作品評(自由投稿)




[0] 作品評(自由投稿)

投稿者: 一歳 投稿日:2018年10月 9日(火)22時37分0秒 p7213054-ipngn33801marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

作品評





[23] 作品評(2020年1月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2020年 6月16日(火)20時29分26秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

遠慮
ではなかった
足りなかったのは
本気と
勇気

宮川 蓮
41p.

 何かを悔いているお歌だと感じた。昔のことを思い出して「もっとこうすればよかった」「ああすべきだった」というような後悔を抱いてしまうことはよくある。日本では遠慮深いことが美徳であると思われやすい傾向にあり、その後悔の原因が自身の遠慮深い性格だったと考えれば、「でも自分はこういう性格だから・・・」と、ある程度自分を納得させられるものだったかもしれない。しかし、作者はそれで終わらず、自分に足りなかったものを歌にして真っ向から言い当ててみせる。ここに潔さと清々しさを感じる。自分に足りなかったものを自覚した作者は、今後は自分が「これ」と思ったものには、勇気を持って本気で飛び込んでゆくに違いない。



五才の孫娘が
スティックと足で操る
電子ドラムセット
胎教のラルク・アン・シエルに
夢馳せて


43p.

 ロック幼女の歌である。しかもドラマーというのはレアで良い。電子ドラムとは言え、足も使っているというので、バスドラもちゃんと叩いているのだろう。大変将来有望で素晴らしいと思う。四行目で彼女がなぜロックに目覚めたのかが種明かしされる。彼女は生まれる前から、母親のお腹の中で「ラルク・アン・シエル」というバンドの曲を聴いていたということなのだろう。ラルク・アン・シエル(通称:ラルク)は、いわゆるヴィジュアル系バンドとして一世を風靡し、今なお高い人気を誇る超有名バンドである。筆者も、思春期のころによく聴いていた大好きなバンドだ。小さなドラマーがいつか夢を叶え、大きく羽ばたくことを祈りたい。



数本の
深い傷を
懐に
薄っぺらく
生きる

岩瀬ちーこ
51p.

 四行目の「薄っぺらく」が効いていると思う。謙遜を込めての表現であろうが、ご自分の生き方を決してひけらかさない姿勢に好感を抱いた。それでも、作者の抱える傷は「深い」のだ。もしかしたら、まだ癒えきっていない、塞がりきっていないのかもしれない。しかも、傷は一つではなく複数である。このお歌を歌えるようになるまでに必要だった時間と作者がなさってきたであろう苦労に思いを馳せた。全体を通して簡潔な言葉で短くまとめられているが、読んだ人に確かな余韻を残すお歌。



猫が温めた
椅子に
信長の気分で
座る
ようやった

中山まさこ
96p.

 ほっこりさせていただいたお歌。木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が冬に信長の草履を懐に入れて温めたというエピソードにちなみ、猫に自分の椅子を温めさせているという。五行目の「ようやった」が完全に信長目線になっていて可笑しい。猫もきっと「御意にございます」と忠誠を誓ってくれるのではないだろうか。



遠からずきみは死ぬだろう
遠からずぼくも死ぬだろう
その後も 雲は流れ
木々は揺れ
草は戦(そよ)ぐだろう

村田新平
119p.

 特集「老いたふたり」より。奥様とご自分について詠われた秀歌が並ぶ特集であったが、この作品が最も心に響いた。「死」を遠くない未来として受容している姿勢にまず尊敬の念を抱く。年齢的になかなかこの域に達することはできないが、「メメント・モリ(死を忘るなかれ)」という昔からの格言もあるように、本当は人間はいつでも「死」を身近に感じているべきなのだと思う。ご自分達が亡くなられた後の自然の営みに想いを馳せる三~五行目も、とても美しい情景がイメージとして浮かび、惹かれた。



物語りは佳境か
ラッシュにも
異世界の笑み
赤皮のブックカバーの
女(ひと)よ

吉川敬子
159p.

 電車かバスの中で、本を読んでいる女性のことをいきいきと詠っている。三行目「異世界の笑み」が良い。彼女はラッシュをものともせず、物語の世界に入り込み、笑みさえ浮かべているというのだ。見る人が見れば、ちょっと不気味とさえ思うかもしれないが、作者はどちらかと言えば好意的な目線で彼女のことを見ているように感じられた。というのも、ここ数年で電車やバスの車内では、大半がスマホを見る人ばかりになり、本を読む人が珍しくなりつつあるからだ。今時珍しく車内で物語の世界に没頭する人、という視点が成立するからこそ、このお歌の魅力が引き立つように感じた。



きっと
闇と
戦い始めた
坊やの
輝き

菅原弘助
191p.

 「坊や」の年齢がいくつくらいなのか、「闇」が具体的に何なのか、は読み手には分からないが、とても惹かれたお歌。読み手各々が、自分にとっての「坊や」や「闇」を思い浮かべられるのも、このお歌の魅力の一つではないかと感じた。「坊や」の行く末にはきっと一筋縄では行かない何かがあり、本人もそれに気付き始めた年齢なのだろう。どうか「闇」に負けず、いや、正確には「闇」に負けてしまうことがあってもいいから、どうかしぶとく生き延びて、できる限り健やかに成長して欲しい。



お菓子の空き箱を
立体の
アートに変える
若き作家の
指先には赤い胼胝(たこ)

福田雅子
194p.

 お菓子の空き箱を利用して人形や建物などを造るアートは、話題になったのでご存知の方も多いだろう。元のパッケージを活かしたそれらのアートは、見た目のインパクトもあり、SNS等で人気を博している。とても現代的な題材であるが、作者はそれらを造る作家の指先に胼胝があることを見逃さない。どちらかと言えば、お菓子の空き箱アートは、昔からある絵画や彫刻などの芸術に比べて、SNS映えや話題づくりを狙ったお遊び的なもの、と捉えられてしまう面もあるだろう。しかし作者の視点は、そこにものを造るということの大変さ、努力の積み重ねがあることを気付かせてくれる。作者独自の視点が光るお歌。



風邪をひくと
お隣から上の階から
毎日お惣菜が届く
高層団地の
長屋暮らし

秋川果南
202p.

 この令和の時代にもこういった「困ったときはお互いさま」の、ご近所づきあいが残っていることに安堵感を覚える。しかもそれは、昔ながらの下町の長屋ではなく、高層団地での出来事というギャップがまた素敵だ。これは間違いなく作者の人間性の為せる業だろう。日頃から、ご近所と良好な関係を築いているからこそ、病気の時にこうして親身になってくれる方がいるのだ。ご近所づきあいも、気の合う人だけではないであろうし、何かと煩わしい面もあるだろう。それでも、こういう良い面を感じられるお歌を目にすると、人付き合いもまだまだ捨てたもんじゃないな、と思うことができる。素晴らしいご近所関係だと思う。



言うだけで
何もしないのね
言ってしまって
自分の言葉に
自分が傷ついている

岡本育子
276p.

 つい本音をこぼし、それが相手を傷付けたことに気付き、自分を責めていらっしゃるお歌だと感じた。こういう後悔は筆者にも身に覚えがある。筆者も思ったことをつい考え無しに口走ってしまうことが多く、後からそれを悔いて悶々とすることがある。昔、大好きな友達に言われて良く覚えているのが「言葉は受け取った人のもの」という言葉だ。自身では自分に誠実であろうとしているつもりでも、それが結果的に相手を傷付けてしまうとしたら、相手から見た自分は「誠実な人」ではなく「失礼な人」である。もちろん、相手のためを思って自分を偽ることが大事というのではなく、自分の気持ちを伝えるなら、それを受け取った相手側の視点を持つことが大事なのだと思う。四、五行目の相手を傷付けた故に自分を責める作者の優しさは胸が詰まるものがある。自分を大切にすることと、話し相手を大切にすることは、深い意味で同義なのではないか。そんなことを考えさせられたお歌。



「できない」
とふつうに言え
なんとか、やったあとも
「できなかった」
と普通に言え

山川 進
284p.

 手に余る仕事を任されそうな時の対処法を説いてくれているお歌だろうか。簡単に「できます」「やります」と言うべきではないということだと感じた。要は、「自分を実力以上に高く見積もるな」ということではないだろうか。「ちょっとキツいな」という仕事でも、やっているうちに周りの人の助けもあって、意外と何とかできてしまい、それが自信になり、また次にちょっとキツめの仕事にトライする・・・、というのが、私の仕事に対するイメージだが、このお歌は、そうした仕事のやり方はいつか自分の首を絞めるよ、と諭しているかのよう。仕事で「できない」と、しかも「普通に」言うのは簡単なことではないが、仕事をするときに、頭の片隅に置いておきたくなるお歌だ。



(了)




[22] 作品評(2019年12月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2020年 6月 9日(火)19時34分27秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

トライが決まる
日本勝利
明日から変われる と
たくさんの人が
そう思った

玉虫
11p.

 記憶にも新しい、昨年日本で開催されたラグビーワールドカップのことを詠んだお歌だろう。様々な人種的背景を持つ選手たちが「ワンチーム」として闘う姿に熱狂した方も多かったと思われる。日本代表の勝利に感銘を受け、明日から自分も変われる、変わるんだと決意した方も多数いたのかもしれない。と、それだけでも充分に良い歌なのだが、おそらくこのお歌は単純な「日本万歳」のお歌ではないように感じる。ポイントは四、五行目のどこか冷めている、他人事のような視点。まるでこの後に「が、しかし・・・」という六行目が続きそうな余韻さえ残す。一時期のお祭り騒ぎでは、日本の抱える閉塞感は振り払えないという諦観が含まれているように感じ、そこがとてもこのお歌を魅力的にしていると思った。


来世は
だんご虫に
なって
じっと
していたい

河田日出子
69p.

 こういう気持ちになるときは往々にしてある。まず、シンプルにとても共感した。「来世に生まれ変わるなら何が良いか?」というアンケートがあったとして、疲れているときは、なるべく何も考えなくて済みそうな生き物を選択したくなる。海洋生物ならクラゲ、節足動物ならだんご虫、植物ならタンポポの綿毛なんかが上位に入ってくる。やや脱線したので話を戻すと、作者にとって今世は「じっとしていなかった」ものであり、それによって心身ともに疲れてしまい、思わず書いてしまったお歌のように感じられた。一時的な気分の落ち込みであればよいが、作者ほどの方の来世が一介の節足動物というのでは、いささか魂の無駄遣いであるような気もする。私もすぐネガティブになるのは他人のことを言えないので、「来世も人間に生まれたい」と胸を張って言えるような生き方をしていきたい。まあ、そもそも輪廻転生が本人の願望を聞き入れてもらえるシステムである保証はないのだけれど。


殺意
殺人
二つの間に
物を置け
いいものをおけ

山川 進
82p.

 当たり前のことながら、殺意を抱いた人が皆、殺人を実行するわけではない。なので、殺意と殺人の間には、近いようで大きな隔たりがある、と思いたい。このお歌ではその二つの間に「いいものをおけ」と詠われている。果たして「いいもの」とは何か。例えば自分が衝動的に殺意を抱いてしまったときに、それを思いとどまらせるものが「いいもの」の正体となるだろうか。それは、シンプルに「人を殺してはいけない」という倫理観かもしれないし、「殺人者」としてのレッテルが貼られる恐怖かもしれないし、家族や友人に迷惑をかける不安かもしれないし、それやこれやを総合的に判断して「殺人を犯すと面倒くさいことになりそうだ」という合理的な判断かもしれない。これらのものを強引にまとめるなら、「人間らしさ」だろうか。倫理観も合理的な判断も、不安も恐怖も、人間ならではのものだ。「殺意と殺人の間にいいものをおけ」とは、つまりは「殺意を抱いてしまったときには自分が人間であることを思い出して」という、作者の呼びかけなのかもしれない。


森離れ荒野に
一本だけ
立つ樹よ
君だけが陽を
全身に浴びている

としお
97p.

 群れを離れ、孤立・孤独を受け入れる生き方を礼賛するかのようなお歌。しかし、全身に浴びるのは陽の光だけではない。一本だけで立つということは豪雨も嵐も雷もすべて単独で受け止めなくてはならない。森には森ならではのメリットもあるだろう。しかし、それを覚悟した上で、孤立・孤独を受け入れるということは、やはり気高く美しいことだと感じる。個人的には、一本一本の樹がそれぞれ尊重され、充分な陽を浴びることができる上に、豪雨や嵐などのいざという時には手を差し伸べ合える、今の流行りの言葉で言うなら、樹木たちそれぞれがソーシャルディスタンスを守った森になれば良いのにと思う。


歌詠みの
歌知らず
己の未熟を知らずして
成長は
ない

ひさし
101p.

 耳に痛いお歌だが、とても大切なことを詠われている。歌のことをよく知らない人からすると、素晴らしい歌を書いているひとは、さぞかしたくさん素晴らしい歌を読んで勉強されていると思うかもしれないが、中に飛び込んでみると、これは「人それぞれ」というのが実感だ。たくさんの歌を読むこと(=インプット)が好きな方もいれば、たくさんの歌を書くこと(=アウトプット)が好きな方もいる。どちらも得意という方ももちろんたくさんいらっしゃるが、どちらかに偏っている方もある程度いらっしゃるという印象だ。かくいう私も古典などは、てんで勉強しておらず、常々自分の浅学ぶりを思い知ることが多い。伸びしろだけはあると信じて、少しずつ勉強してゆきたい。


スイミーよ
怒れ
君は 君自身として
認められるべきだった
役割ではなく

宇佐美友見
138p.

 「スイミー」は国語の教科書に載っていたお話として、多くの方に親しまれている作品ではないだろうか。端的に説明すると、他の魚と容姿が違うことがコンプレックスだった主人公のスイミーがとある出来事をきっかけにそのコンプレックスを強みに変えて活躍し、それをきっかけに他の魚たちにも受け入れられるようになるという話だ。筆者も子供の頃読んで、「いい話だな」と感動した覚えがある。自分が抱えている劣等感も状況や視点を変えれば強みになるのかもしれない、というメッセージに希望を感じたのだと思う。しかし、このお歌はスイミーがその容姿で差別されていたこと自体に憤りを感じている。これが斬新な視点でハッとさせられた。確かにスイミーの容姿は生まれつきのもので、自身には何の落ち度もないものだ。それが原因で周囲から差別されているのであるから、人間社会に置き換えてみたら、それらが決して許されないものであることが良く分かる。名作を「いい話だったね」で終わらせるのではなく、現代的な視点で疑問を呈してみせるこの感性に惹かれた。


(夢)(うん)(嘘)
(かもしれない)(あ)
(気球)(だね)(遠く)
(誰も)(きっと)(憧れ)
(観覧車)(いつか)

南野薔子
170p.

 五行歌史上に残る意欲作のひとつではないだろうか。括弧書きにされた言葉は台詞の掛け合いのように感じられる。登場人物は2人のようにも、多くの人が居て代わりばんこに言葉を発しているようにも思える。歌の構造を整理するために、このお歌が登場人物2人(A,B)による台詞の掛け合いであり、交互に言葉を発していると仮定して、台本のような形式に書き直してみる。

A「夢」
B「うん」
A「嘘」
B「かもしれない」
A「あ」
B「気球」
A「だね」
B「遠く」
A「誰も」
B「きっと」
A「憧れ」
B「観覧車」
A「いつか」

 一応、会話のやりとりとして成立しているような印象。全体的に儚げなイメージがあるが、まず、のっけからAの「夢」という問い掛けに対して、Bが「うん」と肯定し、さらにAは「嘘」と言うと、Bは「かもしれない」と応える。これで、この歌全体が、夢か現かわからない世界での出来事ということがわかる。次に、二人は遠くを飛んでいる気球に気が付く。ここで気になるのがAの「誰も」という台詞。これは気球が無人の気球で誰も乗っていないものだという指摘だろうか。気象観測や天体観測の分野では無人気球がよく使われているらしく、Aはそうした気球に詳しかったのかもしれない。Bも「きっと」とそれに同調し、Aは次に「憧れ」と話す。これは気球そのものに憧れを抱いているとも、無人気球が関係する「空」や「天体」への憧れとも解釈できる。Bはそれに対して「観覧車」と話す。これは、おそらく気球の他に観覧車も見えているというよりは、Aの発した「憧れ」という言葉からの連想だと考えた方が自然なように思う。最後にAは「いつか」と話す。Bと一緒に観覧車に乗りに行きたいという気持ちの表れであろうが、ここに少し違和感がある。通常、遊園地等の観覧車の乗りに行くことはそこまで実現の難しいことではないが、なぜかこのお歌の「いつか」はあまり実現可能性が高くなさそうに感じるのである。そもそも「今度」ではなく、「いつか」なので、AとBには何らかの制約があって、すぐには遊園地等に行けない理由があるのだろう。例えば、どちらかが病院に長期入院しており、治療が終わって退院するまでは観覧車に乗れない、などと考えるとしっくりくる気がする。評と言うより、考察になってしまったが、それだけ魅力的なお歌になっているのは間違いない。いつか作者ご本人にこのお歌について聞いてみたい。


柱を巣食う
害虫
から
益虫への
キャリアアップ講座

山崎 光
177p.

 社会に出るための勉強をしている現在のご自分を、ユニークな視点で捉えたお歌であると読ませていただいた。親の脛(大黒柱?)を齧るのが害虫であるという表現は理解できるが、転身を遂げても「益虫」であり、人格は与えられていない点がシニカルというか、謙虚さを感じた。しかもその転身のための方法は「キャリアアップ講座」である。虫からずいぶんと飛距離のある言葉を選んだな、と感心させられた。しかも、この言葉のどことなく胡散臭さが感じられる点が実に効いている。作者自身もこの「キャリアアップ講座」が本当に役に立つのか、半信半疑なのではないかと感じられた。


人の死は
ほんのしばらく
いのちの
はかなさを
諭す

リプル
210-211p.

 二行目、「ほんのしばらく」がまさしくその通り、と膝を打った。人の死は「自分の人生もいつか終わる」ということを最も端的に実感する出来事だ。このお歌の通り、訃報に触れたり、葬儀に参列したりすると、故人を偲ぶ気持ちと共に、自分の人生を今一度見直そうという気持ちになることも多い。だが、そういう気持ちが本当に自分の生き方に大きな影響を与えるかというと、ほとんどの場合そうはならない。ほんのひとときの命の儚さに感傷的な気持ちになるものの、気が付くといつもの日常の忙しなさに追い立てられ、また元の鈍感で無神経な生き方に戻ってしまう。このお歌の良いところは、そうした人間の特性を責めたり、ダメ出ししたりするのではなく、「そういうものだよ」といった感じでどこか受容しているように感じられる点だと思う。読んでいて優しい口調で諭されているような気分になった。


ランチセットの
コーヒーに
小さいお菓子が
付いていると
午後はとても幸せ

茶わん
232p.

 とりとめのないことを、とても素直に歌っていて、それがとても素晴らしい。ささいで、かけがえのない日常を上手に切り取られていると思う。ランチセットは、お店にもよるだろうが、それだけですでにお得感があるメニューであることが多い。メインの料理の他に、サラダやスープ、ドリンクが付いたりする。そのドリンクのコーヒーにさらに、おそらくはメニューには載っていない、小さいお菓子が付くというのだから、これはもう期待以上の嬉しさというもの。お菓子はそんなに大層なものでなくていいのだ。小さいクッキーとか、チョコとか、安売りの袋菓子を小分けにしたものとかでまったく問題ない。とにかく、コーヒーにアテがあるということで、嬉しい気分になれる。幸せの持続期間が「午後」というのも絶妙でリアリティがある。


心の渇きが
止みません
それを埋める
術さえ
思いつきません

大橋克明
273p.

 ご自分の心の裡をストレートに詠われていてとても惹かれた。心の渇きが止まないことを自覚しつつ、それを埋める方法も思いつかない、というとてもシビアな状況を詠われている。こういう歌に対して、ありきたりの励ましなどは書きたくない。筆者の立場から、もっともらしいことをあれこれ書いたとしても、あまり意味は無いように感じる。心の渇きは作者自身のものであり、本当の意味で状況を打開できるのは作者だけだからだ。突破口があるとすれば、心の渇きととことん向き合って、作歌の糧とすることだろうか。ネガティブな気持ちは、創作にとっては良い原動力であり、ハッピーな気持ちより何倍も燃焼効率の良いガソリンだ。作者の今後の作品を楽しみに待ちたい。


九十二歳の母は
会うたびに
綺麗になっていく
生まれ変わる
準備をしている

藤田典子
276p.

 なんという素敵な歌だろうか。このお母様に是非一度お目にかかりたくなってしまう。四、五行目がまた素晴らしい。92歳という年齢ながらおそらくご健康に過されているお母様がいて、そのお母様が日ごと綺麗になられているように感じられ、また、そのことをこんな風に表現できるという、素晴らしさの惑星直列のような、奇跡みたいなお歌ではないだろうか。間違いなく名作。読んでいて目が覚める思いだった。


中島みゆきを熱唱する
浪人生
励ますつもりが
負けじと唄う
ばあちゃんのすがた

神島宏子
286p.

 これはなんと言っても「中島みゆき」が効いている。これが「松任谷由実」や「竹内まりや」では成立しない。いや、成立はするかもしれないが、このお歌の持つ迫力は出ないだろう。中島みゆきの歌の持つ、不器用に生きる人へのあたたかい眼差しは、浪人生にはさぞ沁みるに違いない。筆者も彼女の歌のファンである。負けじと唄ってしまうばあちゃんの姿にも大いに共感した。言葉での励ましより、カラオケでの熱唱で心が通じ合える瞬間もある。浪人生とばあちゃんのお二人の関係性に拍手を送りたい。



(了)



[21] 作品評(2019年11月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2020年 5月14日(木)17時51分52秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

どんなに
独房を
共有しようとしても
そこには
あなた一人しかいない

憂慧
6p.

 「あなた」が誰を指すのかで、解釈が変わってくるであろうお歌。歌から読み取れるのは「あなた」は「独房を共有しよう」としている存在であるというだけである。「独房」を言葉通り解釈するなら、何らかの罪を犯して刑務所のようなところに居る人ということになろう。「あなた」がその境遇を「共有しよう」としているとは、一体どういうことだろう。何かの比喩のようにも思える。例えば、大きな事件を起こして捕まっている人が自身の考えを正当化したり、共感してもらおうとしたりする行為のこと指すのかもしれないと思った。そうした行為に対して、その考えを是としない、きっぱりと拒絶するような作者の姿勢がよい。「あなた」がいま「独房」に居るということ、それ自体が「あなた」がしたことの答えなのだよ、と言うかのような冷静な視点に惹かれた。


何十年も
何の努力もせずに
才能ないもんなあと
言っている馬鹿は
この私です

樹実
14p.

 どこまでも潔いお歌だと思う。私もよく、すごい人のお歌を見て打ちのめされ、「どうせ自分には才能がないしなあ」などと思ったりする。そうした自分をあれこれ言い訳することなく、「何の努力もせず」「馬鹿」と切り捨ててみせる思い切りの良さに清々しさを感じる。これは逆説的にほんとうに才能のない人には書けないお歌ではないか。これほどシビアな自己批評と現状認識が感じられるお歌もなかなかない。


二度手間
三度手間
たくさんの人に
かけてもらって
育ってきたよ

芳川未朋
21p.

 周りの人たちに丁寧なサポートのおかげで成長できた人物のことを詠っている。この「育ってきた」主体が作者ご本人なのか、あるいは作者の近しい誰かなのか、二通りの解釈ができそうなお歌だが、この歌の魅力はその解釈に左右されないところにある。つまり、どちらの解釈であろうと周り人たちへの惜しみない感謝が滲み出ているし、おそらくはゆっくりとしたペースで成長してきた主体のことを恥じることなく、慈しんでいることが伝わってくる。簡単な言葉でサラッと詠われているのに、読み手はしっかりとした満足感が味わえる。流石と言うしかない。


蝶々年取りゃなんになる
ボロボロ羽の蛾になるさ
蛾 年取りゃなんになる
悲しい瞳の夜鷹になるさ
夜鷹 年取りゃ石になり
ずっと黙ってそのまんま

三隅美奈子
63p.

 挑戦的で意欲的なお歌。読んでいて、着物を着た浪曲師が三味線で弾き語りをしている様子がイメージとして浮かんだ。蝶々が、蛾になり、夜鷹になり、最終的には石になるというのも普通ではありえないことなのに、寓話のような語り口と綺麗に揃えられた文字数のためか、何とも言えない説得力で読み手は納得させられてしまう。こういうお歌が発想できるのがまず素晴らしいし、文字数や行数にも試行錯誤の跡が伺える。評価されるべきお歌だと思う。


みんなの心が
ステーキのように
机に置かれているから
おいでよ
歌会へ

鳴川裕将
75p.

 歌会の魅力を絶妙な比喩で表現されていて惹かれた。「歌会へ行こう!」がテーマの五行歌コンテストがあったら、この歌が優勝作品ではないだろうか。歌会参加者の皆さんの心を、「ステーキ」というご馳走の代名詞のような料理に喩えられている点が好きだ。そうなのだ。歌会での皆さんの歌は、皆さんの心であり、読み手にとってはご馳走なのだ。4,5行目の呼びかけるような、標語のような、まとめ方も効果的。


さびしさを
病いの夫に話さず
枯れた茗荷の
茎を
抜く

小原淳子
128p.

 おそらくは実景を詠ったお歌であろう。作者はさびしさを抱えているが、それを話したい相手である夫は病いを抱えており、それを受け止める余裕がないことを知っている。そこで作者はさびしさに耐えながら、「枯れた茗荷の/茎を/抜く」のである。「枯れた」という形容詞が付いていることが、作者の抱える「さびしさ」、夫の抱える「病い」があまり軽いものではないこと暗示しているかのよう。4,5行目の改行も胸が詰まるさびしさを丁寧に噛みしめるかのような呼吸が伝わる。名作だと思う。


婿にも父親にも
大事にされる
甘え上手な娘
蹴り倒してやりたいと思う
瞬間がある

大本あゆみ
129p.

 娘さんが甘え上手であり、配偶者や父親に大事にされているというのは、決して悪いことではないだろうし、むしろ歓迎すべきことのようにも思えるが、4,5行目の書きっぷりがリアル。女性同士の目線の本音を見た気がした。かといって、この母娘の関係は決して険悪であるわけではないと思う。甘え上手な娘さんは、きっと作者である母親とも良い関係を築いているように想像する。「蹴り倒してやりたい」というのは、あくまでふと頭によぎる瞬間的な衝動であり、基本的には「上手いことやりやがって」という軽い嫉妬と頼もしさが綯い交ぜになった感情が娘さんに向けられているように感じた。


「私は生きていていいの」
愛情を受けなかった子が
一生抱える
深い闇のような
自問

岡田道程
162-163p.

 ずしん、と重いものが心に残るようなお歌だ。愛情というものが何たるかについては、私はまだ答えを持たない。ただ、40年あまり生きてきておぼろげに分かってきたことは、子供の頃に身近な人間から愛情を受けることが、その後のその人の成長において、とても大切であるということ。そして、愛情というものは、何をどれくらいをどのように与えればよいというような、具体的な目安があるものではなく、「受け手が満たされなければ充分とは言えない」という極めてあやふやで曖昧なものだと感じる。だから、みんな手探りで試行錯誤しながらやるしかないのだ。充分な愛情を与えられなかった親も、また充分な愛情を受けられなかった子供時代を過していたのかもしれない。深い闇のような連鎖を断ち切ることが出来るものは何なのか。自問を続けたい。


あり一匹一匹
協力してる
人間も
そうできたら
いいですね

川越市立高階中学校一年
山口晃太郞
230p.

 一生懸命協力して働く蟻たちを観察して書かれたお歌だろう。絶妙なシニカルさが感じられて、人間を信じたらいいのか、信じたらいけないのか、値踏みしているかのような感性に惹かれた。最近の研究では、働き蟻の中にも一定数、休憩を取っている「働かない蟻」が分かってきているとか。適度な休憩を取りながら、連携を取って協力して、一人一人が一生懸命に働く。本当に人間たちも、そうできたらいいですね。


つい、夫への愚痴を吐露した
無神経な私を
ご主人を亡くされた友は
にこやかに にこやかに
聴いてくれた

泉 倫子
273p.

 状況が容易に想像でき、うっかりと悪気なく失言してしまう場面にも共感を覚える。4行目の「にこやかに」のリフレインも効いている。穏やかなご友人の人となりがお歌から伝わってくる。作者はご友人のことを思い遣っているからこそ、自分を「無神経」と責めているのだし、ご友人もそういう性格の作者が相手だからこそ、愚痴をにこやかに聴くことができたのだろう。やさしさの連鎖のような、せつなくも温かいお歌だ。



(了)



[20] 作品評(2020年10月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2020年 4月25日(土)19時37分53秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

創りながら
壊している
ほんとうの姿が
まだ
見えないから

永田和美
8p.

 大いに共感し、また勇気付けられたお歌。作者ほどの方でも、まだ自分のほんとうの姿というものは見えないのだな、と素直に感動した。創りながら壊すというのは、表現活動の基本である試行錯誤を指しているのだと読ませていただいた。私から見れば、すでに作者は確固たる作風を確立されているように思えるが、現状に満足することなく創作に向かう姿勢が、大きな刺激になった。


遺書にすら
検閲のあった
あの時代
特攻隊員の本音は
潮騒の中

いぶやん
18p.

 筆者は、特攻隊のことを取り上げたテレビ番組か何かで、年端もいかない少年達による「お国のために死んできます」というような立派な遺書が紹介されているのを見て、素直に「すごい」と思ってしまったが、よく考えてみればこのお歌の通り、遺書にさえ検閲のあった時代であったのだ。彼らの遺書の言葉を額面通りに受け取って、特攻隊を美談にするような行為は危険だと感じた。本当は「怖い」「逃げたい」「帰りたい」といった本音を抱えていたかもしれない彼らを、英霊ではなく、ひとりひとりの人間として認識することで、改めて平和の尊さが真に感じられるように思う。


の娘 の妻
の母 の祖母という
ペルソナ取れば
カオナシの私の
眠る真夜中

三隅美奈子
20p.

 人間は、各々の社会的役割を拠り所にして生きる動物であるということに男女差はないと思われるが、女性の場合、家庭内での役割が男性に比べてより重要視されやすいという現実があるのだろう。そのペルソナと自分を切り離したときに、作者は自分のことを「カオナシ」と詠う。これは、筆者がそれだけ家庭の中での役割を懸命に果たしてきたことの証左だと思う。同時に、自分本来の願望・想い・価値観などを必死に我慢し、抑えてきた悲哀も感じる。作者の境遇と重なる部分は多くはないが、歌を通じて作者の想いが想像できる。名歌とはこういう歌を言うのだろう。


友が
死んだ
ぐんぐん ぐんぐん
炎天を
歩く

秋山果南
23p.

 3行目の「ぐんぐん ぐんぐん」が秀逸。友が亡くなって、打ちのめされそうになる気持ちを必死で堪えようと、せめて歩調だけは力強くあろうという感情が伝わってくる。左右対称の形も綺麗で好み。友が自分にとってどういう存在であったかの描写はないものの、故人が大切な存在であったことが読み手に伝わる。


そのままに
在ればいい
歌一首
逃げ隠れできない
自分なのだから

酒井映子
42p.

 圧倒的な説得力。なかなかこのお歌の境地には達することができないので、色々と小手先で何とかしようとしたり、自分を取り繕ったりしてしまうが、歌には嘘はつけないということだろう。作者の歌を読むと、いつも「歌は背骨である」と思わされる。生き様というか、生きる姿勢が書く歌に表出するものだと感じる。大切にしまっておいて、時々読み返したくなるようなお歌だ。



学校でのイジメ
会社でのパワハラ
介護施設での虐待
ゆりかごから墓場まで
イバラの道の日本人

和からし
110p.

 イジメやパワハラや虐待は、何も日本人だけに限ったことではないだろうが、何となく日本ではそういった行為が陰湿化しやすいイメージがある。村社会の処世術が染み付いているせいか、自分が標的にされないために、あるいは自分達のストレスの捌け口のために、イジメやパワハラや虐待をどこかで容認してしまっている人も多いだろう。ニュースで見る他人事ならともかく、実際の現場にいたときに声を上げてこれらに「NO」を言える勇気がある人がどれだけ居るか。少なくとも私にはその勇気はない。そっと見て見ぬふりをする自信がある。5行目のまとめ方に、現実に対する諦観や憤怒とはまた違う、作者ならではの視点が感じられて惹かれる。


人気のタピオカドリンクに
三時間並ぶ少女たちの
知らない所で
水汲むために八時間も
砂漠を歩く少女がいる

嵐太
128p.

 タピオカドリンクという流行り物を取り入れた対比がお見事。事実のみを冷静に伝えて、何を感じるかは読み手に委ねるような淡々とした筆致が効果的だと思う。頭ごなしにタピオカ好きの少女達を否定していないところが好きだ。正しいこと、立派なことを述べる時には、その言い方・伝え方に注意しなければならないとつくづく感じている。相手の痛いところを突くような指摘は、あくまで丁寧に、高圧的にならないように伝えないと、相手の反発を招きかねない。その点、このお歌のスタンスは理想的ではないか。そっと事実を伝えて、読み手の気付きを促す。作者の人間性が伝わるお歌だ。


生を死が呑み込む前に
命は 命を
命に 手渡す
個体には死が
命には永遠が

岡田道程
145p.

 少々難解なお歌である。特に2,3行目の解釈が分れるところだろう。親から子、子から孫へと遺伝子やDNAを繋いでゆく、といった意味合いであるようにも取れるし、あるいはもっと観念的な意味合いで、命の神秘さについてのお歌のようにも思える。つまり、肉体というのは生命にとってあくまで容れ物に過ぎず、個体が肉体的な死を迎えても、命そのもの(あるいは魂のようなもの)は、新たな肉体へと受け渡されていき、生命自体は永遠と呼ぶべきものなのかもしれない。輪廻転生という言葉があるが、そういった世界観を連想した。完全に理解できたとは到底思えないが、とても惹かれるお歌だ。


一瞬で
ふきこぼれる
素麺に
集中力を
試されている

玉井チヨ子
217p.

 何気ない日常を切り取った描写が鮮やかで、非常に魅力を感じる。麺類の中でも短い時間で茹で上がる素麺は手軽で美味しいので、筆者も一人暮らしの時にはよく食べていた。沸騰したお湯の中に素麺を投入すると、一瞬、沸騰が静まるものの、このお歌の通り、ちょっと油断するとあっという間に吹きこぼれるのだ。まさに4,5行目の通り、集中力が試される場面だ。共感を覚えるとともに、些細な家事もきちんとこなそうとする姿勢に敬意を覚えた。


『あなたって
  そういう人よね』
はい
そういう人には
そういう人です

つるばみ
306p.

 「そういう人」が3回もリフレインされる、面白い歌。そういう人が具体的にどういう人であるかの説明はないものの、「そういう人」という言葉自体が持つどちらかと言えば否定的な「含み」のようなニュアンスと、お歌の文脈から、読み手はこの会話を交わしている二人がお互いにあまり好意的なイメージを抱いていないことを感じ取れる。人付き合いは鏡のようなもの、とよく言われるが、こちらが相手に悪意を抱いていると、それが相手に伝わり悪意を返されることが多い。もちろん、逆もまた真なりである。4,5行目のサバサバとした物言いが心地よく、痛快。


(了)



[19] 投稿をありがとうございます

投稿者: 旅人 投稿日:2020年 4月11日(土)18時59分40秒 ai126162177084.56.access-internet.ne.jp  返信

大島様、いつも作品票の投稿をありがとうございます。
本人が意識しない本当を詠んだ歌は心が震えます。大島さんが探し求めた歌を再確認しています。高樹さんとは不思議な縁で親しくなり歌集の歌評までお願いしました。村岡さん、酒井さんの歌は真実を突いて「お前はどうだ!」と迫ってきます。

緊急事態宣言から歌会も休会となってしまいました。AQ歌会事務局お疲れさまでした。この機会だからこそ紙上歌会をして歌会を続けていきたいですね。池上サロンも紙上歌会にしますので、どうかご参加ください。

そのようなときに紙上歌会は強いです。



[18] 作品評(2019年9月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2020年 4月 8日(水)15時01分33秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

納得のいく
たった
ひとつの
ことを
しよう

詩流久
88p.

 読んでいるこちらの背筋を正されるような、気持ちの良いお歌。日常を生きていると、時に簡単に答えの出ない複雑な問題に直面することもあるが、そんな時でも作者はきっと「自分が納得できるかどうか」を基準にスパッと判断を下されるのでは。格好良さに憧れてしまうと同時に、見習いたいと思わされる。


小さくて
大きな事業
伴侶を愛し
生涯
守り抜くこと

吾木香 俊
119p.

 未婚の私にはとっては、平伏すしかないお歌。パートナーを大切にすることを、「事業」と表現されたのが斬新で惹かれた。大切な伴侶と添い遂げることは、結婚した誰もが目指すところではあろうが、時に多くの困難がつきまとうことでもあろう。「事業」という言葉を決して大げさと感じさせない説得力が、このお歌にはある。


ぼくはみかん
はこのなか
みんなだんだん腐っていく
でもぼくは
ぜったい腐らないぞ

北里英昭
125p.

 一読するとユーモラスで可愛らしいお歌であるが、単なるみかんのお歌では無いだろう。社会詠であると読ませていただいた。みかん箱はモラルの低下した現代日本のメタファーであり、みかんはそこに住む人々のことを指しているのではないか。こんな時代でも、周りに影響されて腐ってなるものか、という作者(みかん)の心意気が伝わってくる。


心の真芯に
沁み込んで
鈴を鳴らすような
歌が
ある

高樹郷子
138p.

 歌とは、楽曲のことか、詩歌のことかは断定できないが、とにかく惹かれてしまうお歌。完璧と言っていいほどの完成度ではないか。まず、使われている言葉が悉く美しい。1~3行目の「心の真芯」や「鈴を鳴らす」という表現がお見事。4、5行目の思い切ったまとめ方もビシッと決まっている。文句の付けようがない名作。


愚かだと
誰もが解っていて
戦争は
なくならない
私も誰かを嫌っている

酒井映子
140p.

 なんと言ってもこれは5行目に尽きるだろう。告白じみた本音を堂々と詠まれているところに感心する。綺麗事や建前に依ることなく、人間と自身の本質を鋭く見つめる作者の視点は見事としか言いようがない。聞き心地の良い言葉ばかりを並べた方が、他人には好かれるかもしれないが、そもそも他人に好かれようとして詩作をしているのではない、という気概と覚悟が伝わってくるお歌だ。


もうすぐ
残照も消えて
黒い海は
波音だけ
吐く

パンとあこがれ
145p.

 日暮れ時の海辺の情景が浮かぶ。簡潔な言葉で情景描写をしているだけなのに、不思議と心に響く。「残照」「黒い海」といった言葉がどことなく寂しげなイメージを想起させるためだろうか。作者は元々海のそばに住んでいる方なのか、旅先の海なのか。作者はお一人で海を見ているのか、誰かと黙って海を見つめているのか。情報量が少ないために、かえって色々と想像が膨らむ。


豊かさ 貧しさ
恥じるのなら前者
たいがいは
自分以外の汗で
造られたものだから

村岡 遊
146p.

 自分の中に漠然とあった想いを、よくぞ巧く言語化してくださったというお歌。筆者は一人暮らしをしていた大学生時代はそれなりに貧乏だったが、幸いなことに食べるのに困るような本当の貧しさというものを体験したことは無い。日本という比較的豊かな国の、比較的豊かな家庭に生まれ、比較的豊かな生活をしてきた。それら全ては自分の力で獲得したものでは無く、単なる幸運によるものと言っていい。そうした「用意された豊かさ」に対する、罪悪感やコンプレックスのようなものを一時期よく感じていたものだ。もちろん自分自身で苦労して掴んだ豊かさは誇るべきであろうが、人の価値は「何をしてもらったか」ではなく、「何をしてあげられたか」で決まるのではないか。


絶交した
小姑と
和解する
夢を見た
不吉だ

島田綺友
158p.

 これも5行目が見事なお歌。4行目まで読み進めると、読んでいる方は「夢が正夢になるのかな」などと淡い期待を抱くが、それを一発で打ち砕くまとめ方が切れ味抜群。小姑さんのことを絶対に許さないという固い決意が伝わる。お二人の間に何があったのか想像が掻き立てられてしまう。酒井さんのお歌と同じく、決して自分のことを美化しない点に惹かれる。


こてんぱに
された帰り道
満月は
慰めてくれないから
一番苦いビールを買う

かおる
176p.

 「こてんぱん」じゃなくて「こてんぱ」なところがカワイイ。何かに打ちのめされた時、負けた時のお歌であろうが、不思議と敗北感ではなく、爽快感を感じるところが好きだ。確かに「こてんぱ」にされたものの、それは苦いビールを飲んで忘れてしまえる程度のことであり、そこから立ち直れる自分のことを信じて疑わない余裕が感じられる。「一番苦いビール」という表現も面白い。何となく第3のビールや発泡酒ではなく、プレミアムなビールを選んでいるような気がする。気分の落ち込みにかこつけてプチ贅沢をしていることもまた可笑しい。味わい深いお歌だ。


嫁も正論
姑も正論
どうしようもない
平行線
嫁が姑に変化するまで


302p.

 ものすごく好きなお歌。ひとつの真実を詠っているお歌だと思う。育ってきた世代も環境も違う、嫁と姑という存在。どちらかが間違っているわけではなく、お互いの言うことはどちらも正論であり、ちょうどいい距離を保つことはできても、決して交わることはできないという様を平行線に例えた4行目までが秀逸。これだけでも充分に素晴らしいお歌だと思うが、最後の5行目がさらにこのお歌を特別なものにしている。ご自身の立場が嫁から姑に変化することによって、かつての姑の立場や気持ちを理解できるようになったということだろうか。交わらないと思っていた平行線に交点は生まれるのか。そうした時の流れが愛おしく感じるとともに、かすかな希望を感じさせる。見事としか言いようがない。


夕方の街
人々は学生ではなくなって
会社員でもなくなって
ゆっくり
街に溶け込んでいく

中山まさこ
316p.

 夕暮れ時の人々が行き交う街の情景が浮かぶ。一日の務めを終えた人々が、家路を急ぐ、あるいはどこか楽しい時間を過ごしに行くところであろうか。そうした人々のどこか開放的で温かな雰囲気が伝わってくる。5行目の「溶け込んでいく」という表現が素晴らしい。会社や学校などにいる公的な時間ではなく、アフター5の私的な時間に「街に溶け込む」わけであるから、この「街」は繁華街あるいは住宅街ということであろう。断定はできないが、このお歌から感じる温かさからするに、ガヤガヤと騒がしい繁華街より、落ち着いた住宅街を想像した。


母の知らない
世界を見た
父の否定した
世界で生きた
覚悟に悔いなし

数かえる
323p.

 ご両親との確執、自分の道を生きた気概。そこはかとない寂しさと、現状を肯定する力強さが同居するお歌だ。自分の人生を生きるとき、両親のサポートが有るのと無いのとでは、だいぶ難易度が違う。物質的な援助はもちろん、精神的な援助が貰えないという点で、両親の否定する生き方を貫くのは並大抵のことではなかったはずだ。そうしたご苦労を経てなお、「悔いなし」と言い切る潔さに惹かれる。


(了)



[17] 作品評(2019年8月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2020年 3月 1日(日)19時45分45秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

「誠実」とか
「真剣」とかは
重いのかもしれない
捨てている人を
たまに見る

永田和美
9p.

 誠実さや真剣さを大事にして生きることは、確かに大切ではあるが、そうしていると自分に正直で居られる反面、誰かの些細な言葉に傷付きやすかったりする。それならば、「建前」や「体裁」を前面に出して生きるほうが、剥き出しの自分を触られることがない分、傷付きにくかったりする。たまに見る、どころか日常生活上では、「誠実」や「真剣」を捨てている人のほうが大半ではないだろうか。だが、大切な人や場面に直面した、ここぞという時であれば、話は別である。普段は引っ込めていてもいい「誠実」や「真剣」も必ず必要となる場面がある。そんなことを感じさせていただいたお歌。


教室に入れない子の
描く漫画を
黙って見ている
わたしも
寂しかった

小原淳子
10p.

 「教室に入れない子」へのあたたかな視線が感じられる。単なる共感ではなく、その子とかつての作者ご自身とを重ねられているかのよう。慰めや励ましの言葉をかけるのではなく、「黙って見ている」というスタンスが良い。そこからご自身の感情を吐露されている四、五行目が秀逸。こういう心持ちの大人がそばに居てくれるだけで、「教室に入れない子」はどれだけ救われていることだろう。


人に優しく
なりすぎた
社会に
馴染めない
私の優しさ

荒木雄久輝
14p.

 さりげない皮肉の効いた名作だと思う。「人に優しくなりすぎた社会」という表現で、パッと浮かんだのは「順位をつけない運動会」や「全員が主役の学芸会」など学校関係のことだが、こうした優しすぎる配慮は、本来ならばその場で主役となれる子の輝ける機会を奪うだけでなく、主役になれなかった大勢の子たちが、「じゃあ自分が主役となれる場所や機会はどこなのか」と自問自答するための契機をも奪ってしまっているという点で、子供たちを逆にスポイルしてしまっていると思う。成長は挫折や軋轢から生まれるのであって、生ぬるく弛緩した空気から生まれる訳では無いのではないか。作者の考える優しさというものをぜひ伺ってみたい。


私はたい焼き
型から漏れないように
がんばった
最近の人気は
外のカリカリ

山崎 光
24p.

 往年の名曲『およげ!たいやきくん』を彷彿とさせる。型に嵌まった人間としての比喩がたい焼きというのが面白い。せっかく努力して型に嵌まったのに、持て囃されるのは外のカリカリだという。「個性を大切に」と言いながら、型に嵌めようとする教育への皮肉も見て取れる。しかも人気があるのは、あくまで「外側」「外見」であって、肝心な自分の餡子の部分、つまり「内面」を評価して貰えないことへのフラストレーションも感じる。一見面白いお歌のようだが、読み解くほどに苦悩のようなものが感じられる味わい深いお歌だ。


悪い時代だからこそ
気高くと
きっぱり
娘に
諭される

西垣一川
26p.

 娘さんとの良い信頼関係が伝わってくる。悪い時代に流されるのは簡単だが、それを是としない誇り高さ。損得勘定だけを考えれば、時代に乗った方が良い面もあるのだろうが、目先の損得よりも大切なものがあることを作者や娘さんは知っているのだろう。正直なところ、悪い時代に流されまくっている筆者であるが、このお歌を目にして心が洗われる思いがした。


枝は
幹を育てる
人は
自分のうたで
育っている

中野忠彦
30p.

 枝は幹から生えるものなのに、「枝が幹を育てる」という表現が意外で目を引いた。だが、よく考えれば確かに、伸びた枝葉が太陽の光を浴びて光合成を起こし、その栄養を幹に還元しているわけで、実に的を射た表現である。そこから、人とうたとの関係へ飛躍させた三~五行目が素晴らしい。うたを書くことは自分と向き合うという面もあり、そのことが自分を成長させてくれるということは、実感として確かにある。自分の中に大事にしまっておきたいタイプのお歌である。


出れば

出なければ
悔い
たんこぶ覚悟

山碧木 星
32p.

 言葉遊びのようでいて、自らを鼓舞しているようでいて、実は大事なことを言っているような、軽妙さが心に残る。何かを表現すれば、批判を受けたり、叩かれたりということは避けられない。かといって、表現したいものを抱えながら、それを表現しないままでいるのも後悔が残る。「たんこぶ」という絶妙に可愛くて、絶妙に脱力しているワードを持ってきた五行目が秀逸。大好きなお歌である。


つまりは
引き受けるしかないのだ
それぞれの
比較しようもない
痛みというもの

伊東柚月
93p.

 一、二行目の導入から、グッと読み手の心を掴んでくれ、後半で皆が納得できるまとめ方をしている、格好の良いお歌である。この場合の痛みというのは、恐らく身体的なものではなく、精神的なもの(=心の痛み)を指すものとして読ませていただいた。よく、悩みを抱えている人に対しての陳腐な励ましの言葉として、「アフリカの飢えた貧しい子供たちに比べれば、今のあなたはご飯も食べられて温かい布団で寝られるんだから恵まれている」などと言われたりする。確かに一理はある励ましだが、個人的にはこの手の励ましは大嫌い。いつの時代にもその時代を生きる人間なりの悩みや痛みがあるもので、一様に他の国や時代と比べられるものでは無い。そもそも、「かわいそうな状況」の代名詞として引き合いに出されるアフリカの子供たちに失礼というもの。少し話が逸れてしまったが、結局はこのお歌が言うとおり、自分オリジナルの痛みと向き合い、引き受けるしかないのだと思う。他人との比較から解決のヒントは貰えるかもしれないが、決して答えはそこにはない気がする。


思いっきり
派手なメガネ
少し気が引けた
だあれも
気が付かない

山田逸子
100p.

 身に覚えがあることを上手にお歌にされていて、惹かれた。身に付けるものや髪型を変えたときなど、自分にとっては大きな冒険であるが、周りの反応が無かったりすると、ガッカリするもの。勇気を出して選んだメガネなのに、誰からも何も言って貰えず、そもそもメガネを変えたことにも気付いて貰えない落胆ぶりと、メガネを選んだときの自分の逡巡ぶりが少し恥ずかしくなってくる様子が伝わってくる。しかも、ここから先は邪推かもしれないが、「他人から見れば所詮自分も他人のうちの一人なんだから、自意識過剰にならずに堂々と自己主張すればよい」というような前向きなメッセージも感じられるところが好きだ。


云いたいことは
わかってる
わかってるけど
泣き止むまで
体温をちょうだい

稲本 英
146p.

 ストレートな表現に惹かれた。相手の意図を汲むことができるくらいには冷静であるが、それでも泣き止むために、相手の体温を必要としているというところがいい。自分の強さと弱さを充分に把握し、分別をもった大人にしか書けないお歌だと思う。シチュエーションや背景をあえて省いて「あなたを必要としている」という点にフォーカスを絞ったところが、色々な想像を膨らませられる余地を残し、訴求力のある作品になっている。


花を生け
香をたく
供養とは
残されたものへの
いたわり

井椎しづく
194p.

 作者ご自身に起こったことを知っている身としては、弔意を感じつつ、大いに共感したお歌。近しい肉親を亡くされた時のお歌だろう。故人への供養が、故人のためではなく、むしろ残されたものへのいたわりであると詠われている。儀式とか供養というものの本質を言い当てていると思う。宗派は違えど、聖歌やお経の類いも唱えるものの精神を平静に保つためのものであろうし、上手く泣けない人にとっては、泣くことの代償行為として、それらが機能している面もあるだろう。祈りも、弔いも、本質的には残されたものの心の平穏のためのものであり、「故人のいない明日」を生き抜くための一つの区切りを設けるためのものであろう。大切なことに気付かせてくれたお歌だ。


(了)



[16] 作品評(2019年7月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2020年 1月19日(日)20時01分12秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

 1月11日には、2020年関東新年合同五行歌会に参加してきました。お久しぶりな方、初めましての方、いつもお世話になっている方など、色々な方々にお目にかかれて嬉しかったです。全体歌会の方は相変わらず泣かず飛ばずでしたが、小歌会では2席になることができて、嬉しかったです。ご一緒した方々、ありがとうございました!

 さて、だいぶ間が空いてしまいましたが、2019年7月号のお気に入り作品を紹介させていただきます。

善いことをしても
してなくても
二時間で
人は
灰になる

佐々野 翠
14p.

 火葬場にて着想を得られたお歌だろうか。そうすると作者は身近な方の死を体験されたのであろうが、そのことに対する作者自身の感情がほとんど伝わってこない、淡々かつあっけらかんとした筆致がこのお歌の魅力だと思う。生前、善い人間であろうとなかろうと、物理的に人間は燃やせば2時間で灰になるという事実。果たしてそのことは作者にとっての救済なのか、あるいは受け入れがたい現実なのか。考えさせられる余地と静かな余韻がある名作だと思う。


トップは
孤独なもの
きょうも一人で
社食のうどんを
啜る

嵐太
23p.

 サラリーマン社会では、アゴで使われる平社員も、上司と部下の板挟みになる中間管理職も、嫌われ役をこなしつつ様々な事項について判断を下さないといけない管理職も、それぞれに悲哀があるもの。基本的にいつの時代も組織の中で偉くなればなるほど、孤独になっていくのが常。作者自身が会社のトップで在られるのか、あるいは社員食堂でうどんを啜るトップの方を見かけての歌なのかは判断がつきかねるが、会社生活の一コマを上手く切り取った作品であり、一社会人として惹かれた。


こころとことばが
くっついている
こどものことば
やがて はがれて
おとなの言葉に

世古口 健
38p.

 これはもう発見と言ってもいいくらい「ひとつの真実」を言い当てているお歌ではないか。子供の言葉には、その一つ一つに「ああしたい」とか「こうしてほしい」とかいう気持ちがシールのようにくっついている。欲求や願望と言い換えてもいい。赤ちゃんの泣き声に「おなかすいた」や「ねむい」といった欲求が隠れているのと同様に、幼い子供は自分の欲求や願望を親や周りの大人に叶えて貰うことを目的として言葉を発する。大人になるにつれて「こころのシール」が剥がれた言葉を使うようになるが、注意深く見ていくと大人の言葉にもわりと心がくっついている時も多いのかもしれない。そんなことを考えさせられたお歌。


誰にも
叱られない処に
隠れていると
腐って
しまうのだよ

芳川未朋
44p.

 誰も自らすすんで叱られたくはないが、腐らないためには、叱られる状況に身を置くことも大切だとこのお歌は詠っている。「叱られない処」が、具体的に何を指すのかは読み手によって変わるだろう。個人的にはパッと不登校や引きこもりのようなイメージが浮かんだが、単純にそれらを批判しているようなお歌であるとは思えない。間違っているかもしれないが、独善的な読みが許されるなら、「叱られない処に隠れている」とは、「表現活動を行っていながら批判を恐れてそれを外部に発信しない人」の比喩ではないかと考えている。自分の創作したものを発信しなければ、批判を受けることもないし、他の誰かと比べられることもない。自分でひそかに趣味として楽しむために創作するというスタイルもありだろう。ただ、それは外部からの刺激を受けることもなく、表現者として成長するスピードも遅くなってしまう。批判を恐れずに、同好の士と切磋琢磨することの大切さを説いているお歌なのではないかと感じた。


どこかで
自分を
認めているから
なんとか
生きている

風子
137p.

 「どこかで」と「なんとか」の使い方が上手い。作者はきっとご自分に対して厳しい視点を持っている方なのだろう。具体的にご自分のどこを認めているのかには言及しないところが奥ゆかしくて好きだ。そうやって自分をどこかしら認めているからと言って、生きるのは簡単ではなく、やっとこさ生きているというような表現。これがまたいい。自己肯定感の低さと不器用さが滲む。自分のストロングポイントを自分で認識し、それを上手くセルフプロデュースしている人も魅力的だと思うが、個人的にはこういった慎ましやかな人に共感したくなる。


つぶあんと
言ったでしょうよ
こしあんだって
あんパンでしょ
大切な夫婦喧嘩

窪谷 登
166p.

 とりとめのない夫婦のやりとりがあたたかく、面白い。「つぶあん」と「こしあん」の違いにこだわるところも微笑ましくて好きだ。筆者はどちらでも美味しくいただく派だが、違いが気になる人も確かに存在するようだ。そこから夫婦喧嘩が始まってしまうわけだが、五行目に「大切な」とあるため、これは夫婦喧嘩と言いつつも、実質はこのご夫婦のいつも通りのやり取りであり、決して深刻なものではないことがわかる。むしろ、作者はこうした夫婦間のコミュニケーションに価値を見出しているのであり、喧嘩の話かと思ったらのろけ話だったかのような、「心配して損した、ごちそうさま」という気持ちにさせる軽妙なお歌だ。


「運」に
寄りかかれば
倒れる
あくまでも
道標

中野忠彦
178p.

 納得させられるお歌である。「運」というのは不思議なものだと思う。苦難や困難の最中に幸運に救われたというような経験もしたことがあるが、かといってそうした幸運を頼ったり、甘えたりしてはいけない。幸運を、「あって当たり前」と思った瞬間、運というのは逃げていくような気がしてならない。四、五行目の「あくまでも/道標」という表現が非常にすとんと胸に落ちる感じがする。


わたしは
人間ではないような
気がする
ときどき人間に
もなるが

今井幸男
204p.

 自分の姿というものは鏡越しでなければ、自分で見ることができない。それゆえに人間の中で暮らしながら、自分だけは人間ではないのではないかという疑念は、古今東西、様々な表現者が向き合ってきたテーマであると思う。ある意味、使い古されたテーマでありながら、この歌が新しさと説得力を持っているのは、四、五行目の「ときどき人間に/もなるが」という自由さと、作者のキャラクターの為せる業かもしれない。


メンタルは
豆腐並みなんだって
弱いけど
柔らかいなら
良し

唯沢 遙
207p.

 「豆腐並みのメンタル」とは、精神力が弱いことの比喩としてよく使われる表現だが、それを逆手にとって豆腐ならではのストロングポイントを主張する後半三行が見事。まさしく柔軟性がキラリと光るお歌だ。私もメンタルが強い方では無いので、こんど自分の気持ちが折れそうになったら、この歌のことを思い出して、乗り切りたいと思う。弱くても、カチカチに固まった心より、柔らかい心を持ちたい。


自分が
燃えて
自分の
居場所を
照らす

伊藤赤人
215p.

 「天辺の歌人たち」より。寡聞にして作者のことをこの記事を読むまで存じ上げなかった。抜群の歌の良さに、がつんとやられた気分になった。記事ではいくつかのお歌が取り上げられていたが、中でもこのお歌に惹かれた。歌には生き様が滲み出る。自分が果たしてここまでの覚悟と自負を持って、歌を書いているのか、と自問自答せずにはいられなかった。今はまだ未熟で甘っちょろい私だが、いつか作者のような歌を書いてみたい。


誰かにとって
特別な人で
ありたい
症候群
です。

いわさきくらげ
220p.

 独特な文体と世界観が魅力な作者。短く簡潔な言葉を使いながら、読み手のイマジネーションが膨らませるようなお歌が多く、その才能に注目している。このお歌も簡単なことを詠っているようで、なかなか一筋縄ではいかない。誰かにとって特別でありたいというのは、多くの人が思っている自然な感情のように思うが、そこにポンと置かれた「症候群」という言葉、これが効いている。人間としての自然な感情が、病名を表すような仰々しい言葉と合わさることにより、色々な想像が膨らむ面白いお歌になっている。行が進むにつれて、だんだん小声になっていくかのような、文字数の並びも効果的。


「ピカにおうとらんのなら
だまっときんさい」
引き揚げ体験は
小学二年で
封印された

ともこ
275p.

 「戦争と五行歌」より。終戦後の朝鮮からの引き揚げというこの世の地獄を体験しながら、引き揚げ先が被爆地・広島だったことから、それを誰かに伝えることさえ許されなかった過酷な運命。想像を絶するような苦しみだと思う。命が粗雑に扱われる戦争の恐ろしさは歳を重ねるほどに身に染みて分かってくる。多種多様な価値観はあって然るべきだと思うが、戦争だけは肯定してはならないと強く思う。


生きるために と
飲みこんできた
女たちの物語は
寿ぎのかげで
今も地を這っている

宮崎史枝
299p.

 見過ごすことができなかったお歌。色々な解釈が成り立ちそうなお歌であるが、筆者は男性中心の社会に対する警鐘と、押し込められてきた女性たちのしたたかさを強く感じた。後半三行は出色だと思うが、「女たちの物語」と詠うことにより、一個人の女性というより、同時代を生きる多くの女性、あるいは世代を跨いだ幾人もの女性たちのことを指しているように感じられた。男性優遇の社会の裏で、我慢を強いられている女性が数多くいるという現実。目を背けてはいけない何かを伝えてくれているお歌だと思う。


樹木希林の
いない日本映画は
キリンの
いないサバンナよりも
さみしい

漂 彦龍
310p.

 作者ならではの映画愛滲む名作。「希林」と「キリン」がかかっていることにクスリとさせられつつも、樹木希林さんへの等身大の追悼歌にもなっている。私はわりと晩年の希林さんしか存じ上げないが、清濁併せ呑んだ老婆を演じさせたら、右に出る者はいなかった印象だ。あの方にしかできない役が今までにも、これからにもたくさんある気がしてならない。


<恐怖>
子供 僕は幽霊が怖い
妻  私は戦争が怖い
夫  僕は女性が怖い
幽霊 私は人間が怖い

巨橋義顕
324p.

 実験的な作品であるが、個人的にはとても好み。一行目をタイトルに使うという発想がまず面白い。内容もよくできた絵本や寓話みたいで、気が利いている。このフォーマットを使って、一首書いてみたくなった。まだまだ五行歌は色々な可能性があり、試されていないことが多くあるのかもしれない。そんな気持ちにさせてくれたお歌だ。


(了)



[15] 作品評(2019年6月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年10月13日(日)23時01分18秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

結局
己と向き合うのが
一番飽きない
道楽である
極めて死のう

金沢詩乃
p.20

 表現の根源をズバリと言い当ててくれる、気持ちの良いお歌。己と向き合い、出てきたモノを表現するというのは、突き詰めれば「道楽」であるという認識が素晴らしい。決して「生業」や「仕事」ではないのだ。何より自分が楽しむためにやっているのだと思うだけで、読んでいるこちらの気持ちも軽くなるような、力のあるお歌だ。「死のう」と言い放って終わるお歌なのに、ちっとも暗い印象は受けないところもいい。


どうやら私は
馬鹿ではないらしい
と思う程の
どうやら私は
馬鹿ではあるらしい

漂 彦龍
p.21

 ややこしくて可笑しいお歌。きっと作者の心には、自己否定と自己肯定の薄い膜がミルフィーユみたいに交互に積み重ねられているに違いない。自分を「馬鹿じゃない」と思えるほど脳天気ではいられないが、心の底から「自分は馬鹿だ」と割り切れるほどプライドは低くない。不器用さ、生きづらさ、といった言葉が思い浮かぶ。しかし、作者はそんな自分自身を卑下することもなく、過信することもなく、ありのままの逡巡自体を表現として昇華してみせる。力みの無い凄味を感じるお歌。


はしっこで
文句を言ってる
気楽さよ
いつまでも私
弱者でいたい

王生令子
p.83

 自分の狡さを指摘されたようでドキッとしたお歌。誰しもが思い当たる節のある指摘ではないだろうか。例えば、政治家や上司について文句を言うとき、文句を言えるのは責任が無い者の特権であるとも言える。自分が何か決断をして、物事を決めていかねばならない立場にあれば、誰からも文句を言われないようにするのは不可能であろう。狡さを認識したうえでなお、「弱者でいたい」と詠っているところが心憎い。


現実は
逃げられない
から
もう一つの世界で
遊ぶ

鮫島龍三郎
101p.

 特集「病院日記」より。作者を存じ上げている身としては、ショッキングなお歌の数々であったが、特集の最後を締めるこのお歌に特に惹かれた。逃れようもない大変な現実からの逃避としての「もう一つの世界」。五行歌のような表現活動もその一つであろう。詠い込まれている想いは、決して軽いものではないはずだが、何かを達観したような軽やかな筆致が素晴らしい。


涸れながら
まだ
なまぐさい
月を
抱く

小沢 史
134-135p.

 幻想的で官能的。独特の文体とリズム感をお持ちの方だとお見受けした。3~5行目の表現が好きだ。「月」が何の比喩なのかによって、解釈がだいぶ変わってくるお歌だと思うが、自分は何となく「月」は「小さな子供」や「みどりご」の比喩のような印象を受けた。水分が多く透明感のある肌をした幼子を「月」と表現したのではないか。全然違っていたらすみません。


40億年後も
逢えたら良いね
憶えていてね
よろしく
あいらぶゆう

牛乳瓶の底に残った
わずかばかりの
魂の破片
「死んではいないよ」
僕を見上げた

都築直美
143p.
319p.

 自分の血肉を削り出しているかのような迫力と、どこか愛嬌のある、人を食ったような発想の面白さとが同居する、作者のお歌のファンである。1首目、最後の1行がよい。英語でもカタカナでもなく、ひらがな表記なのが絶妙。2首目、瓶の底に残る牛乳と、自分の魂に宿る生命力のようなものがリンクする。どちらもスケールが大きく力強いお歌だ。


「群れる」意識
よりも
「群れない」不安
に依って
我々は動かされている

甲斐原 梢
174p.

 鋭い批評眼が光るお歌。集団意識のようなものを上手く捉えている。「集団に属したい」という積極的な意識より、「どこにも属していない」という不安の方が、多く場合、強烈だ。筆者も2年ほど前は無職でいた時期があったが、その時には確かにどこにも属していない心許なさを感じていたように思う。人間は社会的な動物であり、孤独・孤立は即、「死」に繋がる。そのため、根源的にそれらに恐怖を感じるようにインプットされているのだろう。


うまくいかない時に
感謝するのは難しい
人を
恨まないようにすることで
精一杯

樹実
176p.

 これは本当にその通りだと思う。よく「どんなときでも感謝を忘れずに」などと、言う人がいるが、自分の心に余裕がないときに、他人に感謝をするのは並大抵のことではない。筆者などは、「うまくいかないのは誰かのせい、うまくいったときは自分のおかげ」をモットーに生きているが、作者はうまくいかないときでも、人に感謝しようという姿勢は持っており、それがすでに凄いと思う。さらに、感謝しようとしてもうまくできない自分の正直な気持ちを吐露しており、その衒いの無さも素晴らしい。読めば読むほど好きになるお歌だ。


ことだまを
ゆすってみる
もよら もよら
その よいんのなかに
たたずむ

柳瀬丈子
176p.

 頭で理解するのではなく、心で感じるタイプのお歌だと思う。3行目、「もよら もよら」が何とも心地よい。5行全てがひらがな表記なのも相まって、お歌全体からリラックスを促すアルファ波が出ているかのよう。4、5行目がまさしくこのお歌の読後感を表していて、読み手は心地よい余韻をじっくりと味わうことができると思う。


いぢわるが
過ぎた日
つり銭は
募金箱に
投入する

芳川未朋
203p.

 「いじわる」でなく、「いぢわる」なのが何とも可愛らしく、小憎たらしい。「いぢわる」はきっと、陰湿な嫌がらせのようなものではなく、愛情の裏返しのような微笑ましいものなのではないだろうか。自分でそれがちょっと行き過ぎだったなと自覚のあるような時に、埋め合わせのように小さな善事を行うところが、ますます可愛らしい。


失望をしても
しずかに別の道へ
方向転換するだけ
度を過ぎた期待は
していない

今井幸男
275p.

 人間関係における気の持ちようとして、大いに共感する。他人への過度な期待は、たとえそれが恋人や肉親であっても、あまり良い結果を生まないように思う。相手への期待が大きければ大きいほど、それが裏切られたときに相手を責めてしまいがちだが、本当は誰も自分の期待に応えるためだけに生きているわけではない。作者はそのことを充分に解っているのだろう。


もっと人を信じろよ
もっと人を疑えよ
もっと考えろよ
もっとなにも考えないでいろよ
どっちなんだよ はっきりしろよ

伊藤雷静
290p.

 「中学生の五行歌」より。作者にはもはや、○○中学校○年というような肩書きは必要ないだろう。すでに立派なうたびとだと思う。正直に告白すれば、4月号に載っていたお歌を読んだ時から作者のファンである。何を信じ、何を疑い、何を考えればいいのかわからない、焦燥感のような感情が上手く表現されている。一度作者と話がしてみたい。


ひくことも
こもることも
いつでもできる
しかしぼくは
できることはしないのだ


山川 進
319p.

  人生においては、時には痛みや辛いことから逃げることも必要な時がある。おそらく作者もそれを承知の上で「ぼくは/できることはしないのだ」と詠う。この勇気に溢れた宣言に痺れる。私も色々なことから逃げて、逃げまくって、引きこもっていた時期が長かった。それらが全て無駄な時間だったとは思いたくないが「逃げ」は癖になり、また、逃げ続けていると、居場所はどんどん狭くなる。ならば、逃げるのは最後の手段に取っておき、できないこと、やったことのないことにどんどんチャレンジしていくことが、自分の人生を豊かにしてくれるだろう。勇気づけられたお歌。感服するしかない。

(了)



[14] 作品評(2019年5月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 9月 6日(金)21時22分48秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

違和感に蓋をして
口角あげて
背中で中指たててる
そんな自分に
ゾクゾクするわ

自分で自分を
騙している
自覚はちゃんとあるから
大丈夫
まだ冷静だ

稲本 英
22p.
228-229p.

 どちらも「自分で自分を騙している」ことについて詠っているお歌だと思う。面白いのは、どちらも「自分を騙している自分」を「さらに客観視している自分」の目線で詠われていること。前者はそんな自分に恍惚としており、後者は少し正気を失いかけている様子が見て取れる。作者に自分を騙すことを強いている存在が何なのかまでは読み取れなかったが、独特の魅力を放つお歌達だ。


ほんとうに
よいことばは
たぶん
どこぞでだれぞが
すでにつことる

高原郁子(こうげんかぐわし)
38p.

 確かにその通りだと思う。誰かの人生の糧になるような「本物の良い言葉」はもうすでに誰かが紡ぎ、残していることだろう。でも個人的には「誰かにとって必要となる言葉」というのは時代とともに変化していくものだと思う。だから、我々は、自分自身を含む、今を生きる人達に向けて、必死に言葉を紡ぐのだろう。結論ではなく前提として、大切なことを教えてくれたお歌。方言での表記も効いている。


暗黒の
未来に
なっちまったな
だが
それでいい

堀川士朗
127p.

 どこかデカダンスを匂わせる、破滅的で毒のある作者の書く五行歌が大好きであったが、作者は今号限りで五行歌の会を退会されてしまった。わりと筆者と年齢も近く、共鳴する部分も多かっただけに、ショックが大きかった。ほんの一瞬ではあるが、私も会を退会することを真剣に考えたほどだ。今後は表現するジャンルは変わってしまうが、これからもお互いに刺激を与え合えるような存在でいたいと願う。暗黒の未来で祝杯をあげたい。


虐待 ネグレクト
私にだって
その芽は
潜んでいると思った
子育て時代

村松清美
164p.

 児童虐待のニュースが流れるたび、多くの人は加害者の残虐非道さを責め立て、「信じられない」「理解できない」と自分とは関係ない問題として捉えてしまいがちだと思う。しかし、このお歌は自分にも加害者になる可能性があったことに正直に言及し、虐待・ネグレクトといった問題を、特別な事情を抱えた人だけの問題ではなく、自分自身に引き寄せて捉えているところに、勇気と潔さを感じた。


信じよう
お互いに
失ったものを
与えられた
仲なのだ

しん
175p.

 「お互いに失ったものを与えられた仲」というのは色々な解釈ができそうだ。作者とその相手はわかりやすい関係性ではなく、色々あった仲なのだろう。それを具体的に説明することなく、簡潔な言葉で表現することで、読み手に想像の余地を残しているところに惹かれた。能動的な「信じよう」という一行で始まるところもいい。


悩む相手に
自分の古傷を
特効薬のごとく
語っている
ん、卑しいぞ

吉川敬子
189p.

 これは私もよくやってしまいがちなことなので、大いに共感した。悩みは人それぞれのはずなのに、かつて悩んだ経験がある人は、自分自身の経験談が、今悩んでいる人へのヒントになるはずだ、と信じて疑わないところがある。これは、私も善意のつもりで知らず知らずのうちにやってしまうことがあるが、悩んでいる当人からしてみれば、自分の悩みを相談したはずが、いつの間にか相手の体験談にすり替わっているのだから、「きちんと自分の話を聴いてくれていない」と感じる可能性もあるだろう。作者の仰る通り、こうした行為は卑しいのかもしれない。今後は気を付けようと思った。


毎年の
梅の香を
くぐり抜け
父の匂いの消えた
家に入る

三隅美奈子
222p.

 年月の巡りと、かつてそこに居た人の追憶とを「香り」と「匂い」とを用いて、非常に巧みに描かれている。まるで、良質の短編映画を観た後のような余韻が残る。お父上との別離からはある程度の年月が経ったことが伺え、感傷的でありながら、それでも季節がまた春に向かってゆくことの前向きさも感じられる。この塩梅がたまらない。


四百人の聴衆より
たった一人の暗闇へ
語りかける方が合っています
音訳再開
頑張れ自分

板東和代
233p.

 「たった一人の暗闇に語りかける」という表現に惹かれた。音訳については知識が無かったので、ネット検索で少し調べて知ったのだが、目の不自由な方達向けに、活字の本などを読み上げて録音図書などにまとめる作業のことのようだ。「暗闇」とは文字通り目が不自由なことも指しているのだろうし、心の暗闇のことも指しているのであろう。こうした取り組みはもっと広がって欲しいと思うし、私も作者を陰ながら応援したくなった。


ついに来たか
老々看護の
二人三脚
助け合い行くぞよ
ゴールまで

堀内 力
272p.

 社会問題ともなっている老々介護のことをあくまで、前向きに描いている点に惹かれた。「二人三脚」や「行くぞよ」という表現もいい。介護のゴールとは、すなわち人生の終わりに他ならないが、こういった達観した明るくて前向きな高齢の方の死生観に触れるにつけ、自分もこういう歳の取り方をしたいなあと思わされる。


貴方のせいだと花が言う
お前が悪いと風が言う
散らせる風も散りゆく花も
御互い引かれ合い縺れ合いながら
罪を背負ってこの世に生きる

辻 あい子
273p.

 「花」が女性、「風」が男性の象徴であろうか。ちょっと演歌調な世界観にも思えて、不思議な読後感を覚えた。「花が散る」とは破局の暗示のことか。それでも、花も風も、引かれ合い、縺れ合いながら、「罪を背負ってこの世に生きる」という。一筋縄ではいかない、オトナの男女観という感じがする。今までの五行歌の世界ではあまり類を見ない感性をお持ちの方だとお見受けした。今後も注目してゆきたい。


いつも
新しいいのち
今日は
あなたに
会った

草壁焔太
274p.

 何を言っても蛇足になってしまいそうな、流石と言うほかないお歌。そうなのだ。いのちは生きている限り、いつも今日が一番新しい。そのことを感じさせてくれるような「あなた」という存在が居て、その方に「会った」ということ。当たり前のようでいて、奇蹟のような巡り合わせ。ちいさな幸せを噛みしめて生きる様子が伝わってきて、あたたかい気持ちになる。


彼の身体は
礼拝堂であった。
深奥な喉から
高い鼻の塔を抜け
呼吸は歌になった。

マイコフ
276p.

 作者については詳しく存じ上げないが、ちょっと日本人離れした感性の持ち主だと感じる。英詩の日本語訳を読んでいるような感覚にも陥る。句読点の使い方も効いている。構成も言葉選びも巧みで、荘厳なイメージを読む者に抱かせる。最後の「呼吸は歌になった。」という締め方も好み。


グリムスパンキー
「大人になったら」
久々に感じた
この衝撃
まさに私の青春

加藤温子
324p.

 まさか雑誌『五行歌』でGLIM SPANKYの名前を見る日が来るとは!GLIM SPANKYとは、筆者もファンである二人組のロックユニットであるが、その中でも「大人になったら」という曲を選ぶあたりが、実にわかってらっしゃる、という感じ。筆者はもっとポップな「リアル鬼ごっこ」という曲が一番好きなのだが、「大人になったら」はスローテンポで過ぎ去りし青春を歌っている名曲だ。好きなアーティストのことをストレートに詠っているところがよく、アーティストを知っていると余計に共感できて二度美味しい。書いてくれてありがとうございます、と言いたくなるお歌。


(了)



[13] 作品評(2019年4月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 8月14日(水)10時06分49秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

霞を食べる
仙人を
見習え
刹那を食らう
凡人たち

山崎 光
15p.

 「凡人たち」に当てはまる心当たりがあり過ぎる身としては、ドキッとさせられたわけだが、この歌の凄いところは、こういったお説教めいたことを詠っているにも関わらず、読み手にまったく言っていいほど、不快な気持ちを抱かせない点。むしろ読んでいて、ある種の清々しささえ感じさせるから不思議だ。実はこういった「偉そうな歌・上から目線の歌」というのは難しい。一歩間違えると、お説教臭さが鼻につく歌になってしまいがちだからだ。これはあくまで想像だが、この歌は今を生きる人々への警鐘であると同時に、作者自身の自戒の念も込められているのではないか。作者の歌を作る際の「姿勢の良さ」が感じられるから、伝えたい想いがすっと読み手に届く。これは間違いなく才能のなせる業だ。



八方塞がりの
壁が崩れたのは
最後は死ねばいいんだ
と 立ち上がった


酒井映子
20p.

 どこにも出口が見当たらないような状況の中で、苦悶の末、生への執着さえも手放したことで、状況を打破したという経験が力強い筆致で描かれている。人間、気持ちが弱気になり、保身や体裁を気にしていると堂々巡りに陥りがちだが、文字通り「死んだ気」になって物事に当たれば、望み通りとはいかないまでも、道が開けることが多いと思う。筆者にも似たような経験があるので、共感するとともに、勇気を与えてもらえるお歌だ。五行目が一文字だけになっているのも巧みで、どん底から立ち上がったまさにその瞬間にフォーカスが当たるとともに、歌全体がグッと締まる効果を生んでいると思う。



ママとギクシャクし始めた
女児10歳
よしよし
議論が
対等に近づいたってことだ

兼子利英子
38p.

 作者は女児の祖母だろうか。女児の成長を温かく見守っている視点に惹かれた。10歳ともなれば、そろそろ自我が芽生えてきて、いっちょ前のことを言い始めるころ。思春期の入り口と言ってもいい。色々と難しくなってくる子育ての一場面を上手に捉えていると思う。3行目の「よしよし」が包容力があって素敵。作者のような存在が居ることは、きっとママにとっても、女児にとっても、ありがたいことなのではないだろうか。



たしなみを
忘れない人の
胸の奥には
想うひとが
きっといる

吉田節子
149p.

 そうなのだ。胸の奥に想うひとがいる人は、めったなことはしない。大切なひとを悲しませたくはないから。大いに共感する一方、「想うひとがいない人」についても想いを馳せた。想像を絶するような恐ろしいことをしてしまう人は、もしかしたら、「誰かがいるべき胸の奥」が空っぽだったのかもしれない。でも、人は一人では産まれてこれないし、一人では成長できない以上、そういった人もまた、誰かの「想いびと」だったのかもしれないと考えると、堪らない気持ちになる。想うことは無力かもしれないし、想い返されることを期待してはいけない。それでも自分自身を保つために、誰かのことを想う。そういう生き方はとても尊いと思う。



植える前に
芽を出す球根
寒さを教えなければ
花は
咲かない

かおる
152p.

 球根のお歌だが、人間も同じなのかもしれないと感じた。最近自分が感じていたこととリンクしていたので、見逃せないお歌だった。球根にとっての寒さは、人間にとっては挫折や苦労ということになるだろうか。そうしたものを経験し、乗り越えた人間はやはり強い。だからと言って、すすんで挫折や苦労を味わえ、とは言えないが、一生そういったものとは無縁であることが、本当に幸せな人生と言えるのかどうか。色々と考えさせられた。



けっして
本物ではなかったのに
一番本物らしかった
初恋という


三隅美奈子
159p.

 本物の恋というものがどういうものか、未だに勉強不足でよく分かっていない筆者としては、作者に「本物の恋」について聞いてみたい気持ちになるが、そんなことはさておき、この歌にはある種の真理があるように感じた。初恋には、不器用、一途、ひたむき、といったイメージがある。そして、たいていの場合、成就しないことが多いように思う(※個人の感想です)。筆者は最近誕生日が来て、不惑を迎えたが、正直この歳になっても恋というのは「わけがわからない」ものだ。そのわけのわからないものに、勇気を持って体ごと飛び込んでいく姿勢こそが、初恋を本物らしく感じてしまう原因ではないかと思う。



いつの間にか
世界地図から
消えてしまった
事なかれ主義の


鈴木理夫
160p.

 今の日本の国としての有り様を痛烈に皮肉っていて、このままでは日本が消滅してしまうよ、と警鐘を鳴らすお歌であろうか。国というのはつまるところ、領土とそこに住む個人の集合から成るものであるから、事なかれ主義の国というのは、事なかれ主義の人々の集合ということになろう。大多数の日本人は揉め事を嫌い、平和を愛する国民性を持っていると信じているが、混迷する世界情勢の中、かつてのように受け身でいるだけでは平和は守れなくなってきていることを肌感覚で感じる。かといって、どう行動するのが良いのか、と問われれば、その答えは簡単ではない。自分の立場を明確にすると、他者との分断を生む。どうかこのお歌の憂いが杞憂に終わり、事なかれ主義の国々が世界中に増えればいいと、平和ボケの筆者は思う。



聴きながら皆
同じ顔 を思い浮かべてる
ハラスメント講習
ご当人を
除いて

明槻陽子
162p.

 現代的なテーマを痛快に詠まれていて惹かれた。ご当人という言葉のチョイスが絶妙。何処の職場にもお一人くらいは「ご当人」のような方がいらっしゃるであろう。ハラスメント講習を受けているご当人の心持ちやいかに。「自分には関係ない」と聞き流しているのか、多少は思うところがあって反省しているのか、はたまた別の誰かの顔を思い浮かべているのか。ハラスメントとは、大人の世界の「いじめ」であろう。ハラスメント対策においては、多くの場合、加害者に注意を促すという傾向にある。一方、話は少し変わるが、子供の世界のいじめにおいては、未だに「いじめられる側に問題がある」「もっと強くならないといけない」などと、被害者に責任があるかのような物言いがまかり通っているように思う。子供の世界においても、はっきりといじめの加害者に注意を促すようになって欲しい。



幻想を
常食する
種族に
生まれついた
というけだるい呪い

南野薔子
178p.

 なかなか解釈に迷うお歌だが、筆者なりに感じたことを書かせていただく。「幻想を常食する種族」とは、小説、漫画、映画、詩歌などの創作物を好んで読んだり見たりする人間であるということだろうか。そういったタイプの人間として生まれたことは、「けだるい呪い」であるという。筆者も創作物に触れるのは大好きな人間であるが、そういった人種のことを決して美化していないところが、逆に好感が持てる。全体から感じるどこか耽美的な印象も魅力的だ。



ぼくは
とべない鳥だ
みんなや家族は
とべて
ぼくはとべないみんなはとべて

明光小学校三年
北本恵太郎
206p.

 自分に自信が持てない男の子のお歌だろうか。読んでいて切なくなった。ありきたりは慰めは言いたくないが、どうか、書くことを続けて欲しい。それが五行歌でなくてもいい。作者の気持ちにみんなが気付けるのも、そこから何かを感じ取れるのも、ほんとうの気持ちを書いたらこそ。ほんとうの気持ちを文字にして書けるというのは、いつか作者の力になるはずだ。



決して
忘れているわけではない
言葉にするのが
困難なだけなのだ
戦争は

ともこ
231p.

 戦争経験者の方々も高齢になり、だんだんと戦争体験を語れる人は少なくなってきている。幼少のころ、夏に親に連れられて戦争体験の話を聞く会に行った覚えがあるが、退屈だし、怖いし、早く帰ってテレビゲームがしたいと思いながら聞いていた。今にして思えば、大変失礼で勿体ないことをしていた。語り手の方々はそれぞれ辛い思いと向き合って話をしてくれていたのに。辛い体験を言葉にして語れるのは、その体験をある程度自分の中で消化できているからだと思う。戦後74年が経っても、それすらできずに戦争体験を未消化のまま心に抱えている人がたくさんいるということだろう。



おばあさんは
散歩中の
保育園児の群れに
孤独を
そっと置いてきます

村岡 遊
259p.

 なんとも言えない余韻を残すお歌。歌の主体のおばあさんは、おそらく作者のことだと読ませていただいた。作者は、お散歩中の園児たちと遭遇し、そっと孤独を置いていくという。これは、楽しそうにお散歩している園児たちに、おそらくは孤独を体現しているような作者ご自身の姿から何かを感じ取って欲しいという想いが込められているのではないかと思った。しかし、相手は園児たちであることから、そもそも「孤独」がどんなものであるのか分からない子もいることだろう。ゆえに、この想いはさほど切実ではなく、「君たちにはまだわからないだろうけど、こういう孤独なおばあさんもいるのよ」というような、どこか余裕と温かな眼差しが感じられる。この匙加減がたまらなくいい。



ゴールしたいから
スタートに
就くのではない
スタートしたいから
スタートに就くのだ

高原郁子
275p.

 何かを始めるとき、最初から具体的な到達点を思い描く人もいるだろうが、それはどちらかと言えば少数派だと思う。例えば、歴史に残るようなスポーツ選手がいたとして、その人も最初にそのスポーツを始めたときは、「このスポーツで世界一になるんだ」という思いより、「そのスポーツが楽しくてしょうがない」という純粋な思いの方が強かったのではないか。端的に言えば、衝動は野心に優る、ということを伝えようとしているお歌だと感じた。最初の一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。自分のゴールを設定するのは、スタートを切った後でも構わない。何かを始める前にあれこれ皮算用してしまう筆者に喝を入れてくれるお歌だ。



嫌われる
疎まれる
あぁ歪んでいるから
面白がられる
愛される

今井幸男
291p.

 真ん中の行の「歪んでいる」ということ軸に、とある人達からは嫌われ、疎まれる一方、また別の人達からは面白がられ、愛されるという二面性が詠われている。同じ歪み、言い換えれば「個性」でも、受け止め方は人それぞれということだろう。これは考えてみれば、当たり前のことで、誰かから好かれている人は、同時に同じくらい別の誰かからは嫌われているのが自然なのだろうと思う。それでも人間は欲張りなので、できることなら多くの人に好かれたいと願うもの。いわゆる八方美人な人は、自分の歪みを上手に隠すとともに、自分を好きでいてくれる人を意識的・無意識的に取捨選択しているのだと思う。きっと作者はそういうことはせず、嫌われることを覚悟で自分の歪みをオープンしつつ、誰とでも分け隔てなく付き合う方なのではないか。この潔さに惹かれる。



しあわせを
何かに
たとえ
人に
嫌われよう

いわさきくらげ
311p.

 シンプルな言葉しか使われていないが、発想が面白く、解釈も難しいお歌だ。しあわせを何かにたとえる、というのはさほど悪い行為とは思えないが、それをすると人に嫌われる、と詠われている。しかも、それを承知で、自分から能動的に人に嫌われようとしているのが面白い。的外れになることを覚悟で、少し突っ込んだ解釈を試みると、しあわせに関するたとえ話をするというのは、おそらくは自分自身がしあわせな状態な時に行う行為だろう。作者自身のしあわせを何かにたとえて話すというのは、失礼だが少しキザな、分かった風な行為であることだろう。人間は妬みっぽい生き物なので、どちらかと言えば他人の幸せより不幸が好きなもの。ゆえに、自分のしあわせを何かにたとえるというのは、そういった人達を敵に回す行為だという自覚があるのだろう。そして、大事なのはそれを自覚した上で、すすんで自分の幸せを何かに喩えようとしている点。一読した時はつかみどころのないお歌だと感じたが、こうして読み込むと、肚の据わった力強いお歌であることがわかる。



よく考えてみると
僕は嘘ばかり
事実は話せても
本心は話せない
自分にすら話せない

川越市立高階中学校二年
伊藤雷静
358p.

 3、4行目に惹かれた。客観的な事実は話せても、自分の本心は話せないという。作者のことは存じ上げないが、どちらかというと他者とのコミュニケーションの際に、表面を取り繕ってしまい、体裁の良い言葉ばかりを言ってしまうタイプのお方なのかと想像した。会話していても、自分の本心が置き去りになってしまうので、当然それは楽しくないし、ストレスやフラストレーションが溜まってしまう。そういったことを続けているうちに、自分自身でも自分の本心というものが分からなくなってしまう。何とも苦しく、切ないお歌だ。しかし、こういった方は、裏を返せば、空気が読めて、他人を気遣えるやさしい心を持っているのだと思う。どうか、自分のことを卑下せずに、コミュニケーションの中に自分の「ほんとうの気持ち」を少しずつ出せるようになっていただけたら嬉しい。それと同時に、他の誰かの「ほんとうの気持ち」に敬意を忘れないこと。それさえ出来れば、会話というものは楽しく、ストレスが溜まるどころか、むしろストレス解消になることに気が付くはずだ。



人と出会って
成長した人は
別れても
成長出来るはず
がんばれ!

中村幸江
368p.

 気持ちいいほどの直球!ズバンと心を撃ち抜かれたので、選ばずにはいられなかった。歌のつながりや体裁を無視して、私情が溢れまくっている5行目が最高。進学や就職などの門出に立っている人に向けたエールだろうか。その人の成長を実感し、また、さらなる成長を期待している温かな視点がいい。作者の相手を想う気持ちが十二分に伝わってくる。こんな風に誰かを思えることは幸せなことに違いなく、また、こんな風なエールを送ってもられる人というのも、幸せな方だと思う。



ドローン
AI
遺伝子操作
蒼い地球は涙袋
幼い女の子一人救えない

天野七緖
372p.

 スケールが大きく、かつ詩情に溢れ、考えさせられる。とても完成度の高いお歌だと思う。4行目の表現が好きだ。「幼い女の子」が特定の事件の被害者を想定しているのかどうかは分からないが、テクノロジーが進歩する一方で、そういったものの恩恵をまったく受けることなく、絶望的な状況で追い詰められている、か弱い命も多い。テクノロジーは時に人間の心にも影響を与えるものだと思うが、それは果たして良い影響なのかどうか。効率や通り一遍の善悪にばかり固執して、思考停止し、人間性を失う恐れはないか。願わくば、テクノロジーの進歩が、か弱きものを救い、彼らが生きやすくなるような社会であって欲しい。



失敗した
人生であっても
生きることには
なんの
支障もない

会沢光子
384p.

 誰だって失敗よりかは成功した人生を歩みたいもの。しかしながら、挫折や躓きと無縁で、何もかもが順風満帆である人生などそうそう送れるものではない。誰だって大小の差はあれど、失敗を経て成長してゆく。そんな人生を真っ向から肯定してくれている点がいい。一度も転んだことがない人より、転んでから起き上がった人の方が強くさえあると個人的には思う。もちろん、まったく転ばないというのも素晴らしい才能であると思うが、転んだことのない人は、転んで苦しんでいる人の気持ちが本質的に理解できないのではないだろうか。他人の苦しみに共感できるというのは、多くの人が考えているより、ずっと大切な資質ではないかと、最近強く思う。



(了)



[12] 作品評(2019年3月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 6月16日(日)19時53分53秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

クジラが
プランクトンを
吸うように
人を馬鹿にして
生きている

山崎 光
14p.

 一読して、すっかり惚れ込んでしまったお歌。まず、自分自身への平静でシニカルな批評眼が感じられるところがいい。次に、クジラの比喩が実に効果的だ。後半二行は割と過激なことを詠っているのだが、クジラの持つ雄大さやスケールの大きさといったイメージのおかげで、その表現があまり嫌味に感じられないところが巧み。クジラのような存在になら馬鹿にされるのも仕方ないかな、と許容してしまいそうになる。クジラがプランクトンを摂取するときは異物や海水ごといっぺんに呑み込む。作者は人を馬鹿にしていると言いながら、人の良いとこ悪いとこを丸ごと呑み込んで、自らの成長の糧にしてしまうのではないか。



謙虚に生きよう
と 決めたのに
酒を飲めば
いつのまにか
自慢話

鮫島龍三郎
20p.

 謙虚を心掛けてもなかなか上手くいかない、この人間らしさがいい。自分で自慢話をしているという自覚がある方はそれだけで充分謙虚な部類に入る気もするが、作者はきっと自分自身に厳しいお方なのだろう。酒の席では失敗談の方がウケるし、聞いている人との距離も縮まるとは思うが、私自身は割と自慢話をするのも聞くのも嫌いではない。会う度に毎回同じ自慢話を繰り返されたら、さすがに辟易するだろうが、世の中には色々と凄い人がゴロゴロいるので、「私のここがこんなに凄いんです」という話は、むしろ進んで聞きたい。



今日を 蹴り上げろ
明日を でっち上げろ
生きたけりゃ
常識なんかじゃ
もう 駄目なんだよ

都築直美
46p.

 自分自身に喝を入れているような、力強いお歌。ヒリヒリとした切実さとエネルギーを感じるところがいい。作者にとっての生とは、常識に頼ることの出来ない、生やさしくはないものなのだろう。それでも作者は今日という現実に蹴りを入れられるだけの勇気と脚力を持っているし、明日という未来をでっち上げることができるだけの才覚と空想力がある。常識からはみ出すことにはリスクも付きまとう。作者の賭けが成功すること願う。



人生では底辺
けれども
五行歌では
少し上を
目ざしたい

MOBU
57p.

 一行目の現状認識が潔いほどシビアで、清々しくさえある。私自身も五行歌を書き始めたときは本気で「今は人生のドン底で、何処にも出口が無い」と感じ、何かに縋るような思いで歌を書いていたことを思い出した。目ざしたいのが「少し上」というところがいじらしくていいと思うが、どうせなら何処までも上を目ざして欲しい。そういう人がたくさん居るほど、未来が明るく、楽しくなると思う。



自分が
だれよりも
苦しい
という錯覚に
恥じ入る

柳沢由美子
77p.

 人が陥りやすい錯覚を的確に捉えている。誰しもが身に覚えがあることだろう。苦しいときほど、視野が狭くなり、自分の苦しさばかりが大きく感じられ、他人の苦しみには無頓着になってしまう。だが、ある意味それは自然なことでもある。誰だって自分の苦しみこそが一番リアルに生々しく感じられるからだ。遠い国で戦争や飢餓に苦しむ人のことを慮るのはもちろん大事だが、それよりも「自分は仕事が出来ない」という身近な苦しみの方が遙かに切実な面もあるだろう。それでも作者は、自分がだれよりも苦しいのは錯覚であると言い切り、それを恥じ入るのである。その清廉で生真面目な感性に惹かれた。



思うな
考えるな
動くな
只管打坐
思ったようになる

那田尚史
147p.

 とても好きなのだが、評をしようとすると、なかなか一筋縄ではいかないお歌。思うことも、考えることも、動くことさえ放棄して、ひたすら一つのことに打ち込めば、思った通りになるという。雑念、邪念を払うことの大切さを歌っているのだとは思うが、一行目で「思うな」と言っておきながら、五行目で「思ったようになる」と言われると、「思わなかったら、思ったようになりようがない」などとツッコミたくなってしまう。おそらくは一行目の「思うな」は、正確には「余計なことを思うな」ということなのだと思う。集中することの大事さを教えてくれるお歌だと思う。



嫌いを遠ざけ
好きばかりを追いかけ
糖度の高い
未来に
朽ちてゆく

甘雨
184p.

 後ろ三行の表現に特に惹かれた。どことなく、好きなことを仕事にした(あるいはしようとしている)夢追い人についてのお歌なのかと感じた。自分の得意なこと、好きなことだけして生きてゆくのはとても夢のあることだが、本当にそうやって生きている人はめったにいない。誰だって生活のためには、ある程度、嫌いなこと、やりたくないことをやって生きている。意外とそういう時間こそが、好きなことに向き合える時間の大切さを教えてくれたり、得意なことをもっと研ぎ澄ますためのモチベーションを与えてくれるのかもしれない。「本当に好きなことだけしかやらない」というのは、ある意味、不健康であり、毒でもあるのだろう。



誰だって
スナフキンになりたくて
なりきれないまま
ムーミン谷を
去ってゆく

王生令子
221p.

 面白いお歌。前述のお歌とちょっと似通ったところがあるかもしれない。確かに私も子供の頃スナフキンのような生き方に憧れた。風のようにやってきて、憂いを帯びた表情で、楽器を弾いて歌なんぞ歌い、また風のように去っていく。男女問わずカッコいいと思い、「あんなふう
に自由気ままに生きてみたい」と憧れてしまうだろう。だが、多くの場合、その憧れを実現するには困難がつきまとう。そうして、巷には「中途半端なスナフキンもどき」が溢れることになる。それが良いことなのか、悪いことなのか、その価値判断までは言及されていない点もこの歌のいいところだと思う。



オリンピック?
興味ないよ
俺、出ないから・・・
こんなおじさんにこそ
メダルを贈りたい

庄田雄二
264p.

 言われてみれば確かに、と思われたお歌。もう来年に迫った東京五輪ではあるが、オリンピック選手ではない限り、所詮は「他人の祭り」なのである。もちろん、ボランティアや観戦という形で参加するのも素晴らしいことと思うが、それよりもお祭り騒ぎに浮かれずに自分自身のやるべきことをしっかり見極めなきゃ駄目だと、このおじさんは思っているのではないか。ちょっと褒めすぎかもしれないが、そう思った。



何拾い
何捨ててきた
右の手よ
握手ができる
友が残りし

鈴木 滋
292p.

 たまに見かける、「短歌になっている五行歌」。純粋に短歌として読んでも好きなお歌だ。五行に分けたときの、改行と呼吸もよくマッチしており、五行で見るとさらに良さが際立つような作りになっているように感じる。それなりに人生経験を重ねてこられた方のお歌だと推測する。おそらく作者の利き手である右手にとって、今残っているものが友というのがたまらなくいい。平素で無駄のない表現ながら、想いが充分すぎるくらい伝わってくるところも凄い。



白菜を漬けた
重石は
広辞苑、百科事典、聖書
仕上がりは
哲学の味

中込加代子
314p.

 漬け物石の代わりに分厚い本を使ってしまうという意外性が面白い。実景だとしたら、なかなか豪気な性格の持ち主だと思う。特に聖書を漬け物石代わりに使うのはなかなか勇気がいる気がするのだが・・・。四、五行目の結びも見事。こんなふうに詠われたら、ちょっと味見してみたくなる。




お別れは賑やかに
やけに明るい一群も
やがて
無言で帰る
丸い背(せな)

中村幸江
332p.

 お葬式かお通夜の一幕を詠ったお歌だと読ませていただいた。賑やかで明るい一群が、単にそういう気質の方々なのか、故人のことを偲んで意識的にそう振る舞っているのかまでは読み取れないが、そうした方々も帰り道には皆黙って帰っていく、という描写がいい。帰る方々の背中を見送っているのだから、作者は故人の身内ということだろうか。しんみりと心に沁みる秀歌だと思う。



ぷっ と
ふくれて
ふにゃ ふにゃ に
おあとは
あなたしだいよ

ゆらら
338p.

 実験的で楽しいお歌。前三行が何のことを指しているのか、色々と想像が膨らむ。作者自身がふくれっ面で怒ったあとに、何かがあって、脱力状態になったのだろうか。あるいは、季節柄(3月号の投稿時期は1月)お正月のお餅を焼いている時の描写かもしれない。後ろ二行が思わせぶりでちょっとエロい感じがするのもまたいい。



(了)



[11] 作品評(2019年2月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 4月 8日(月)20時35分46秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

仏間と玄関に
花が活けてあれば◎
リビングだけなら○
萎れていたら×
母の体調の目安となる

倉本美穂子
39p.

 一緒に住んではいない、病気がちなお母様のお宅を訪問したときのお歌だろう。お母様は花が大好きなのか、家のあちこちに花を活けているご様子。その花の活けてある場所と、花の鮮度がお母様の体調のバロメーターとなっているとの着眼点が面白い。こういう些細なところに気が付くのも、作者がお母様のお宅に行く時間を大切にして、小さな変化も見逃すまいと目配りをしているからだろう。母思いの作者のお人柄が伝わる、素敵なお歌だ。


心ひらけば
解りあえる
そんな幻想が
生み出す
かなしい諍い

神島宏子
76p.

 人は皆違う。当たり前だが、本当に人は皆違う。心をひらいて解りあえるのは、たいてい気の合う人間同士の場合だけで、そうではない場合は、心をひらくことで、むしろお互いの立場や意見の違いが鮮明になる場合が多い。時にはこの歌のように諍いにまでなってしまうケースもあるだろう。でも、諍いになったとしても、心をひらいて自分の意見をぶつけ合うことは決して無意味ではないように思う。私にはこのお歌は悲しいだけのお歌とは思えない。諍いの後に、相互理解が待っていることも有るに違いない。双方がやわらない心を持ってさえいれば。


すでに
戦前かも知れない
平成の世は
かくのごとく
終わらんとしている

深見 犇
89p.

 平成も終わりに近付いているが、時代は閉塞感を増しているように思う。どの国のどのリーダーも、語るのは自国の利益を如何に確保するかということばかり。テロや銃の乱射事件も頻繁に起きすぎて、もはや感覚が麻痺している。私達は時代にゆっくりと狂わされているのかもしれない。平成は少なくとも日本の国土が戦場になることはなかった時代として終わりそうであるが、次の時代もそれを継続していくために、自分は何が出来るのか。そんなことを考えさせられたお歌。


捨てるのではなく
放つ
時が来たらきっと
かたちを変えて
現れるだろう

コバライチ*キコ
184p.

 解説するのが難しいが、理屈抜きに感覚として、とても好きなお歌。放つ、としたのは素直に読めば、自分のお気持ちのことか。自分が囚われていた気持ちや感情から自由になり、距離と時間をおくことで、その気持ちや感情との関係性も変わってくるということだろうか。作者のお歌はいつも凛とした清々しさがあって惹かれてしまう。


寒風の中
赤くなれないトマトを
かじってみた
悪い夢が詰まったような
苦い味

野田 凛
187p.

 冬のトマトは見た目が悪い、値段が高い、味がまずい、と三拍子揃っていると思うが、それでもお店に並ぶトマトは赤く熟している気がするので、1~2行目から察するに、家庭菜園で作ったトマトの歌のように思う。4行目の表現が斬新で魅力的。トマトが美味しくなる季節が待ち遠しくなるお歌。


歪んだ世界に
歪んだ自分を置けば
まっとうな人間に
見えるという
テクニック

王生令子
188p.

 これは実は多くの人が知らず知らずのうちに駆使しているテクニックではないか。世界も自分も歪んでいるくらいが健全であると考えているので、まっとうに見える人の正体というのは、歪み具合がたまたまその世界にマッチしているだけ、というものなのかもしれない。世界がまっとうだと考えている人も、自分がまっとうだと考えている人も、どちらも同じようにたちが悪いのかもしれない。そんなことを考えさせられたお歌。


自分の至らなさを
認める 嗤う 落ち込む
そこからだ
何かが
回り始めるのは

富士江
191p.

 ものすごく共感を覚えるお歌。二行目の「嗤う」がいい。自分の未熟さ、どうしようもなさを、認めるだけでなく、嘲笑する姿勢。ここに惹かれた。嘲笑できるというのは、自分を客観視できているということであり、自分を俯瞰で見ているような、ある種の別人格のようなものがあるということだろう。そういう人はきっと追い込まれてからでも粘り強い。自分の至らなさを心底思い知った後で、前に進もうとする意志を感じる力強いお歌だ。


ジャージの上下
口から出たのは
ジョージのジャーゲ
それだけで
一日が明るい

はる
214p.

 ささいな言い間違いであるが、「あるある」と共感してしまう。きっとこの言い間違いから、笑いが生まれて楽しい気分になられたのだろう。しかし作者は、ちょっとその場が明るくなるだけならいざ知らず、五行目で「一日が明るい」とまで書いている。これは、よほど普段からハッピーで笑いの絶えない生活をされているのか、逆にささいな笑いを繰り返し反芻して味わう必要があるくらい、シビアな現状に置かれている方なのかもしれない、と考えた。願わくば、前者であって欲しいが、果たして。


かけ蕎麦が
食べたい
好きな人のことを
想って
力の限り泣いたら

河辺ちとせ
249p.

 後ろ三行から推測するに、作者は失恋あるいは悲しい別離を体験されたのだろうか?食べたくなるのが「かけ蕎麦」であるのが良い。「ラーメン」だとちょっと俗っぽいし、「パスタ」だとちょっとオシャレすぎる。「かけ蕎麦」の庶民感がとても良い味を出しているお歌だと思う。無条件で、この作者を応援したくなる気持ちになる。


骨壺のしまる瞬間
姿を見せる最後に
骸骨は
微笑んでいたい
微笑んであげたい

足立洸龍
332p.

 骸骨になってまで、自分を送ってくれる人に対して微笑んでいたい、と思うお気持ちに打たれた。そこには、日頃自分に良くしてくれている人達への感謝があるのだろう。そしておそらく作者は、ご自分が骨壺に入る瞬間というのを、そう遠くない未来として捉えている方のように感じる。四、五行目の表現も巧み。

(了)



[10] 作品評(2019年1月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 2月16日(土)10時11分49秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

はげ隠しのボウズですか?
不登校だったガキがいう
そこまでに到達したかと
喜んでやるよ!
図星だし

和からし
9p.

 ぶっきらぼうな物言いが小気味よく、痛快。おそらくは息子さんとのやりとりだと思われるが、憎たらしくも愛おしい、我が子との関係性が伝わってきて、温かい気持ちになった。「不登校」という言葉が特段強調されず、さらりと使われているのにも惹かれた。


息があるうちは
収集できません
ダンボールの仔猫
二度目の電話で
受け付けられる

中島さなぎ
14p.

 感傷的にならず、淡々と事実のみを述べた、後ろ二行が秀逸。こういう書き方のほうが、かえって鮮烈な余韻を残せるという見本のよう。作者自身の思い入れや感情が述べられていない点も効果的だと思う。残酷な歌であるが、その残酷さに、読者がものを思ったり考えたりするためのちょうどいい余白がある。同じ光景を見たとしても、なかなかこうは書けない。作者の筆力のなせる技だと思う。


役満を
テンパれば
タバコに3本
火をつけてた
ちっちぇ~男よ

よしだ野々
27p.

 麻雀好きとしては見逃せないお歌だった。知らない方のために説明すると、役満とは麻雀の中で一番点数が高くて、一番凄い手役のことです。役満にも色々種類があるので、どんな役満をテンパったのかが気になるところ。「アガった」とは書いてないので、テンパイどまりだったのかな?、テンパイしてからタバコ3本吸う暇があるんだから、割と早い巡目でテンパったのかな?、などと色々妄想が膨らんでしまう。


十二億年この方
雌雄(めお)未だ分かれざる時への郷愁を
未来に投射して
己が分身との合一を希い
恋う心

一歳
35p.

 作者の歌を前にすると、いつも自分の不勉強さを恥じたくなるが、書かれている内容から想像するに、十二億年前というのは生物がまだ雌雄同体だった頃なのだろう。その時への郷愁という表現も、三行目の「未来に投射」という表現もいい。恋心を歌った歌で、これほどのスケールのお歌はなかなかお目にかかれない。感服するしかない恋歌。


支配欲は
すぐ伸びる爪のよう
時折
魔女の手を
見かける

水源 純
88p.

 「支配欲」と「すぐ伸びる爪」の共通点は、「知らない間に生長している」「伸びすぎると相手を傷付けてしまう」といったところだろうか。想像になってしまうが、四行目の「魔女」という言葉は、爪の伸びすぎた手のビジュアルをイメージして欲しくて使っただけで、支配欲に取り憑かれる可能性について、男女問わずに警鐘を鳴らしているお歌だと考える。もう一つが、作者ご自身のことを念頭に置いて書かれたお歌である可能性だ。爪が伸びているのを一番気付きやすいのは自分自身だが、はてさて。今度作者ご本人にお会いしたときに聞いてみたい。


待ち合わせは
夫であっても
嬉しい
照れた顔も
新鮮だ

水野美智子
88p.

 純粋に羨ましい。こういう夫婦関係は素晴らしいと思う。二行目の「夫であっても」が、男性としてはちょっと引っかかる気もする言い方だが、全体から滲み出るラブラブ夫婦っぷりの前では、それも些細なこと。「ごちそうさまでした」と手を合わせたくなるお歌だ。


手の届く範囲に
愛はなかったから
自由を選んだ
仕方なくとも
人生は続く

金沢詩乃
116p.

 孤独や寂しさといったシビアな現状認識と、それでも前を向こうとする決意を感じさせるお歌の多い、作者の作風の大ファンであるが、このお歌にも痺れた。自由を選んだ人生であれば、かつては届かなかった愛にも手が届く日が来るかもしれない。もちろんそんな日は来ない可能性だってあるが、かすかな期待を抱くのは勝手だし、その方が心の健康のためにも良いような気がする。少なくとも私は最近そう思うようにしている。


消しゴムを
さいごまで使い切った
記憶がない
のに
捨てた覚えもない

芳川未朋
155p.

 言われてみれば確かに、というお歌。私の筆箱には、かれこれ15年くらい前から使っている消しゴムが入っているが、一向に使い切る気配がない。今はそもそもパソコンやスマホが普及して鉛筆やシャーペンで文字を書く機会が減っているせいもあるだろうが、思い返してみれば、学生時代から消しゴムが全部カスになって消えた瞬間というのは、見たことがないように思う。書いててちょっと都市伝説みたいで怖くなってきた。


薬剤師が
気の毒そうに
小声で薬の説明をする
もっと事務的で
あってくれたほうがいい

萌子
176p.

 私も持病で月に1度の病院&薬局通いが欠かせない人間だが、昔はもっと無機質な感じがした薬剤師が、数年ぐらい前からやたらあれこれ親身に聞いてくれるようなになった印象がある。「かかりつけ薬剤師」だか何だか知らないが、このお歌のように、人間味を前面に押し出すよりも、薬の効能と副作用等について淡々と説明してくれた方が、その薬剤師のことを頼もしく感じられると思う。


私はうれしいよ
他人には
言えない
嫌なことを
私にだけは言ってくれて

石村比抄子
190p.

 話し相手に嫌なこと、ネガティブなことを話されるのは、できれば遠慮したいと常々思っているが、相手が心を許している大切な人間であれば話は別ということだろう。よくよく考えてみれば、私たちは良いことよりも、嫌なことを話すときのほうが慎重に相手を選んでいるのかもしれない。ときに「ここだけの話」などという前置きを付けながら。作者の繊細な感性が光るお歌だと思う。


にんげんの
ほんとうの
在り方を
ほんきで考えないと
みんなあぶない

鳥山晃雄
206p.

 「人間の在り方」という大きなテーマについて、真っ向から警鐘を鳴らしている。確かに、現代は子供も大人も高齢者もそれぞれに危うさを抱えている時代だと思う。肌感覚として、テクノロジーの進歩が人間の嫌な面・マイナス面を拡張してしまうことが多く、また、それがよく目に付くようになっているのが、現代という時代のように感じる。このお歌に書かれているように、今一度、人間というものの在り方について想いを巡らせてみるのは、大切なことだと思う。


うるさーい
たまには自分で考えろー
何でも屋さんかっ
私はお母さんかっ
あ、お母さんじゃん

田渕みさこ
212p.

 育児のストレスをストレートに吐露していて好感が持てる。五行目のセルフつっこみも効いている。キレるだけでは終わらず、最後にユーモアを交えて終わるところが楽しい。テンポがよく、五行なのに、何となく4コマ漫画のような構成になっているところがいい。


落ちるスベる上等!
受からないわけがない
落ちたら
学校が見る目がない
謎の自信

水源カエデ
264p.

 受験シーズンなので、受験生を応援する意味でも、受験生代表として作者のお歌をひかせてもらった。受験生の鑑のようなメンタリティをお持ちの作者には感嘆するしかない。受験は学生にとっては一大イベントなので、ついつい人生の一大事として捉えてしまいがちだが、テストの点数で悪かったからといって、その人の人間性までが否定されるということは断じてない。ほんとうに大切なことは、試験では測れない。そういう大事なことを、作者は既に感覚的に理解している点が頼もしい。


横に眠る
男を愛した
たしかに
殺したくなる
なぜだろう

山本富美子
267p.

 ちょっと演歌の『天城越え』を連想した。横に眠る男、とは道ならぬ恋の相手なのだろうか。それとも旦那さんなのだろうか。どちらにせよ、過剰な愛情は殺意に変わるものなのだろうか。そこまでの情念を異性に対して抱いたことのない身としては、ある種のフィクションのように、ドキドキしながら読ませていただいた。


見えない半分は
求めない
この
半分だけを
丸くしていこう

山碧木 星
286p.

 味わい深いお歌。人間は誰しもが裏表がある。その裏面ばかりを気にして、「あの人はウラがある」とか言ってしまいがちだ。だが、裏面とは自分の本性であり、そこを矯正しようとすることはなかなかにエネルギーがいるものだし、不自然な行為であるとも言える。それよりも、相手に見える面だけを綺麗に保とうとする作者の姿勢に大いに共感した。「丸くしていこう」という表現もいい。


淡雪が
あるのなら
淡恋もアルだろう
人に触れる前に
消えてしまうような

漂 彦龍
294p.

 ばっちり決まっているお歌。相手に気持ちを伝える前に、消えてしまったような儚い恋心を作者もきっとお持ちだったのだろう。「純愛」というほど輪郭がくっきりしてないけど、面と向かって伝えるほどでもない、かすかな相手への好意を確かに私も経験したことがあるように思う。「淡恋」という言葉をぜひ広辞苑に登録して欲しい。



[9] 作品表

投稿者: 旅人 投稿日:2019年 2月 3日(日)15時20分9秒 ai126198126035.60.access-internet.ne.jp  返信

大島さん、ひげっちさん、今日は。毎月、率直で硬質な作品評を楽しみにしています。どの歌を選択するのか、今、何に関心があるのか心を反映しているようです。短歌も始めて守備範囲が広がって目が離せません。



[8] 作品評(12月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 1月21日(月)22時53分8秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

仲の良いフリが
特技だったのか
10年信頼した人の
中身を見た
虚しさ

作野 陽
31p.

 長く付き合い、信頼を置いていた人への幻滅のお歌。ショックの大きさや怒りでは無く、諦観にも似た静かな余韻が伝わるところに惹かれた。作者はきっと冷静で穏やかな性格の持ち主なのだと思う。見えてしまった相手の中身がどんなものだかはわからないが、作者としては許すことの出来ない一線を越えてしまうものだったのだろう。こういった心情にある人にかける言葉はなかなか見つからないが、どうか人間不信にだけは陥らないで欲しいと願う。誰も信じられない状態というのは想像以上にしんどい。生きていて疲弊する。どうかこれに懲りずにまた人を信じて欲しい。信じるに値する人間はきっとこの世に少なくはない。少なくとも私はそう思っている。


細かくて口うるさい上司と
自分を過大評価する部下がいる
会社なら
とっくに
辞めている

大本あゆみ
48p.

 「家庭」というコミュニティを「職場」に喩えて、うまく皮肉を効かせている。夫婦は同僚と思いたいので、「口うるさい上司」はお姑さん、「自分を過大評価する部下」はお子様といったところか。ありきたりな家族賛美ではないが、会社であればとっくに辞めている状態でも、作者はこの家庭を見放さないのだ。そこには確かな責任感と愛情が感じられる。やはり母親というものは強いと思わされたお歌。


父の二十才の私へ
「水飲み百姓の娘だ
気取って生きるな」
なんと不思議な
お祝いの言葉

山本富美子
117p.

 括弧書きで書かれた、お父様からの成人祝いの言葉が味わい深い。この一言だけでこのお父様のことを好きになってしまいそうだ。自分の血筋を飾ることなく話し、子供に地に足を着けて生きて欲しいと願うお父様はとても実直で格好良いと思う。作者もこの言葉が印象に残っているからこそ、歌にされたのだと想像する。父娘の微妙な、しかしきっと温かみのあに違いない関係性が偲ばれるところがいい。


まず否定から入る
不平不満を
エネルギーとして生きる人
青白い炎は
暖めてはくれない

紫かたばみ
132p.

 こういう「負の感情をエネルギーとして生きる人」は割とよく居ると思う。気を付けなければいけないのは、こういう人が必ずしも「他人に不平不満をぶつけてばかりいる人」とイコールではないところ。内なる負の感情をエネルギーにしながらも、周囲には優しく接することが出来る人もいる。その一方、自分自身が負の感情をばらまいて、それに対して返ってくる負のリアクションをまたエネルギーに変えるような、ネガティブ自家発電みたいなことをしている人もいる。生き方に優劣はなく、全ての人の生き方がその人なりの「正解」だと考えているが、色々なことを考えさせられるお歌だ。


蛇は
自分の抜け殻に
何の興味も示さない
生まれ直した
のだから

柳瀬丈子
150p.

 蛇の脱皮を、「生まれ直した」と表現してるのがいい。抜け殻とは自分自身の残滓であり、自分の過去の比喩だと読ませていただいた。潔い蛇の有り様を想い、蛇のようにありたいと、作者ご自身を鼓舞しているかのように感じられた。人間は知能や時間の認識があるぶんだけ、爬虫類よりかは、過去に拘ってしまう生き物だと思う。個人的には過去に拘ってくよくよしている人も嫌いではない。すっぱり生まれ直せる人よりも、人間らしくて魅力的でさえあると思うからだ。それはともかく、凛と背筋を伸ばされる感じするお歌。流石と言うしかない。


困ったな
実家を
なくした日から
腹に
力が入らない

中島さなぎ
176p.

 肉体感覚として、実家をなくすというのはこういう感じなのだろうな、というのがストレートに伝わってくる。飾りの無い心情の吐露のような文体もいい。四、五行目の「腹に力が入らない」が特に素晴らしい。涙が止まらないとか、ずっと落ち込んで何も出来ないほどの状態ではなく、おそらくは日常生活をそれなりには送れているものの、身体から力が抜けるような喪失感がずっと付きまとっているのだと思う。逆説的に言えば、作者の実家やご両親は、それだけ作者の力の源だったのだろう。大事なものは失ってから気付くとよく言われるが、本当にその通りだと思う。


今日の
言い訳が
明日
後悔する
原因

秋桜
251p.

 納得するしかない。まるで、ことわざや格言のような、完成度の高い五行歌だと思う。自分に言い訳ばかりして、「なんとかなるさ」と「ま、いっか」が口癖の筆者としては大いに身につまされた。作者ご自身が、言い訳をしてしまうタイプで自分への戒めのお歌なのか、それとも、言い訳ばかりの他人を窘めるお歌なのかが気になる。


動かなくなった
ロボット掃除機を
捨てた
ゴミ袋の重さが
手に残っている

仁田澄子
345p.

 愛着のある家具・家電を処分する時は、少なからず寂しい思いをするものだと思うが、それが自分で動くロボットの類いだと、また違った感覚があるのかもしれない。どちらかと言うと、亡くなったペットとお別れするときの気分に近いのだろうか。もしかしたら、そこにはロボットの「命のようなもの」に対する想いがあるのかもしれないと思った。何とも絶妙なテーマと感覚でお歌を作られる方だと感銘を受けた。


思いやりが届かない
君の心はまだ
気づいていない
そのくらいが
ちょうどいいのだ

葵空
374p.

 一読して面白いお歌だと感じた。思いやりや優しさは、相手に届いて、相手からもまた優しさが返ってくるのが望ましいと、誰でも考えそうだが、作者は思いやりが届かないくらいがちょうどいい、と言う。これは、「世の中そんな良い人ばっかりじゃないから、届かないのが普通と考えとけよ」という前向きな諦観なのか、「大事なのは相手の反応じゃなくて、思いやりを持つこと自体が大切」というポリシーなのか、そこまでは読み切れなかったが、心に残る味わい深いお歌だと思う。


(了)



[7] 極私的な読み

投稿者: 一歳 投稿日:2019年 1月20日(日)04時07分47秒 p591116-ipngn13401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  返信

旅人さん、呼び交わす歌、と読んだのは、わたくしめの極私的な読みです。
この都築直美作品が発表された『五行歌』10月号の投稿時点では、多分、都築さんもまだ髙坂作品には触れていなかったと思いますし、私も未見でした。
ですから、これらの歌を”呼び交わす歌”として読んだのは、わたくしめの歌合的読みなのです。



[6] Re: 呼び交わす歌

投稿者: 旅人 投稿日:2019年 1月19日(土)15時55分29秒 ai126246144096.62.access-internet.ne.jp  返信

そうでしたか!!!。一歳さんの投稿で読めました。高坂さんへの返歌ですね。

まだ手元に置いたまま見ていませんが、読まねばなりません。それにしても歌の響きを忘れていたことに気付きました。



> 髙坂明良『風の挽歌』(2014年12月25日発行、発行者:福島泰樹、発行所:月光の会、月光文庫Ⅱ)の「Ⅱ 黎明の火」の最後の置かれた短歌
>
>  明日*からは鳥となるらん星なるらん風に咽びて風になるらん     *あす
>
> 記事[4]に掲げた都築直美作品、私は上記の髙坂明良作品と呼び交わす歌として読んだ。
> 髙坂作品、三度の「なるらん」リフレインが「鳥」「星」「風」三度のメタモルフォーシスへと繋
がりつつ調べをきっちりと整えるものとなっている。定型の韻律の力の凄さ!



[5] 呼び交わす歌

投稿者: 一歳 投稿日:2019年 1月19日(土)11時33分43秒 p591116-ipngn13401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  返信

髙坂明良『風の挽歌』(2014年12月25日発行、発行者:福島泰樹、発行所:月光の会、月光文庫Ⅱ)の「Ⅱ 黎明の火」の最後の置かれた短歌

 明日*からは鳥となるらん星なるらん風に咽びて風になるらん     *あす

記事[4]に掲げた都築直美作品、私は上記の髙坂明良作品と呼び交わす歌として読んだ。
髙坂作品、三度の「なるらん」リフレインが「鳥」「星」「風」三度のメタモルフォーシスへと繋がりつつ調べをきっちりと整えるものとなっている。定型の韻律の力の凄さ!



[4] 最も印象的だった一首 旅人

投稿者: 一歳 投稿日:2019年 1月19日(土)11時10分23秒 p591116-ipngn13401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  返信

2019年 関東新年合同五行歌会 懇親会で、旅人さんが2018年『五行歌』誌で「最も印象的だった一首」を発表された。
選ばれた一首は、2018年『五行歌』10月号佳作p105掲載の都築直美作品

  降る降る ふるらん      都築直美
  この肩に この胸に
  冷たき 雨
  やまぬ 雨
  無情の 雨

*最も印象的だった一首       旅人

 歌は声に出して読むものだと、都築直美さんの歌に出会って改めて感じました。思いを詠むことに没頭するあまり、大切な余韻や調べを忘れていたようです。
「降る降る ふるらん」何と心地良い調べでしょうか。思わず口ずさんでしまいます。けれど、一文字を空けることで情緒に流れすぎる心を止めてもいます。それは、後ろ三行に続く「雨」にも見事に効果を発揮しています。リフレインされた雨が、読む者の心にいつの間にか入ってきて、作者と一緒に濡れていきます。歌作りに大切な、思いと余韻を調べが揃った素晴らしい作品と思い、この一首を選びました。



[3] 深いですね~

投稿者: 旅人 投稿日:2018年12月19日(水)08時02分18秒 ai126151008235.55.access-internet.ne.jp  返信

大島さん、本誌11月号の作品評を読みました。読み過ごしていた歌が甦ってきます。本当にありがとうございます。読んだか!!と、殴られました。真っ直ぐに言葉が飛び込んでくる快感を味わいました。



[2] 作品評(11月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2018年12月11日(火)20時32分24秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

虐めの事実があっても
無かったと言う
虐めの現場を見ても
助けもしない
弱い人ばかり 弱い人ばかり

蟹貼寒馬
52p.

思春期の自分を思い返してみると、思い当たる節ばかりで、何とも身につまされるお歌。いや、現在でも一緒かもしれない。セクハラ、パワハラといった虐めは、大人の世界にでもある。相も変わらず、私は弱い者虐めを目の前にしても、見て見ぬふりをしている。きっとこれからも私という弱い人間は変わることは無いだろうと思う。ならば、せめてその弱さを自覚していたいもの。


ゆっくりと
深く味わう人が
少なくなってはいないか
みんな忙しすぎて
浅くなってはいないか

鳥山晃雄
63p.

世にスマホではない、いわゆる「ガラケー」が普及し始めた頃から、世の中のスピードはどんどん加速度を増しているように感じる。「流行のスパン」はどんどん短くなり、流行り物はあっという間に消費されて、飽きられるのもあっという間。そういう時代を我々は生きているのだろう。聞き流してはいけない、大切なことを歌っているお歌。


『人間だけが価値がある』
そこから全てが
滲み出て来る
神仏を崇めても
あらゆる醜悪なものが

甲斐原 梢
65p.

「人間には価値がある」はもちろん全肯定するが、「人間だけが価値がある」となると話は別だ。今に始まったことではないが、人間というのは自分たちだけが居心地が良くなるように、環境を作り変えてきた生き物だ。結果として、それが自然界のバランスを崩し、逆に人間の命が危険に晒されているのが現代という時代のように感じる。我々は「人間ファースト」をそろそろ見直すべき時期に来ているのかもしれない。示唆に富んだ名作だと思う。


大勢で取り巻いて
石を投げる
正義と
書いた石を
正義面して

酒井映子
65p.

最近のメディア報道の在り方を考えさせられるお歌だ。何か悪いことをした人なら、「正義」の名の下にいくらでも叩くことが許されているかのような、一連の報道には、どうにも違和感を覚える。権力の座にあった者が、失脚し、窮地に追い込まれる様を見て、溜飲を下げる気持ちは確かに理解できるが、度が過ぎると叩かれている人の家族に与える影響などが心配になってしまう。正義とは暴力を正当化する際に一番便利な言葉だ。独りよがりの正しさのせいで誰かを傷付けていないか、常に注意を払う人間でありたい。


悲しみは
押し殺さなくてもいいの
悲しみは
保っていても
いいと思う

工藤由祐
121p.

「天才」由祐くんの才能が遺憾なく発揮された特集「自分の世界」より。小学六年生にして、この物思いの深さ。悲しみを押し殺さずに、表現するべきというなら、まだ子供らしいと思えるが、「保っていてもいい」というのは、早熟を通り越して老成の域に達していると言っても過言では無いのでは。これから、由祐くんがどんな歌を書いていくのかが、楽しみでならない。


人間に育てられず
うまく人間に
なれなかった人間の
悲しみを
薄める

眞 デレラ
123p.

前三行がなかなかに衝撃的。おそらく虐待をしたり、親としての責務を果たさなかった人達のことを「人間ですらない」と断罪している、と読ませていただいた。その後に続く「悲しみを薄める」という表現に惹かれた。傷だらけの人を前にして、ひとりの人間にできることはあまりにも少ない。軽々しく「癒す」「勇気付ける」「救う」といった言葉を使わないところから、かえって作者の真摯さが伝わる。


神経質なほど
丁寧な性格が作った
義母の遺した梅漬け
雑味なく
キリリッと酸く旨い

村松清美
133p.

「神経質なほど丁寧な性格」の義母との付き合いは決して楽しいだけのものでは無かっただろう。それなりにストレスフルな嫁姑関係だったのであろうと想像できる。だが、梅漬けの味の表現だけで、亡き義母が決して神経質なだけではなく、人間らしい温かみもある人物であったことが伝わってくる点が、このお歌の凄味だと思う。四行目の「雑味なく」、五行目の「キリリッ」も良い。作者の義母に勝るとも劣らず、丁寧な仕事が為されているお歌だ。


やりきれない
まわりは優しい
いい人ばかり
憎む相手は
自分しかいなくて

王生令子
195p.

何か物事が上手くいかないとき、その原因を周りに求めるのが、最も手っ取り早い精神安定の方法であるが、周囲の人間の善良さに気付ける作者の感性がそれを良しとしないのだろう。周りの人の優しさに気付けている時点で、作者も充分「いい人」であると、端から見れば思ってしまうが、それでもなお、自分を責める生真面目さに惹かれた。


スナック菓子を
ほおばりながら
ダイエット本を
読みあさる
至福の時

安川美絵子
199p.

筆者もダイエット中であるため、大いに共感してしまった。人間とは矛盾した存在なのだと思い知らされる。二律背反を体現し、それを「至福」と表現する開き直りがいい。筆者もダイエットしながら、年末年始の飲み会の誘いは断らず、思いっきり正月太りしてやろうと思う。


過去は
全て
マボロシとして
処理
している

堀川士朗
237p.

私たちは過去の積み重ねで形作られるが、言われてみれば、過去をもう一度体験することは不可能だ。ならば、それは「マボロシ」と言い換えても良いものかもしれない。過ぎ去った時間にいつまでも囚われている人は、幻覚に溺れているということになるだろう。気持ちよいくらい潔く、かつ前向きで力強いお歌。


正論だから
良い結果が
出るとは限らんよ
君に惚れたから
加勢するんだ

山本 宏
244p.

正しくあろうとすることは、もちろん貴く大切なことだが、世の中には正しさよりも大事なことがあると、しみじみ思う歳になった。好き・嫌いのセンサーというのは、いささか感情的ではあるが、案外馬鹿に出来ないと思う。惚れた人のためなら、正論なんて知ったことか。杓子定規な男より、こういう男の方がかっこいいじゃないですか。そう思いません?


お祝いする
ことにしている
君が
この世に
いてもいなくても

紫桜光縫
288p.

何を書いても蛇足になりそうなほど、完成度の高いお歌。この境地にたどり着くまでの心の逡巡に想いを馳せると、思わず泣きそうになる。軽々しいことは言えないが、この歌のような心持ちで想われる人はきっと幸せだったのだろうと思う。


どうでもいいから
とりあえず
ほめておく
おおかた
そうだって

おふく
344p.

そうなのだ。迷ったら褒めよ。それであらかた上手くいく。このスタンスの嬉しい誤算としては、そういった、とりあえずのお世辞を真に受けて、プラスのエネルギーに変えてくれる人が世の中には案外多いということだろう。誰も傷付けない習慣であり、ぜひとも継続して欲しい。



[1] 作品評(10月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2018年10月24日(水)21時08分1秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

いつ寝てもいい
何食べてもいい
勉強しなくていい
老人最高
しかし愛を忘れてしまった

北風 徹
71p.

 昔懐かしい「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を思い出す。学校も会社もないオバケと老人とが重なる。とびきりの自由の代わりに、愛を忘れてしまったと歌う五行目がいい。自由さの描写と、「愛を忘れた」という表現から、作者はお一人暮らしなのではないかと想像する。自由を満喫する姿勢が小気味よい一方で、どこか空虚な気持ちや寂しさといった情感が滲む。味わい深いお歌だと思う。


会う人会う人の
目顔の中に
己の影を
探さずにいられない


山宮孝順
86p.

 「彼」が作者とどういう関係なのかは説明されていないため、色々と想像が膨らむお歌。会う人々の中に「己の影」を探さずにいられない人とは、どういう人だろう?会う人々に自分と似た部分を探してしまう人ということだろうか?それとも会う人々と接する中で、自分の悪い部分に気付いてしまうということだろうか?真相は作者のみ知る、ですが、何故かほっとけない感じのするお歌。


他人(ひと)と同じは
退屈
でも他人(ひと)と違うと
居場所がない
どう生きる

上田貴子
92p.

 皆が感じていることを上手に言い当ててくれたようなお歌。他人と同じは安心するし、楽ではあるけど、どこかつまらない。同時に、異質なものに不寛容な社会の窮屈さも読み込まれている。それでも、不十分ながら、昔に比べれば、生き方の多様性が認められるようになってきているのだと思いたい。自分を省みて、進んで孤立は望まないが、自分の心の声には正直で居たいと思う。


ポケットに
ハンカチを
服の下に
ぬいぐるみを
蹴られてもいいように

大貫隆志
102p.

 背景の説明が無く、必要最低限の言葉だけで歌われているところに真実味を感じる。いじめられっ子の身支度についてのお歌だと推察する。このお歌の主人公は暴力を振るわれる状況から逃避するのではなく、暴力に耐える道を選んでいる。その強い心に敬意を払う一方で、そうした状況から一刻も早く脱出する方法を模索して欲しいという気持ちで一杯になる。人生はあなたが思っているより複雑で豊穣だ。今居る場所が全てでは無いはず。


火宅の人だった
でも
彼女(はは)が
最後に呼んだのは
夫(ちち)の名

観月
115p.

 特集「似たもの父娘」より。心に迫ってくるようなお歌が並ぶ特集だった。ご家族の問題から目を背けずに、それらを真正面から歌いきったという印象。一貫して、父親に向けられる厳しい目線と、母親に向けられる悔恨の念が感じられる。両親の強い結び付きを目の当たりにした作者ご本人の胸に去来した気持ちを想像すると、胸が締め付けられる。


あゝ そして誰もが
いつか別離の理不尽さを
ほぐされているのだ
「死者」という慰藉
かなしみを癒すかなしみ

柳瀬丈子
122p.

 作者ご本人の身の回りに起きたことを知っている者としては、見過ごすことのできないお歌。四、五行目に感服させられた。誰かの身に起きた別離に触れることで、自分自身に起きる、あるいは起きた別離の心構えをしたり、傷を癒されたりする。確かに私達は、そういう風にできているのかもしれない。


娘と美術館を巡る
作品に見入る
後姿のつつましさ
母の哀しみなど
分からなくていいんだよ

松山佐代子
186p.

 三行目の「つつましさ」が良い。この表現が娘さんの魅力を非常に効果的に伝えていると思う。母の抱える哀しみが、娘さんによってもたらされるものなのか、それとも娘さんには苦労をかけたくないという想いの歌なのか、そこまでは読み切れなかったが、母と娘の穏やかな交流が伝わるお歌。


魚にはなれず
両生類として
あなたに
飼われたことがある
汚れた水辺を好む

紫野 恵
187p.

 魚とは?両生類とは?いったい何の比喩でしょうか?3~5行目も実に意味深。ハテナマークだらけの人を煙に巻いたようなお歌だが、抗いがたい妖しい魅力があり、どうにも心惹かれてしまう。


ただただ
腐るばかりだ
心許なき
ひとりの
根元は

金沢詩乃
194p.

 ご自分のお一人での生活についてのお歌だろうか。一人で暮らしていると、「どうせ困るのは自分だけだから」とついつい色々な面でズボラになりがちである。ただ、五行目で「根元」とあることから、このお歌はそうした生活面での変化だけではなく、もっと人間として根本的な部分が変質してしまう恐怖のようなものを歌っているように感じられる。


骸(むくろ)を
喰(は)んだら
ええ五行歌
出来(でけ)ん
ねんて

陽湖
209p.

 禁忌のような五行歌の本質に光を当てたお歌だと思う。喪失を体験した人が書いたお歌には、確かに名作が多い。作者は、そうした名作について少々食傷気味ということなのか、それとも自分もそうした名作を書いてみたいと思っているのか。関西弁で書かれていることでお歌に不思議な迫力が出ていると思う。「骸」や「喰む」という表現も効いている。


ヤル気が出なくても
いかに
やるべきことができるか
突き詰めるのは
そこだ

作野 陽
288p.

 ヤル気がある時に頑張るのは確かに誰でも出来る。真価はヤル気が出ない時にこそ発揮される。筆者はヤル気が出ない時は割とすぐに何もかもを投げ出しがちだが、作者もそういう弱い自分を認めてそれと向き合う覚悟を歌にされている点に大いに共感した。


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