求道の心を忘れないでいたいという作者の思いから書かれたそう。「終わり方」の追究でもある。
水面に踏ん張る コバライチ*キコ(三席)
水馬* *あめんぼう
さしずめ
ダリの
奇妙な戦闘士か
水面とアメンボからシュルレアリスムの画家ダリを発想するイメージがおもしろい、工夫が生きている。三行目の「さしずめ」の選択が効いているとの評。毎年、水張田で目にする光景だが、よく見ると、水面に映った空に乗っかる生きものの形は不思議である。