作品評(自由投稿)




[0] 作品評(自由投稿)

投稿者: 一歳 投稿日:2018年10月 9日(火)22時37分0秒 p7213054-ipngn33801marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

作品評





[15] 作品評(2019年6月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年10月13日(日)23時01分18秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

結局
己と向き合うのが
一番飽きない
道楽である
極めて死のう

金沢詩乃
p.20

 表現の根源をズバリと言い当ててくれる、気持ちの良いお歌。己と向き合い、出てきたモノを表現するというのは、突き詰めれば「道楽」であるという認識が素晴らしい。決して「生業」や「仕事」ではないのだ。何より自分が楽しむためにやっているのだと思うだけで、読んでいるこちらの気持ちも軽くなるような、力のあるお歌だ。「死のう」と言い放って終わるお歌なのに、ちっとも暗い印象は受けないところもいい。


どうやら私は
馬鹿ではないらしい
と思う程の
どうやら私は
馬鹿ではあるらしい

漂 彦龍
p.21

 ややこしくて可笑しいお歌。きっと作者の心には、自己否定と自己肯定の薄い膜がミルフィーユみたいに交互に積み重ねられているに違いない。自分を「馬鹿じゃない」と思えるほど脳天気ではいられないが、心の底から「自分は馬鹿だ」と割り切れるほどプライドは低くない。不器用さ、生きづらさ、といった言葉が思い浮かぶ。しかし、作者はそんな自分自身を卑下することもなく、過信することもなく、ありのままの逡巡自体を表現として昇華してみせる。力みの無い凄味を感じるお歌。


はしっこで
文句を言ってる
気楽さよ
いつまでも私
弱者でいたい

王生令子
p.83

 自分の狡さを指摘されたようでドキッとしたお歌。誰しもが思い当たる節のある指摘ではないだろうか。例えば、政治家や上司について文句を言うとき、文句を言えるのは責任が無い者の特権であるとも言える。自分が何か決断をして、物事を決めていかねばならない立場にあれば、誰からも文句を言われないようにするのは不可能であろう。狡さを認識したうえでなお、「弱者でいたい」と詠っているところが心憎い。


現実は
逃げられない
から
もう一つの世界で
遊ぶ

鮫島龍三郎
101p.

 特集「病院日記」より。作者を存じ上げている身としては、ショッキングなお歌の数々であったが、特集の最後を締めるこのお歌に特に惹かれた。逃れようもない大変な現実からの逃避としての「もう一つの世界」。五行歌のような表現活動もその一つであろう。詠い込まれている想いは、決して軽いものではないはずだが、何かを達観したような軽やかな筆致が素晴らしい。


涸れながら
まだ
なまぐさい
月を
抱く

小沢 史
134-135p.

 幻想的で官能的。独特の文体とリズム感をお持ちの方だとお見受けした。3~5行目の表現が好きだ。「月」が何の比喩なのかによって、解釈がだいぶ変わってくるお歌だと思うが、自分は何となく「月」は「小さな子供」や「みどりご」の比喩のような印象を受けた。水分が多く透明感のある肌をした幼子を「月」と表現したのではないか。全然違っていたらすみません。


40億年後も
逢えたら良いね
憶えていてね
よろしく
あいらぶゆう

牛乳瓶の底に残った
わずかばかりの
魂の破片
「死んではいないよ」
僕を見上げた

都築直美
143p.
319p.

 自分の血肉を削り出しているかのような迫力と、どこか愛嬌のある、人を食ったような発想の面白さとが同居する、作者のお歌のファンである。1首目、最後の1行がよい。英語でもカタカナでもなく、ひらがな表記なのが絶妙。2首目、瓶の底に残る牛乳と、自分の魂に宿る生命力のようなものがリンクする。どちらもスケールが大きく力強いお歌だ。


「群れる」意識
よりも
「群れない」不安
に依って
我々は動かされている

甲斐原 梢
174p.

 鋭い批評眼が光るお歌。集団意識のようなものを上手く捉えている。「集団に属したい」という積極的な意識より、「どこにも属していない」という不安の方が、多く場合、強烈だ。筆者も2年ほど前は無職でいた時期があったが、その時には確かにどこにも属していない心許なさを感じていたように思う。人間は社会的な動物であり、孤独・孤立は即、「死」に繋がる。そのため、根源的にそれらに恐怖を感じるようにインプットされているのだろう。


うまくいかない時に
感謝するのは難しい
人を
恨まないようにすることで
精一杯

樹実
176p.

 これは本当にその通りだと思う。よく「どんなときでも感謝を忘れずに」などと、言う人がいるが、自分の心に余裕がないときに、他人に感謝をするのは並大抵のことではない。筆者などは、「うまくいかないのは誰かのせい、うまくいったときは自分のおかげ」をモットーに生きているが、作者はうまくいかないときでも、人に感謝しようという姿勢は持っており、それがすでに凄いと思う。さらに、感謝しようとしてもうまくできない自分の正直な気持ちを吐露しており、その衒いの無さも素晴らしい。読めば読むほど好きになるお歌だ。


ことだまを
ゆすってみる
もよら もよら
その よいんのなかに
たたずむ

柳瀬丈子
176p.

 頭で理解するのではなく、心で感じるタイプのお歌だと思う。3行目、「もよら もよら」が何とも心地よい。5行全てがひらがな表記なのも相まって、お歌全体からリラックスを促すアルファ波が出ているかのよう。4、5行目がまさしくこのお歌の読後感を表していて、読み手は心地よい余韻をじっくりと味わうことができると思う。


いぢわるが
過ぎた日
つり銭は
募金箱に
投入する

芳川未朋
203p.

 「いじわる」でなく、「いぢわる」なのが何とも可愛らしく、小憎たらしい。「いぢわる」はきっと、陰湿な嫌がらせのようなものではなく、愛情の裏返しのような微笑ましいものなのではないだろうか。自分でそれがちょっと行き過ぎだったなと自覚のあるような時に、埋め合わせのように小さな善事を行うところが、ますます可愛らしい。


失望をしても
しずかに別の道へ
方向転換するだけ
度を過ぎた期待は
していない

今井幸男
275p.

 人間関係における気の持ちようとして、大いに共感する。他人への過度な期待は、たとえそれが恋人や肉親であっても、あまり良い結果を生まないように思う。相手への期待が大きければ大きいほど、それが裏切られたときに相手を責めてしまいがちだが、本当は誰も自分の期待に応えるためだけに生きているわけではない。作者はそのことを充分に解っているのだろう。


もっと人を信じろよ
もっと人を疑えよ
もっと考えろよ
もっとなにも考えないでいろよ
どっちなんだよ はっきりしろよ

伊藤雷静
290p.

 「中学生の五行歌」より。作者にはもはや、○○中学校○年というような肩書きは必要ないだろう。すでに立派なうたびとだと思う。正直に告白すれば、4月号に載っていたお歌を読んだ時から作者のファンである。何を信じ、何を疑い、何を考えればいいのかわからない、焦燥感のような感情が上手く表現されている。一度作者と話がしてみたい。


ひくことも
こもることも
いつでもできる
しかしぼくは
できることはしないのだ


山川 進
319p.

  人生においては、時には痛みや辛いことから逃げることも必要な時がある。おそらく作者もそれを承知の上で「ぼくは/できることはしないのだ」と詠う。この勇気に溢れた宣言に痺れる。私も色々なことから逃げて、逃げまくって、引きこもっていた時期が長かった。それらが全て無駄な時間だったとは思いたくないが「逃げ」は癖になり、また、逃げ続けていると、居場所はどんどん狭くなる。ならば、逃げるのは最後の手段に取っておき、できないこと、やったことのないことにどんどんチャレンジしていくことが、自分の人生を豊かにしてくれるだろう。勇気づけられたお歌。感服するしかない。

(了)




[14] 作品評(2019年5月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 9月 6日(金)21時22分48秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

違和感に蓋をして
口角あげて
背中で中指たててる
そんな自分に
ゾクゾクするわ

自分で自分を
騙している
自覚はちゃんとあるから
大丈夫
まだ冷静だ

稲本 英
22p.
228-229p.

 どちらも「自分で自分を騙している」ことについて詠っているお歌だと思う。面白いのは、どちらも「自分を騙している自分」を「さらに客観視している自分」の目線で詠われていること。前者はそんな自分に恍惚としており、後者は少し正気を失いかけている様子が見て取れる。作者に自分を騙すことを強いている存在が何なのかまでは読み取れなかったが、独特の魅力を放つお歌達だ。


ほんとうに
よいことばは
たぶん
どこぞでだれぞが
すでにつことる

高原郁子(こうげんかぐわし)
38p.

 確かにその通りだと思う。誰かの人生の糧になるような「本物の良い言葉」はもうすでに誰かが紡ぎ、残していることだろう。でも個人的には「誰かにとって必要となる言葉」というのは時代とともに変化していくものだと思う。だから、我々は、自分自身を含む、今を生きる人達に向けて、必死に言葉を紡ぐのだろう。結論ではなく前提として、大切なことを教えてくれたお歌。方言での表記も効いている。


暗黒の
未来に
なっちまったな
だが
それでいい

堀川士朗
127p.

 どこかデカダンスを匂わせる、破滅的で毒のある作者の書く五行歌が大好きであったが、作者は今号限りで五行歌の会を退会されてしまった。わりと筆者と年齢も近く、共鳴する部分も多かっただけに、ショックが大きかった。ほんの一瞬ではあるが、私も会を退会することを真剣に考えたほどだ。今後は表現するジャンルは変わってしまうが、これからもお互いに刺激を与え合えるような存在でいたいと願う。暗黒の未来で祝杯をあげたい。


虐待 ネグレクト
私にだって
その芽は
潜んでいると思った
子育て時代

村松清美
164p.

 児童虐待のニュースが流れるたび、多くの人は加害者の残虐非道さを責め立て、「信じられない」「理解できない」と自分とは関係ない問題として捉えてしまいがちだと思う。しかし、このお歌は自分にも加害者になる可能性があったことに正直に言及し、虐待・ネグレクトといった問題を、特別な事情を抱えた人だけの問題ではなく、自分自身に引き寄せて捉えているところに、勇気と潔さを感じた。


信じよう
お互いに
失ったものを
与えられた
仲なのだ

しん
175p.

 「お互いに失ったものを与えられた仲」というのは色々な解釈ができそうだ。作者とその相手はわかりやすい関係性ではなく、色々あった仲なのだろう。それを具体的に説明することなく、簡潔な言葉で表現することで、読み手に想像の余地を残しているところに惹かれた。能動的な「信じよう」という一行で始まるところもいい。


悩む相手に
自分の古傷を
特効薬のごとく
語っている
ん、卑しいぞ

吉川敬子
189p.

 これは私もよくやってしまいがちなことなので、大いに共感した。悩みは人それぞれのはずなのに、かつて悩んだ経験がある人は、自分自身の経験談が、今悩んでいる人へのヒントになるはずだ、と信じて疑わないところがある。これは、私も善意のつもりで知らず知らずのうちにやってしまうことがあるが、悩んでいる当人からしてみれば、自分の悩みを相談したはずが、いつの間にか相手の体験談にすり替わっているのだから、「きちんと自分の話を聴いてくれていない」と感じる可能性もあるだろう。作者の仰る通り、こうした行為は卑しいのかもしれない。今後は気を付けようと思った。


毎年の
梅の香を
くぐり抜け
父の匂いの消えた
家に入る

三隅美奈子
222p.

 年月の巡りと、かつてそこに居た人の追憶とを「香り」と「匂い」とを用いて、非常に巧みに描かれている。まるで、良質の短編映画を観た後のような余韻が残る。お父上との別離からはある程度の年月が経ったことが伺え、感傷的でありながら、それでも季節がまた春に向かってゆくことの前向きさも感じられる。この塩梅がたまらない。


四百人の聴衆より
たった一人の暗闇へ
語りかける方が合っています
音訳再開
頑張れ自分

板東和代
233p.

 「たった一人の暗闇に語りかける」という表現に惹かれた。音訳については知識が無かったので、ネット検索で少し調べて知ったのだが、目の不自由な方達向けに、活字の本などを読み上げて録音図書などにまとめる作業のことのようだ。「暗闇」とは文字通り目が不自由なことも指しているのだろうし、心の暗闇のことも指しているのであろう。こうした取り組みはもっと広がって欲しいと思うし、私も作者を陰ながら応援したくなった。


ついに来たか
老々看護の
二人三脚
助け合い行くぞよ
ゴールまで

堀内 力
272p.

 社会問題ともなっている老々介護のことをあくまで、前向きに描いている点に惹かれた。「二人三脚」や「行くぞよ」という表現もいい。介護のゴールとは、すなわち人生の終わりに他ならないが、こういった達観した明るくて前向きな高齢の方の死生観に触れるにつけ、自分もこういう歳の取り方をしたいなあと思わされる。


貴方のせいだと花が言う
お前が悪いと風が言う
散らせる風も散りゆく花も
御互い引かれ合い縺れ合いながら
罪を背負ってこの世に生きる

辻 あい子
273p.

 「花」が女性、「風」が男性の象徴であろうか。ちょっと演歌調な世界観にも思えて、不思議な読後感を覚えた。「花が散る」とは破局の暗示のことか。それでも、花も風も、引かれ合い、縺れ合いながら、「罪を背負ってこの世に生きる」という。一筋縄ではいかない、オトナの男女観という感じがする。今までの五行歌の世界ではあまり類を見ない感性をお持ちの方だとお見受けした。今後も注目してゆきたい。


いつも
新しいいのち
今日は
あなたに
会った

草壁焔太
274p.

 何を言っても蛇足になってしまいそうな、流石と言うほかないお歌。そうなのだ。いのちは生きている限り、いつも今日が一番新しい。そのことを感じさせてくれるような「あなた」という存在が居て、その方に「会った」ということ。当たり前のようでいて、奇蹟のような巡り合わせ。ちいさな幸せを噛みしめて生きる様子が伝わってきて、あたたかい気持ちになる。


彼の身体は
礼拝堂であった。
深奥な喉から
高い鼻の塔を抜け
呼吸は歌になった。

マイコフ
276p.

 作者については詳しく存じ上げないが、ちょっと日本人離れした感性の持ち主だと感じる。英詩の日本語訳を読んでいるような感覚にも陥る。句読点の使い方も効いている。構成も言葉選びも巧みで、荘厳なイメージを読む者に抱かせる。最後の「呼吸は歌になった。」という締め方も好み。


グリムスパンキー
「大人になったら」
久々に感じた
この衝撃
まさに私の青春

加藤温子
324p.

 まさか雑誌『五行歌』でGLIM SPANKYの名前を見る日が来るとは!GLIM SPANKYとは、筆者もファンである二人組のロックユニットであるが、その中でも「大人になったら」という曲を選ぶあたりが、実にわかってらっしゃる、という感じ。筆者はもっとポップな「リアル鬼ごっこ」という曲が一番好きなのだが、「大人になったら」はスローテンポで過ぎ去りし青春を歌っている名曲だ。好きなアーティストのことをストレートに詠っているところがよく、アーティストを知っていると余計に共感できて二度美味しい。書いてくれてありがとうございます、と言いたくなるお歌。


(了)



[13] 作品評(2019年4月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 8月14日(水)10時06分49秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

霞を食べる
仙人を
見習え
刹那を食らう
凡人たち

山崎 光
15p.

 「凡人たち」に当てはまる心当たりがあり過ぎる身としては、ドキッとさせられたわけだが、この歌の凄いところは、こういったお説教めいたことを詠っているにも関わらず、読み手にまったく言っていいほど、不快な気持ちを抱かせない点。むしろ読んでいて、ある種の清々しささえ感じさせるから不思議だ。実はこういった「偉そうな歌・上から目線の歌」というのは難しい。一歩間違えると、お説教臭さが鼻につく歌になってしまいがちだからだ。これはあくまで想像だが、この歌は今を生きる人々への警鐘であると同時に、作者自身の自戒の念も込められているのではないか。作者の歌を作る際の「姿勢の良さ」が感じられるから、伝えたい想いがすっと読み手に届く。これは間違いなく才能のなせる業だ。



八方塞がりの
壁が崩れたのは
最後は死ねばいいんだ
と 立ち上がった


酒井映子
20p.

 どこにも出口が見当たらないような状況の中で、苦悶の末、生への執着さえも手放したことで、状況を打破したという経験が力強い筆致で描かれている。人間、気持ちが弱気になり、保身や体裁を気にしていると堂々巡りに陥りがちだが、文字通り「死んだ気」になって物事に当たれば、望み通りとはいかないまでも、道が開けることが多いと思う。筆者にも似たような経験があるので、共感するとともに、勇気を与えてもらえるお歌だ。五行目が一文字だけになっているのも巧みで、どん底から立ち上がったまさにその瞬間にフォーカスが当たるとともに、歌全体がグッと締まる効果を生んでいると思う。



ママとギクシャクし始めた
女児10歳
よしよし
議論が
対等に近づいたってことだ

兼子利英子
38p.

 作者は女児の祖母だろうか。女児の成長を温かく見守っている視点に惹かれた。10歳ともなれば、そろそろ自我が芽生えてきて、いっちょ前のことを言い始めるころ。思春期の入り口と言ってもいい。色々と難しくなってくる子育ての一場面を上手に捉えていると思う。3行目の「よしよし」が包容力があって素敵。作者のような存在が居ることは、きっとママにとっても、女児にとっても、ありがたいことなのではないだろうか。



たしなみを
忘れない人の
胸の奥には
想うひとが
きっといる

吉田節子
149p.

 そうなのだ。胸の奥に想うひとがいる人は、めったなことはしない。大切なひとを悲しませたくはないから。大いに共感する一方、「想うひとがいない人」についても想いを馳せた。想像を絶するような恐ろしいことをしてしまう人は、もしかしたら、「誰かがいるべき胸の奥」が空っぽだったのかもしれない。でも、人は一人では産まれてこれないし、一人では成長できない以上、そういった人もまた、誰かの「想いびと」だったのかもしれないと考えると、堪らない気持ちになる。想うことは無力かもしれないし、想い返されることを期待してはいけない。それでも自分自身を保つために、誰かのことを想う。そういう生き方はとても尊いと思う。



植える前に
芽を出す球根
寒さを教えなければ
花は
咲かない

かおる
152p.

 球根のお歌だが、人間も同じなのかもしれないと感じた。最近自分が感じていたこととリンクしていたので、見逃せないお歌だった。球根にとっての寒さは、人間にとっては挫折や苦労ということになるだろうか。そうしたものを経験し、乗り越えた人間はやはり強い。だからと言って、すすんで挫折や苦労を味わえ、とは言えないが、一生そういったものとは無縁であることが、本当に幸せな人生と言えるのかどうか。色々と考えさせられた。



けっして
本物ではなかったのに
一番本物らしかった
初恋という


三隅美奈子
159p.

 本物の恋というものがどういうものか、未だに勉強不足でよく分かっていない筆者としては、作者に「本物の恋」について聞いてみたい気持ちになるが、そんなことはさておき、この歌にはある種の真理があるように感じた。初恋には、不器用、一途、ひたむき、といったイメージがある。そして、たいていの場合、成就しないことが多いように思う(※個人の感想です)。筆者は最近誕生日が来て、不惑を迎えたが、正直この歳になっても恋というのは「わけがわからない」ものだ。そのわけのわからないものに、勇気を持って体ごと飛び込んでいく姿勢こそが、初恋を本物らしく感じてしまう原因ではないかと思う。



いつの間にか
世界地図から
消えてしまった
事なかれ主義の


鈴木理夫
160p.

 今の日本の国としての有り様を痛烈に皮肉っていて、このままでは日本が消滅してしまうよ、と警鐘を鳴らすお歌であろうか。国というのはつまるところ、領土とそこに住む個人の集合から成るものであるから、事なかれ主義の国というのは、事なかれ主義の人々の集合ということになろう。大多数の日本人は揉め事を嫌い、平和を愛する国民性を持っていると信じているが、混迷する世界情勢の中、かつてのように受け身でいるだけでは平和は守れなくなってきていることを肌感覚で感じる。かといって、どう行動するのが良いのか、と問われれば、その答えは簡単ではない。自分の立場を明確にすると、他者との分断を生む。どうかこのお歌の憂いが杞憂に終わり、事なかれ主義の国々が世界中に増えればいいと、平和ボケの筆者は思う。



聴きながら皆
同じ顔 を思い浮かべてる
ハラスメント講習
ご当人を
除いて

明槻陽子
162p.

 現代的なテーマを痛快に詠まれていて惹かれた。ご当人という言葉のチョイスが絶妙。何処の職場にもお一人くらいは「ご当人」のような方がいらっしゃるであろう。ハラスメント講習を受けているご当人の心持ちやいかに。「自分には関係ない」と聞き流しているのか、多少は思うところがあって反省しているのか、はたまた別の誰かの顔を思い浮かべているのか。ハラスメントとは、大人の世界の「いじめ」であろう。ハラスメント対策においては、多くの場合、加害者に注意を促すという傾向にある。一方、話は少し変わるが、子供の世界のいじめにおいては、未だに「いじめられる側に問題がある」「もっと強くならないといけない」などと、被害者に責任があるかのような物言いがまかり通っているように思う。子供の世界においても、はっきりといじめの加害者に注意を促すようになって欲しい。



幻想を
常食する
種族に
生まれついた
というけだるい呪い

南野薔子
178p.

 なかなか解釈に迷うお歌だが、筆者なりに感じたことを書かせていただく。「幻想を常食する種族」とは、小説、漫画、映画、詩歌などの創作物を好んで読んだり見たりする人間であるということだろうか。そういったタイプの人間として生まれたことは、「けだるい呪い」であるという。筆者も創作物に触れるのは大好きな人間であるが、そういった人種のことを決して美化していないところが、逆に好感が持てる。全体から感じるどこか耽美的な印象も魅力的だ。



ぼくは
とべない鳥だ
みんなや家族は
とべて
ぼくはとべないみんなはとべて

明光小学校三年
北本恵太郎
206p.

 自分に自信が持てない男の子のお歌だろうか。読んでいて切なくなった。ありきたりは慰めは言いたくないが、どうか、書くことを続けて欲しい。それが五行歌でなくてもいい。作者の気持ちにみんなが気付けるのも、そこから何かを感じ取れるのも、ほんとうの気持ちを書いたらこそ。ほんとうの気持ちを文字にして書けるというのは、いつか作者の力になるはずだ。



決して
忘れているわけではない
言葉にするのが
困難なだけなのだ
戦争は

ともこ
231p.

 戦争経験者の方々も高齢になり、だんだんと戦争体験を語れる人は少なくなってきている。幼少のころ、夏に親に連れられて戦争体験の話を聞く会に行った覚えがあるが、退屈だし、怖いし、早く帰ってテレビゲームがしたいと思いながら聞いていた。今にして思えば、大変失礼で勿体ないことをしていた。語り手の方々はそれぞれ辛い思いと向き合って話をしてくれていたのに。辛い体験を言葉にして語れるのは、その体験をある程度自分の中で消化できているからだと思う。戦後74年が経っても、それすらできずに戦争体験を未消化のまま心に抱えている人がたくさんいるということだろう。



おばあさんは
散歩中の
保育園児の群れに
孤独を
そっと置いてきます

村岡 遊
259p.

 なんとも言えない余韻を残すお歌。歌の主体のおばあさんは、おそらく作者のことだと読ませていただいた。作者は、お散歩中の園児たちと遭遇し、そっと孤独を置いていくという。これは、楽しそうにお散歩している園児たちに、おそらくは孤独を体現しているような作者ご自身の姿から何かを感じ取って欲しいという想いが込められているのではないかと思った。しかし、相手は園児たちであることから、そもそも「孤独」がどんなものであるのか分からない子もいることだろう。ゆえに、この想いはさほど切実ではなく、「君たちにはまだわからないだろうけど、こういう孤独なおばあさんもいるのよ」というような、どこか余裕と温かな眼差しが感じられる。この匙加減がたまらなくいい。



ゴールしたいから
スタートに
就くのではない
スタートしたいから
スタートに就くのだ

高原郁子
275p.

 何かを始めるとき、最初から具体的な到達点を思い描く人もいるだろうが、それはどちらかと言えば少数派だと思う。例えば、歴史に残るようなスポーツ選手がいたとして、その人も最初にそのスポーツを始めたときは、「このスポーツで世界一になるんだ」という思いより、「そのスポーツが楽しくてしょうがない」という純粋な思いの方が強かったのではないか。端的に言えば、衝動は野心に優る、ということを伝えようとしているお歌だと感じた。最初の一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。自分のゴールを設定するのは、スタートを切った後でも構わない。何かを始める前にあれこれ皮算用してしまう筆者に喝を入れてくれるお歌だ。



嫌われる
疎まれる
あぁ歪んでいるから
面白がられる
愛される

今井幸男
291p.

 真ん中の行の「歪んでいる」ということ軸に、とある人達からは嫌われ、疎まれる一方、また別の人達からは面白がられ、愛されるという二面性が詠われている。同じ歪み、言い換えれば「個性」でも、受け止め方は人それぞれということだろう。これは考えてみれば、当たり前のことで、誰かから好かれている人は、同時に同じくらい別の誰かからは嫌われているのが自然なのだろうと思う。それでも人間は欲張りなので、できることなら多くの人に好かれたいと願うもの。いわゆる八方美人な人は、自分の歪みを上手に隠すとともに、自分を好きでいてくれる人を意識的・無意識的に取捨選択しているのだと思う。きっと作者はそういうことはせず、嫌われることを覚悟で自分の歪みをオープンしつつ、誰とでも分け隔てなく付き合う方なのではないか。この潔さに惹かれる。



しあわせを
何かに
たとえ
人に
嫌われよう

いわさきくらげ
311p.

 シンプルな言葉しか使われていないが、発想が面白く、解釈も難しいお歌だ。しあわせを何かにたとえる、というのはさほど悪い行為とは思えないが、それをすると人に嫌われる、と詠われている。しかも、それを承知で、自分から能動的に人に嫌われようとしているのが面白い。的外れになることを覚悟で、少し突っ込んだ解釈を試みると、しあわせに関するたとえ話をするというのは、おそらくは自分自身がしあわせな状態な時に行う行為だろう。作者自身のしあわせを何かにたとえて話すというのは、失礼だが少しキザな、分かった風な行為であることだろう。人間は妬みっぽい生き物なので、どちらかと言えば他人の幸せより不幸が好きなもの。ゆえに、自分のしあわせを何かにたとえるというのは、そういった人達を敵に回す行為だという自覚があるのだろう。そして、大事なのはそれを自覚した上で、すすんで自分の幸せを何かに喩えようとしている点。一読した時はつかみどころのないお歌だと感じたが、こうして読み込むと、肚の据わった力強いお歌であることがわかる。



よく考えてみると
僕は嘘ばかり
事実は話せても
本心は話せない
自分にすら話せない

川越市立高階中学校二年
伊藤雷静
358p.

 3、4行目に惹かれた。客観的な事実は話せても、自分の本心は話せないという。作者のことは存じ上げないが、どちらかというと他者とのコミュニケーションの際に、表面を取り繕ってしまい、体裁の良い言葉ばかりを言ってしまうタイプのお方なのかと想像した。会話していても、自分の本心が置き去りになってしまうので、当然それは楽しくないし、ストレスやフラストレーションが溜まってしまう。そういったことを続けているうちに、自分自身でも自分の本心というものが分からなくなってしまう。何とも苦しく、切ないお歌だ。しかし、こういった方は、裏を返せば、空気が読めて、他人を気遣えるやさしい心を持っているのだと思う。どうか、自分のことを卑下せずに、コミュニケーションの中に自分の「ほんとうの気持ち」を少しずつ出せるようになっていただけたら嬉しい。それと同時に、他の誰かの「ほんとうの気持ち」に敬意を忘れないこと。それさえ出来れば、会話というものは楽しく、ストレスが溜まるどころか、むしろストレス解消になることに気が付くはずだ。



人と出会って
成長した人は
別れても
成長出来るはず
がんばれ!

中村幸江
368p.

 気持ちいいほどの直球!ズバンと心を撃ち抜かれたので、選ばずにはいられなかった。歌のつながりや体裁を無視して、私情が溢れまくっている5行目が最高。進学や就職などの門出に立っている人に向けたエールだろうか。その人の成長を実感し、また、さらなる成長を期待している温かな視点がいい。作者の相手を想う気持ちが十二分に伝わってくる。こんな風に誰かを思えることは幸せなことに違いなく、また、こんな風なエールを送ってもられる人というのも、幸せな方だと思う。



ドローン
AI
遺伝子操作
蒼い地球は涙袋
幼い女の子一人救えない

天野七緖
372p.

 スケールが大きく、かつ詩情に溢れ、考えさせられる。とても完成度の高いお歌だと思う。4行目の表現が好きだ。「幼い女の子」が特定の事件の被害者を想定しているのかどうかは分からないが、テクノロジーが進歩する一方で、そういったものの恩恵をまったく受けることなく、絶望的な状況で追い詰められている、か弱い命も多い。テクノロジーは時に人間の心にも影響を与えるものだと思うが、それは果たして良い影響なのかどうか。効率や通り一遍の善悪にばかり固執して、思考停止し、人間性を失う恐れはないか。願わくば、テクノロジーの進歩が、か弱きものを救い、彼らが生きやすくなるような社会であって欲しい。



失敗した
人生であっても
生きることには
なんの
支障もない

会沢光子
384p.

 誰だって失敗よりかは成功した人生を歩みたいもの。しかしながら、挫折や躓きと無縁で、何もかもが順風満帆である人生などそうそう送れるものではない。誰だって大小の差はあれど、失敗を経て成長してゆく。そんな人生を真っ向から肯定してくれている点がいい。一度も転んだことがない人より、転んでから起き上がった人の方が強くさえあると個人的には思う。もちろん、まったく転ばないというのも素晴らしい才能であると思うが、転んだことのない人は、転んで苦しんでいる人の気持ちが本質的に理解できないのではないだろうか。他人の苦しみに共感できるというのは、多くの人が考えているより、ずっと大切な資質ではないかと、最近強く思う。



(了)



[12] 作品評(2019年3月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 6月16日(日)19時53分53秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

クジラが
プランクトンを
吸うように
人を馬鹿にして
生きている

山崎 光
14p.

 一読して、すっかり惚れ込んでしまったお歌。まず、自分自身への平静でシニカルな批評眼が感じられるところがいい。次に、クジラの比喩が実に効果的だ。後半二行は割と過激なことを詠っているのだが、クジラの持つ雄大さやスケールの大きさといったイメージのおかげで、その表現があまり嫌味に感じられないところが巧み。クジラのような存在になら馬鹿にされるのも仕方ないかな、と許容してしまいそうになる。クジラがプランクトンを摂取するときは異物や海水ごといっぺんに呑み込む。作者は人を馬鹿にしていると言いながら、人の良いとこ悪いとこを丸ごと呑み込んで、自らの成長の糧にしてしまうのではないか。



謙虚に生きよう
と 決めたのに
酒を飲めば
いつのまにか
自慢話

鮫島龍三郎
20p.

 謙虚を心掛けてもなかなか上手くいかない、この人間らしさがいい。自分で自慢話をしているという自覚がある方はそれだけで充分謙虚な部類に入る気もするが、作者はきっと自分自身に厳しいお方なのだろう。酒の席では失敗談の方がウケるし、聞いている人との距離も縮まるとは思うが、私自身は割と自慢話をするのも聞くのも嫌いではない。会う度に毎回同じ自慢話を繰り返されたら、さすがに辟易するだろうが、世の中には色々と凄い人がゴロゴロいるので、「私のここがこんなに凄いんです」という話は、むしろ進んで聞きたい。



今日を 蹴り上げろ
明日を でっち上げろ
生きたけりゃ
常識なんかじゃ
もう 駄目なんだよ

都築直美
46p.

 自分自身に喝を入れているような、力強いお歌。ヒリヒリとした切実さとエネルギーを感じるところがいい。作者にとっての生とは、常識に頼ることの出来ない、生やさしくはないものなのだろう。それでも作者は今日という現実に蹴りを入れられるだけの勇気と脚力を持っているし、明日という未来をでっち上げることができるだけの才覚と空想力がある。常識からはみ出すことにはリスクも付きまとう。作者の賭けが成功すること願う。



人生では底辺
けれども
五行歌では
少し上を
目ざしたい

MOBU
57p.

 一行目の現状認識が潔いほどシビアで、清々しくさえある。私自身も五行歌を書き始めたときは本気で「今は人生のドン底で、何処にも出口が無い」と感じ、何かに縋るような思いで歌を書いていたことを思い出した。目ざしたいのが「少し上」というところがいじらしくていいと思うが、どうせなら何処までも上を目ざして欲しい。そういう人がたくさん居るほど、未来が明るく、楽しくなると思う。



自分が
だれよりも
苦しい
という錯覚に
恥じ入る

柳沢由美子
77p.

 人が陥りやすい錯覚を的確に捉えている。誰しもが身に覚えがあることだろう。苦しいときほど、視野が狭くなり、自分の苦しさばかりが大きく感じられ、他人の苦しみには無頓着になってしまう。だが、ある意味それは自然なことでもある。誰だって自分の苦しみこそが一番リアルに生々しく感じられるからだ。遠い国で戦争や飢餓に苦しむ人のことを慮るのはもちろん大事だが、それよりも「自分は仕事が出来ない」という身近な苦しみの方が遙かに切実な面もあるだろう。それでも作者は、自分がだれよりも苦しいのは錯覚であると言い切り、それを恥じ入るのである。その清廉で生真面目な感性に惹かれた。



思うな
考えるな
動くな
只管打坐
思ったようになる

那田尚史
147p.

 とても好きなのだが、評をしようとすると、なかなか一筋縄ではいかないお歌。思うことも、考えることも、動くことさえ放棄して、ひたすら一つのことに打ち込めば、思った通りになるという。雑念、邪念を払うことの大切さを歌っているのだとは思うが、一行目で「思うな」と言っておきながら、五行目で「思ったようになる」と言われると、「思わなかったら、思ったようになりようがない」などとツッコミたくなってしまう。おそらくは一行目の「思うな」は、正確には「余計なことを思うな」ということなのだと思う。集中することの大事さを教えてくれるお歌だと思う。



嫌いを遠ざけ
好きばかりを追いかけ
糖度の高い
未来に
朽ちてゆく

甘雨
184p.

 後ろ三行の表現に特に惹かれた。どことなく、好きなことを仕事にした(あるいはしようとしている)夢追い人についてのお歌なのかと感じた。自分の得意なこと、好きなことだけして生きてゆくのはとても夢のあることだが、本当にそうやって生きている人はめったにいない。誰だって生活のためには、ある程度、嫌いなこと、やりたくないことをやって生きている。意外とそういう時間こそが、好きなことに向き合える時間の大切さを教えてくれたり、得意なことをもっと研ぎ澄ますためのモチベーションを与えてくれるのかもしれない。「本当に好きなことだけしかやらない」というのは、ある意味、不健康であり、毒でもあるのだろう。



誰だって
スナフキンになりたくて
なりきれないまま
ムーミン谷を
去ってゆく

王生令子
221p.

 面白いお歌。前述のお歌とちょっと似通ったところがあるかもしれない。確かに私も子供の頃スナフキンのような生き方に憧れた。風のようにやってきて、憂いを帯びた表情で、楽器を弾いて歌なんぞ歌い、また風のように去っていく。男女問わずカッコいいと思い、「あんなふう
に自由気ままに生きてみたい」と憧れてしまうだろう。だが、多くの場合、その憧れを実現するには困難がつきまとう。そうして、巷には「中途半端なスナフキンもどき」が溢れることになる。それが良いことなのか、悪いことなのか、その価値判断までは言及されていない点もこの歌のいいところだと思う。



オリンピック?
興味ないよ
俺、出ないから・・・
こんなおじさんにこそ
メダルを贈りたい

庄田雄二
264p.

 言われてみれば確かに、と思われたお歌。もう来年に迫った東京五輪ではあるが、オリンピック選手ではない限り、所詮は「他人の祭り」なのである。もちろん、ボランティアや観戦という形で参加するのも素晴らしいことと思うが、それよりもお祭り騒ぎに浮かれずに自分自身のやるべきことをしっかり見極めなきゃ駄目だと、このおじさんは思っているのではないか。ちょっと褒めすぎかもしれないが、そう思った。



何拾い
何捨ててきた
右の手よ
握手ができる
友が残りし

鈴木 滋
292p.

 たまに見かける、「短歌になっている五行歌」。純粋に短歌として読んでも好きなお歌だ。五行に分けたときの、改行と呼吸もよくマッチしており、五行で見るとさらに良さが際立つような作りになっているように感じる。それなりに人生経験を重ねてこられた方のお歌だと推測する。おそらく作者の利き手である右手にとって、今残っているものが友というのがたまらなくいい。平素で無駄のない表現ながら、想いが充分すぎるくらい伝わってくるところも凄い。



白菜を漬けた
重石は
広辞苑、百科事典、聖書
仕上がりは
哲学の味

中込加代子
314p.

 漬け物石の代わりに分厚い本を使ってしまうという意外性が面白い。実景だとしたら、なかなか豪気な性格の持ち主だと思う。特に聖書を漬け物石代わりに使うのはなかなか勇気がいる気がするのだが・・・。四、五行目の結びも見事。こんなふうに詠われたら、ちょっと味見してみたくなる。




お別れは賑やかに
やけに明るい一群も
やがて
無言で帰る
丸い背(せな)

中村幸江
332p.

 お葬式かお通夜の一幕を詠ったお歌だと読ませていただいた。賑やかで明るい一群が、単にそういう気質の方々なのか、故人のことを偲んで意識的にそう振る舞っているのかまでは読み取れないが、そうした方々も帰り道には皆黙って帰っていく、という描写がいい。帰る方々の背中を見送っているのだから、作者は故人の身内ということだろうか。しんみりと心に沁みる秀歌だと思う。



ぷっ と
ふくれて
ふにゃ ふにゃ に
おあとは
あなたしだいよ

ゆらら
338p.

 実験的で楽しいお歌。前三行が何のことを指しているのか、色々と想像が膨らむ。作者自身がふくれっ面で怒ったあとに、何かがあって、脱力状態になったのだろうか。あるいは、季節柄(3月号の投稿時期は1月)お正月のお餅を焼いている時の描写かもしれない。後ろ二行が思わせぶりでちょっとエロい感じがするのもまたいい。



(了)



[11] 作品評(2019年2月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 4月 8日(月)20時35分46秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

仏間と玄関に
花が活けてあれば◎
リビングだけなら○
萎れていたら×
母の体調の目安となる

倉本美穂子
39p.

 一緒に住んではいない、病気がちなお母様のお宅を訪問したときのお歌だろう。お母様は花が大好きなのか、家のあちこちに花を活けているご様子。その花の活けてある場所と、花の鮮度がお母様の体調のバロメーターとなっているとの着眼点が面白い。こういう些細なところに気が付くのも、作者がお母様のお宅に行く時間を大切にして、小さな変化も見逃すまいと目配りをしているからだろう。母思いの作者のお人柄が伝わる、素敵なお歌だ。


心ひらけば
解りあえる
そんな幻想が
生み出す
かなしい諍い

神島宏子
76p.

 人は皆違う。当たり前だが、本当に人は皆違う。心をひらいて解りあえるのは、たいてい気の合う人間同士の場合だけで、そうではない場合は、心をひらくことで、むしろお互いの立場や意見の違いが鮮明になる場合が多い。時にはこの歌のように諍いにまでなってしまうケースもあるだろう。でも、諍いになったとしても、心をひらいて自分の意見をぶつけ合うことは決して無意味ではないように思う。私にはこのお歌は悲しいだけのお歌とは思えない。諍いの後に、相互理解が待っていることも有るに違いない。双方がやわらない心を持ってさえいれば。


すでに
戦前かも知れない
平成の世は
かくのごとく
終わらんとしている

深見 犇
89p.

 平成も終わりに近付いているが、時代は閉塞感を増しているように思う。どの国のどのリーダーも、語るのは自国の利益を如何に確保するかということばかり。テロや銃の乱射事件も頻繁に起きすぎて、もはや感覚が麻痺している。私達は時代にゆっくりと狂わされているのかもしれない。平成は少なくとも日本の国土が戦場になることはなかった時代として終わりそうであるが、次の時代もそれを継続していくために、自分は何が出来るのか。そんなことを考えさせられたお歌。


捨てるのではなく
放つ
時が来たらきっと
かたちを変えて
現れるだろう

コバライチ*キコ
184p.

 解説するのが難しいが、理屈抜きに感覚として、とても好きなお歌。放つ、としたのは素直に読めば、自分のお気持ちのことか。自分が囚われていた気持ちや感情から自由になり、距離と時間をおくことで、その気持ちや感情との関係性も変わってくるということだろうか。作者のお歌はいつも凛とした清々しさがあって惹かれてしまう。


寒風の中
赤くなれないトマトを
かじってみた
悪い夢が詰まったような
苦い味

野田 凛
187p.

 冬のトマトは見た目が悪い、値段が高い、味がまずい、と三拍子揃っていると思うが、それでもお店に並ぶトマトは赤く熟している気がするので、1~2行目から察するに、家庭菜園で作ったトマトの歌のように思う。4行目の表現が斬新で魅力的。トマトが美味しくなる季節が待ち遠しくなるお歌。


歪んだ世界に
歪んだ自分を置けば
まっとうな人間に
見えるという
テクニック

王生令子
188p.

 これは実は多くの人が知らず知らずのうちに駆使しているテクニックではないか。世界も自分も歪んでいるくらいが健全であると考えているので、まっとうに見える人の正体というのは、歪み具合がたまたまその世界にマッチしているだけ、というものなのかもしれない。世界がまっとうだと考えている人も、自分がまっとうだと考えている人も、どちらも同じようにたちが悪いのかもしれない。そんなことを考えさせられたお歌。


自分の至らなさを
認める 嗤う 落ち込む
そこからだ
何かが
回り始めるのは

富士江
191p.

 ものすごく共感を覚えるお歌。二行目の「嗤う」がいい。自分の未熟さ、どうしようもなさを、認めるだけでなく、嘲笑する姿勢。ここに惹かれた。嘲笑できるというのは、自分を客観視できているということであり、自分を俯瞰で見ているような、ある種の別人格のようなものがあるということだろう。そういう人はきっと追い込まれてからでも粘り強い。自分の至らなさを心底思い知った後で、前に進もうとする意志を感じる力強いお歌だ。


ジャージの上下
口から出たのは
ジョージのジャーゲ
それだけで
一日が明るい

はる
214p.

 ささいな言い間違いであるが、「あるある」と共感してしまう。きっとこの言い間違いから、笑いが生まれて楽しい気分になられたのだろう。しかし作者は、ちょっとその場が明るくなるだけならいざ知らず、五行目で「一日が明るい」とまで書いている。これは、よほど普段からハッピーで笑いの絶えない生活をされているのか、逆にささいな笑いを繰り返し反芻して味わう必要があるくらい、シビアな現状に置かれている方なのかもしれない、と考えた。願わくば、前者であって欲しいが、果たして。


かけ蕎麦が
食べたい
好きな人のことを
想って
力の限り泣いたら

河辺ちとせ
249p.

 後ろ三行から推測するに、作者は失恋あるいは悲しい別離を体験されたのだろうか?食べたくなるのが「かけ蕎麦」であるのが良い。「ラーメン」だとちょっと俗っぽいし、「パスタ」だとちょっとオシャレすぎる。「かけ蕎麦」の庶民感がとても良い味を出しているお歌だと思う。無条件で、この作者を応援したくなる気持ちになる。


骨壺のしまる瞬間
姿を見せる最後に
骸骨は
微笑んでいたい
微笑んであげたい

足立洸龍
332p.

 骸骨になってまで、自分を送ってくれる人に対して微笑んでいたい、と思うお気持ちに打たれた。そこには、日頃自分に良くしてくれている人達への感謝があるのだろう。そしておそらく作者は、ご自分が骨壺に入る瞬間というのを、そう遠くない未来として捉えている方のように感じる。四、五行目の表現も巧み。

(了)



[10] 作品評(2019年1月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 2月16日(土)10時11分49秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

はげ隠しのボウズですか?
不登校だったガキがいう
そこまでに到達したかと
喜んでやるよ!
図星だし

和からし
9p.

 ぶっきらぼうな物言いが小気味よく、痛快。おそらくは息子さんとのやりとりだと思われるが、憎たらしくも愛おしい、我が子との関係性が伝わってきて、温かい気持ちになった。「不登校」という言葉が特段強調されず、さらりと使われているのにも惹かれた。


息があるうちは
収集できません
ダンボールの仔猫
二度目の電話で
受け付けられる

中島さなぎ
14p.

 感傷的にならず、淡々と事実のみを述べた、後ろ二行が秀逸。こういう書き方のほうが、かえって鮮烈な余韻を残せるという見本のよう。作者自身の思い入れや感情が述べられていない点も効果的だと思う。残酷な歌であるが、その残酷さに、読者がものを思ったり考えたりするためのちょうどいい余白がある。同じ光景を見たとしても、なかなかこうは書けない。作者の筆力のなせる技だと思う。


役満を
テンパれば
タバコに3本
火をつけてた
ちっちぇ~男よ

よしだ野々
27p.

 麻雀好きとしては見逃せないお歌だった。知らない方のために説明すると、役満とは麻雀の中で一番点数が高くて、一番凄い手役のことです。役満にも色々種類があるので、どんな役満をテンパったのかが気になるところ。「アガった」とは書いてないので、テンパイどまりだったのかな?、テンパイしてからタバコ3本吸う暇があるんだから、割と早い巡目でテンパったのかな?、などと色々妄想が膨らんでしまう。


十二億年この方
雌雄(めお)未だ分かれざる時への郷愁を
未来に投射して
己が分身との合一を希い
恋う心

一歳
35p.

 作者の歌を前にすると、いつも自分の不勉強さを恥じたくなるが、書かれている内容から想像するに、十二億年前というのは生物がまだ雌雄同体だった頃なのだろう。その時への郷愁という表現も、三行目の「未来に投射」という表現もいい。恋心を歌った歌で、これほどのスケールのお歌はなかなかお目にかかれない。感服するしかない恋歌。


支配欲は
すぐ伸びる爪のよう
時折
魔女の手を
見かける

水源 純
88p.

 「支配欲」と「すぐ伸びる爪」の共通点は、「知らない間に生長している」「伸びすぎると相手を傷付けてしまう」といったところだろうか。想像になってしまうが、四行目の「魔女」という言葉は、爪の伸びすぎた手のビジュアルをイメージして欲しくて使っただけで、支配欲に取り憑かれる可能性について、男女問わずに警鐘を鳴らしているお歌だと考える。もう一つが、作者ご自身のことを念頭に置いて書かれたお歌である可能性だ。爪が伸びているのを一番気付きやすいのは自分自身だが、はてさて。今度作者ご本人にお会いしたときに聞いてみたい。


待ち合わせは
夫であっても
嬉しい
照れた顔も
新鮮だ

水野美智子
88p.

 純粋に羨ましい。こういう夫婦関係は素晴らしいと思う。二行目の「夫であっても」が、男性としてはちょっと引っかかる気もする言い方だが、全体から滲み出るラブラブ夫婦っぷりの前では、それも些細なこと。「ごちそうさまでした」と手を合わせたくなるお歌だ。


手の届く範囲に
愛はなかったから
自由を選んだ
仕方なくとも
人生は続く

金沢詩乃
116p.

 孤独や寂しさといったシビアな現状認識と、それでも前を向こうとする決意を感じさせるお歌の多い、作者の作風の大ファンであるが、このお歌にも痺れた。自由を選んだ人生であれば、かつては届かなかった愛にも手が届く日が来るかもしれない。もちろんそんな日は来ない可能性だってあるが、かすかな期待を抱くのは勝手だし、その方が心の健康のためにも良いような気がする。少なくとも私は最近そう思うようにしている。


消しゴムを
さいごまで使い切った
記憶がない
のに
捨てた覚えもない

芳川未朋
155p.

 言われてみれば確かに、というお歌。私の筆箱には、かれこれ15年くらい前から使っている消しゴムが入っているが、一向に使い切る気配がない。今はそもそもパソコンやスマホが普及して鉛筆やシャーペンで文字を書く機会が減っているせいもあるだろうが、思い返してみれば、学生時代から消しゴムが全部カスになって消えた瞬間というのは、見たことがないように思う。書いててちょっと都市伝説みたいで怖くなってきた。


薬剤師が
気の毒そうに
小声で薬の説明をする
もっと事務的で
あってくれたほうがいい

萌子
176p.

 私も持病で月に1度の病院&薬局通いが欠かせない人間だが、昔はもっと無機質な感じがした薬剤師が、数年ぐらい前からやたらあれこれ親身に聞いてくれるようなになった印象がある。「かかりつけ薬剤師」だか何だか知らないが、このお歌のように、人間味を前面に押し出すよりも、薬の効能と副作用等について淡々と説明してくれた方が、その薬剤師のことを頼もしく感じられると思う。


私はうれしいよ
他人には
言えない
嫌なことを
私にだけは言ってくれて

石村比抄子
190p.

 話し相手に嫌なこと、ネガティブなことを話されるのは、できれば遠慮したいと常々思っているが、相手が心を許している大切な人間であれば話は別ということだろう。よくよく考えてみれば、私たちは良いことよりも、嫌なことを話すときのほうが慎重に相手を選んでいるのかもしれない。ときに「ここだけの話」などという前置きを付けながら。作者の繊細な感性が光るお歌だと思う。


にんげんの
ほんとうの
在り方を
ほんきで考えないと
みんなあぶない

鳥山晃雄
206p.

 「人間の在り方」という大きなテーマについて、真っ向から警鐘を鳴らしている。確かに、現代は子供も大人も高齢者もそれぞれに危うさを抱えている時代だと思う。肌感覚として、テクノロジーの進歩が人間の嫌な面・マイナス面を拡張してしまうことが多く、また、それがよく目に付くようになっているのが、現代という時代のように感じる。このお歌に書かれているように、今一度、人間というものの在り方について想いを巡らせてみるのは、大切なことだと思う。


うるさーい
たまには自分で考えろー
何でも屋さんかっ
私はお母さんかっ
あ、お母さんじゃん

田渕みさこ
212p.

 育児のストレスをストレートに吐露していて好感が持てる。五行目のセルフつっこみも効いている。キレるだけでは終わらず、最後にユーモアを交えて終わるところが楽しい。テンポがよく、五行なのに、何となく4コマ漫画のような構成になっているところがいい。


落ちるスベる上等!
受からないわけがない
落ちたら
学校が見る目がない
謎の自信

水源カエデ
264p.

 受験シーズンなので、受験生を応援する意味でも、受験生代表として作者のお歌をひかせてもらった。受験生の鑑のようなメンタリティをお持ちの作者には感嘆するしかない。受験は学生にとっては一大イベントなので、ついつい人生の一大事として捉えてしまいがちだが、テストの点数で悪かったからといって、その人の人間性までが否定されるということは断じてない。ほんとうに大切なことは、試験では測れない。そういう大事なことを、作者は既に感覚的に理解している点が頼もしい。


横に眠る
男を愛した
たしかに
殺したくなる
なぜだろう

山本富美子
267p.

 ちょっと演歌の『天城越え』を連想した。横に眠る男、とは道ならぬ恋の相手なのだろうか。それとも旦那さんなのだろうか。どちらにせよ、過剰な愛情は殺意に変わるものなのだろうか。そこまでの情念を異性に対して抱いたことのない身としては、ある種のフィクションのように、ドキドキしながら読ませていただいた。


見えない半分は
求めない
この
半分だけを
丸くしていこう

山碧木 星
286p.

 味わい深いお歌。人間は誰しもが裏表がある。その裏面ばかりを気にして、「あの人はウラがある」とか言ってしまいがちだ。だが、裏面とは自分の本性であり、そこを矯正しようとすることはなかなかにエネルギーがいるものだし、不自然な行為であるとも言える。それよりも、相手に見える面だけを綺麗に保とうとする作者の姿勢に大いに共感した。「丸くしていこう」という表現もいい。


淡雪が
あるのなら
淡恋もアルだろう
人に触れる前に
消えてしまうような

漂 彦龍
294p.

 ばっちり決まっているお歌。相手に気持ちを伝える前に、消えてしまったような儚い恋心を作者もきっとお持ちだったのだろう。「純愛」というほど輪郭がくっきりしてないけど、面と向かって伝えるほどでもない、かすかな相手への好意を確かに私も経験したことがあるように思う。「淡恋」という言葉をぜひ広辞苑に登録して欲しい。



[9] 作品表

投稿者: 旅人 投稿日:2019年 2月 3日(日)15時20分9秒 ai126198126035.60.access-internet.ne.jp  返信

大島さん、ひげっちさん、今日は。毎月、率直で硬質な作品評を楽しみにしています。どの歌を選択するのか、今、何に関心があるのか心を反映しているようです。短歌も始めて守備範囲が広がって目が離せません。



[8] 作品評(12月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2019年 1月21日(月)22時53分8秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

仲の良いフリが
特技だったのか
10年信頼した人の
中身を見た
虚しさ

作野 陽
31p.

 長く付き合い、信頼を置いていた人への幻滅のお歌。ショックの大きさや怒りでは無く、諦観にも似た静かな余韻が伝わるところに惹かれた。作者はきっと冷静で穏やかな性格の持ち主なのだと思う。見えてしまった相手の中身がどんなものだかはわからないが、作者としては許すことの出来ない一線を越えてしまうものだったのだろう。こういった心情にある人にかける言葉はなかなか見つからないが、どうか人間不信にだけは陥らないで欲しいと願う。誰も信じられない状態というのは想像以上にしんどい。生きていて疲弊する。どうかこれに懲りずにまた人を信じて欲しい。信じるに値する人間はきっとこの世に少なくはない。少なくとも私はそう思っている。


細かくて口うるさい上司と
自分を過大評価する部下がいる
会社なら
とっくに
辞めている

大本あゆみ
48p.

 「家庭」というコミュニティを「職場」に喩えて、うまく皮肉を効かせている。夫婦は同僚と思いたいので、「口うるさい上司」はお姑さん、「自分を過大評価する部下」はお子様といったところか。ありきたりな家族賛美ではないが、会社であればとっくに辞めている状態でも、作者はこの家庭を見放さないのだ。そこには確かな責任感と愛情が感じられる。やはり母親というものは強いと思わされたお歌。


父の二十才の私へ
「水飲み百姓の娘だ
気取って生きるな」
なんと不思議な
お祝いの言葉

山本富美子
117p.

 括弧書きで書かれた、お父様からの成人祝いの言葉が味わい深い。この一言だけでこのお父様のことを好きになってしまいそうだ。自分の血筋を飾ることなく話し、子供に地に足を着けて生きて欲しいと願うお父様はとても実直で格好良いと思う。作者もこの言葉が印象に残っているからこそ、歌にされたのだと想像する。父娘の微妙な、しかしきっと温かみのあに違いない関係性が偲ばれるところがいい。


まず否定から入る
不平不満を
エネルギーとして生きる人
青白い炎は
暖めてはくれない

紫かたばみ
132p.

 こういう「負の感情をエネルギーとして生きる人」は割とよく居ると思う。気を付けなければいけないのは、こういう人が必ずしも「他人に不平不満をぶつけてばかりいる人」とイコールではないところ。内なる負の感情をエネルギーにしながらも、周囲には優しく接することが出来る人もいる。その一方、自分自身が負の感情をばらまいて、それに対して返ってくる負のリアクションをまたエネルギーに変えるような、ネガティブ自家発電みたいなことをしている人もいる。生き方に優劣はなく、全ての人の生き方がその人なりの「正解」だと考えているが、色々なことを考えさせられるお歌だ。


蛇は
自分の抜け殻に
何の興味も示さない
生まれ直した
のだから

柳瀬丈子
150p.

 蛇の脱皮を、「生まれ直した」と表現してるのがいい。抜け殻とは自分自身の残滓であり、自分の過去の比喩だと読ませていただいた。潔い蛇の有り様を想い、蛇のようにありたいと、作者ご自身を鼓舞しているかのように感じられた。人間は知能や時間の認識があるぶんだけ、爬虫類よりかは、過去に拘ってしまう生き物だと思う。個人的には過去に拘ってくよくよしている人も嫌いではない。すっぱり生まれ直せる人よりも、人間らしくて魅力的でさえあると思うからだ。それはともかく、凛と背筋を伸ばされる感じするお歌。流石と言うしかない。


困ったな
実家を
なくした日から
腹に
力が入らない

中島さなぎ
176p.

 肉体感覚として、実家をなくすというのはこういう感じなのだろうな、というのがストレートに伝わってくる。飾りの無い心情の吐露のような文体もいい。四、五行目の「腹に力が入らない」が特に素晴らしい。涙が止まらないとか、ずっと落ち込んで何も出来ないほどの状態ではなく、おそらくは日常生活をそれなりには送れているものの、身体から力が抜けるような喪失感がずっと付きまとっているのだと思う。逆説的に言えば、作者の実家やご両親は、それだけ作者の力の源だったのだろう。大事なものは失ってから気付くとよく言われるが、本当にその通りだと思う。


今日の
言い訳が
明日
後悔する
原因

秋桜
251p.

 納得するしかない。まるで、ことわざや格言のような、完成度の高い五行歌だと思う。自分に言い訳ばかりして、「なんとかなるさ」と「ま、いっか」が口癖の筆者としては大いに身につまされた。作者ご自身が、言い訳をしてしまうタイプで自分への戒めのお歌なのか、それとも、言い訳ばかりの他人を窘めるお歌なのかが気になる。


動かなくなった
ロボット掃除機を
捨てた
ゴミ袋の重さが
手に残っている

仁田澄子
345p.

 愛着のある家具・家電を処分する時は、少なからず寂しい思いをするものだと思うが、それが自分で動くロボットの類いだと、また違った感覚があるのかもしれない。どちらかと言うと、亡くなったペットとお別れするときの気分に近いのだろうか。もしかしたら、そこにはロボットの「命のようなもの」に対する想いがあるのかもしれないと思った。何とも絶妙なテーマと感覚でお歌を作られる方だと感銘を受けた。


思いやりが届かない
君の心はまだ
気づいていない
そのくらいが
ちょうどいいのだ

葵空
374p.

 一読して面白いお歌だと感じた。思いやりや優しさは、相手に届いて、相手からもまた優しさが返ってくるのが望ましいと、誰でも考えそうだが、作者は思いやりが届かないくらいがちょうどいい、と言う。これは、「世の中そんな良い人ばっかりじゃないから、届かないのが普通と考えとけよ」という前向きな諦観なのか、「大事なのは相手の反応じゃなくて、思いやりを持つこと自体が大切」というポリシーなのか、そこまでは読み切れなかったが、心に残る味わい深いお歌だと思う。


(了)



[7] 極私的な読み

投稿者: 一歳 投稿日:2019年 1月20日(日)04時07分47秒 p591116-ipngn13401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  返信

旅人さん、呼び交わす歌、と読んだのは、わたくしめの極私的な読みです。
この都築直美作品が発表された『五行歌』10月号の投稿時点では、多分、都築さんもまだ髙坂作品には触れていなかったと思いますし、私も未見でした。
ですから、これらの歌を”呼び交わす歌”として読んだのは、わたくしめの歌合的読みなのです。



[6] Re: 呼び交わす歌

投稿者: 旅人 投稿日:2019年 1月19日(土)15時55分29秒 ai126246144096.62.access-internet.ne.jp  返信

そうでしたか!!!。一歳さんの投稿で読めました。高坂さんへの返歌ですね。

まだ手元に置いたまま見ていませんが、読まねばなりません。それにしても歌の響きを忘れていたことに気付きました。



> 髙坂明良『風の挽歌』(2014年12月25日発行、発行者:福島泰樹、発行所:月光の会、月光文庫Ⅱ)の「Ⅱ 黎明の火」の最後の置かれた短歌
>
>  明日*からは鳥となるらん星なるらん風に咽びて風になるらん     *あす
>
> 記事[4]に掲げた都築直美作品、私は上記の髙坂明良作品と呼び交わす歌として読んだ。
> 髙坂作品、三度の「なるらん」リフレインが「鳥」「星」「風」三度のメタモルフォーシスへと繋
がりつつ調べをきっちりと整えるものとなっている。定型の韻律の力の凄さ!



[5] 呼び交わす歌

投稿者: 一歳 投稿日:2019年 1月19日(土)11時33分43秒 p591116-ipngn13401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  返信

髙坂明良『風の挽歌』(2014年12月25日発行、発行者:福島泰樹、発行所:月光の会、月光文庫Ⅱ)の「Ⅱ 黎明の火」の最後の置かれた短歌

 明日*からは鳥となるらん星なるらん風に咽びて風になるらん     *あす

記事[4]に掲げた都築直美作品、私は上記の髙坂明良作品と呼び交わす歌として読んだ。
髙坂作品、三度の「なるらん」リフレインが「鳥」「星」「風」三度のメタモルフォーシスへと繋がりつつ調べをきっちりと整えるものとなっている。定型の韻律の力の凄さ!



[4] 最も印象的だった一首 旅人

投稿者: 一歳 投稿日:2019年 1月19日(土)11時10分23秒 p591116-ipngn13401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  返信

2019年 関東新年合同五行歌会 懇親会で、旅人さんが2018年『五行歌』誌で「最も印象的だった一首」を発表された。
選ばれた一首は、2018年『五行歌』10月号佳作p105掲載の都築直美作品

  降る降る ふるらん      都築直美
  この肩に この胸に
  冷たき 雨
  やまぬ 雨
  無情の 雨

*最も印象的だった一首       旅人

 歌は声に出して読むものだと、都築直美さんの歌に出会って改めて感じました。思いを詠むことに没頭するあまり、大切な余韻や調べを忘れていたようです。
「降る降る ふるらん」何と心地良い調べでしょうか。思わず口ずさんでしまいます。けれど、一文字を空けることで情緒に流れすぎる心を止めてもいます。それは、後ろ三行に続く「雨」にも見事に効果を発揮しています。リフレインされた雨が、読む者の心にいつの間にか入ってきて、作者と一緒に濡れていきます。歌作りに大切な、思いと余韻を調べが揃った素晴らしい作品と思い、この一首を選びました。



[3] 深いですね~

投稿者: 旅人 投稿日:2018年12月19日(水)08時02分18秒 ai126151008235.55.access-internet.ne.jp  返信

大島さん、本誌11月号の作品評を読みました。読み過ごしていた歌が甦ってきます。本当にありがとうございます。読んだか!!と、殴られました。真っ直ぐに言葉が飛び込んでくる快感を味わいました。



[2] 作品評(11月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2018年12月11日(火)20時32分24秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

虐めの事実があっても
無かったと言う
虐めの現場を見ても
助けもしない
弱い人ばかり 弱い人ばかり

蟹貼寒馬
52p.

思春期の自分を思い返してみると、思い当たる節ばかりで、何とも身につまされるお歌。いや、現在でも一緒かもしれない。セクハラ、パワハラといった虐めは、大人の世界にでもある。相も変わらず、私は弱い者虐めを目の前にしても、見て見ぬふりをしている。きっとこれからも私という弱い人間は変わることは無いだろうと思う。ならば、せめてその弱さを自覚していたいもの。


ゆっくりと
深く味わう人が
少なくなってはいないか
みんな忙しすぎて
浅くなってはいないか

鳥山晃雄
63p.

世にスマホではない、いわゆる「ガラケー」が普及し始めた頃から、世の中のスピードはどんどん加速度を増しているように感じる。「流行のスパン」はどんどん短くなり、流行り物はあっという間に消費されて、飽きられるのもあっという間。そういう時代を我々は生きているのだろう。聞き流してはいけない、大切なことを歌っているお歌。


『人間だけが価値がある』
そこから全てが
滲み出て来る
神仏を崇めても
あらゆる醜悪なものが

甲斐原 梢
65p.

「人間には価値がある」はもちろん全肯定するが、「人間だけが価値がある」となると話は別だ。今に始まったことではないが、人間というのは自分たちだけが居心地が良くなるように、環境を作り変えてきた生き物だ。結果として、それが自然界のバランスを崩し、逆に人間の命が危険に晒されているのが現代という時代のように感じる。我々は「人間ファースト」をそろそろ見直すべき時期に来ているのかもしれない。示唆に富んだ名作だと思う。


大勢で取り巻いて
石を投げる
正義と
書いた石を
正義面して

酒井映子
65p.

最近のメディア報道の在り方を考えさせられるお歌だ。何か悪いことをした人なら、「正義」の名の下にいくらでも叩くことが許されているかのような、一連の報道には、どうにも違和感を覚える。権力の座にあった者が、失脚し、窮地に追い込まれる様を見て、溜飲を下げる気持ちは確かに理解できるが、度が過ぎると叩かれている人の家族に与える影響などが心配になってしまう。正義とは暴力を正当化する際に一番便利な言葉だ。独りよがりの正しさのせいで誰かを傷付けていないか、常に注意を払う人間でありたい。


悲しみは
押し殺さなくてもいいの
悲しみは
保っていても
いいと思う

工藤由祐
121p.

「天才」由祐くんの才能が遺憾なく発揮された特集「自分の世界」より。小学六年生にして、この物思いの深さ。悲しみを押し殺さずに、表現するべきというなら、まだ子供らしいと思えるが、「保っていてもいい」というのは、早熟を通り越して老成の域に達していると言っても過言では無いのでは。これから、由祐くんがどんな歌を書いていくのかが、楽しみでならない。


人間に育てられず
うまく人間に
なれなかった人間の
悲しみを
薄める

眞 デレラ
123p.

前三行がなかなかに衝撃的。おそらく虐待をしたり、親としての責務を果たさなかった人達のことを「人間ですらない」と断罪している、と読ませていただいた。その後に続く「悲しみを薄める」という表現に惹かれた。傷だらけの人を前にして、ひとりの人間にできることはあまりにも少ない。軽々しく「癒す」「勇気付ける」「救う」といった言葉を使わないところから、かえって作者の真摯さが伝わる。


神経質なほど
丁寧な性格が作った
義母の遺した梅漬け
雑味なく
キリリッと酸く旨い

村松清美
133p.

「神経質なほど丁寧な性格」の義母との付き合いは決して楽しいだけのものでは無かっただろう。それなりにストレスフルな嫁姑関係だったのであろうと想像できる。だが、梅漬けの味の表現だけで、亡き義母が決して神経質なだけではなく、人間らしい温かみもある人物であったことが伝わってくる点が、このお歌の凄味だと思う。四行目の「雑味なく」、五行目の「キリリッ」も良い。作者の義母に勝るとも劣らず、丁寧な仕事が為されているお歌だ。


やりきれない
まわりは優しい
いい人ばかり
憎む相手は
自分しかいなくて

王生令子
195p.

何か物事が上手くいかないとき、その原因を周りに求めるのが、最も手っ取り早い精神安定の方法であるが、周囲の人間の善良さに気付ける作者の感性がそれを良しとしないのだろう。周りの人の優しさに気付けている時点で、作者も充分「いい人」であると、端から見れば思ってしまうが、それでもなお、自分を責める生真面目さに惹かれた。


スナック菓子を
ほおばりながら
ダイエット本を
読みあさる
至福の時

安川美絵子
199p.

筆者もダイエット中であるため、大いに共感してしまった。人間とは矛盾した存在なのだと思い知らされる。二律背反を体現し、それを「至福」と表現する開き直りがいい。筆者もダイエットしながら、年末年始の飲み会の誘いは断らず、思いっきり正月太りしてやろうと思う。


過去は
全て
マボロシとして
処理
している

堀川士朗
237p.

私たちは過去の積み重ねで形作られるが、言われてみれば、過去をもう一度体験することは不可能だ。ならば、それは「マボロシ」と言い換えても良いものかもしれない。過ぎ去った時間にいつまでも囚われている人は、幻覚に溺れているということになるだろう。気持ちよいくらい潔く、かつ前向きで力強いお歌。


正論だから
良い結果が
出るとは限らんよ
君に惚れたから
加勢するんだ

山本 宏
244p.

正しくあろうとすることは、もちろん貴く大切なことだが、世の中には正しさよりも大事なことがあると、しみじみ思う歳になった。好き・嫌いのセンサーというのは、いささか感情的ではあるが、案外馬鹿に出来ないと思う。惚れた人のためなら、正論なんて知ったことか。杓子定規な男より、こういう男の方がかっこいいじゃないですか。そう思いません?


お祝いする
ことにしている
君が
この世に
いてもいなくても

紫桜光縫
288p.

何を書いても蛇足になりそうなほど、完成度の高いお歌。この境地にたどり着くまでの心の逡巡に想いを馳せると、思わず泣きそうになる。軽々しいことは言えないが、この歌のような心持ちで想われる人はきっと幸せだったのだろうと思う。


どうでもいいから
とりあえず
ほめておく
おおかた
そうだって

おふく
344p.

そうなのだ。迷ったら褒めよ。それであらかた上手くいく。このスタンスの嬉しい誤算としては、そういった、とりあえずのお世辞を真に受けて、プラスのエネルギーに変えてくれる人が世の中には案外多いということだろう。誰も傷付けない習慣であり、ぜひとも継続して欲しい。



[1] 作品評(10月号)

投稿者: 大島 健志 投稿日:2018年10月24日(水)21時08分1秒 110-232-30-121.fnnr.j-cnet.jp  返信

いつ寝てもいい
何食べてもいい
勉強しなくていい
老人最高
しかし愛を忘れてしまった

北風 徹
71p.

 昔懐かしい「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を思い出す。学校も会社もないオバケと老人とが重なる。とびきりの自由の代わりに、愛を忘れてしまったと歌う五行目がいい。自由さの描写と、「愛を忘れた」という表現から、作者はお一人暮らしなのではないかと想像する。自由を満喫する姿勢が小気味よい一方で、どこか空虚な気持ちや寂しさといった情感が滲む。味わい深いお歌だと思う。


会う人会う人の
目顔の中に
己の影を
探さずにいられない


山宮孝順
86p.

 「彼」が作者とどういう関係なのかは説明されていないため、色々と想像が膨らむお歌。会う人々の中に「己の影」を探さずにいられない人とは、どういう人だろう?会う人々に自分と似た部分を探してしまう人ということだろうか?それとも会う人々と接する中で、自分の悪い部分に気付いてしまうということだろうか?真相は作者のみ知る、ですが、何故かほっとけない感じのするお歌。


他人(ひと)と同じは
退屈
でも他人(ひと)と違うと
居場所がない
どう生きる

上田貴子
92p.

 皆が感じていることを上手に言い当ててくれたようなお歌。他人と同じは安心するし、楽ではあるけど、どこかつまらない。同時に、異質なものに不寛容な社会の窮屈さも読み込まれている。それでも、不十分ながら、昔に比べれば、生き方の多様性が認められるようになってきているのだと思いたい。自分を省みて、進んで孤立は望まないが、自分の心の声には正直で居たいと思う。


ポケットに
ハンカチを
服の下に
ぬいぐるみを
蹴られてもいいように

大貫隆志
102p.

 背景の説明が無く、必要最低限の言葉だけで歌われているところに真実味を感じる。いじめられっ子の身支度についてのお歌だと推察する。このお歌の主人公は暴力を振るわれる状況から逃避するのではなく、暴力に耐える道を選んでいる。その強い心に敬意を払う一方で、そうした状況から一刻も早く脱出する方法を模索して欲しいという気持ちで一杯になる。人生はあなたが思っているより複雑で豊穣だ。今居る場所が全てでは無いはず。


火宅の人だった
でも
彼女(はは)が
最後に呼んだのは
夫(ちち)の名

観月
115p.

 特集「似たもの父娘」より。心に迫ってくるようなお歌が並ぶ特集だった。ご家族の問題から目を背けずに、それらを真正面から歌いきったという印象。一貫して、父親に向けられる厳しい目線と、母親に向けられる悔恨の念が感じられる。両親の強い結び付きを目の当たりにした作者ご本人の胸に去来した気持ちを想像すると、胸が締め付けられる。


あゝ そして誰もが
いつか別離の理不尽さを
ほぐされているのだ
「死者」という慰藉
かなしみを癒すかなしみ

柳瀬丈子
122p.

 作者ご本人の身の回りに起きたことを知っている者としては、見過ごすことのできないお歌。四、五行目に感服させられた。誰かの身に起きた別離に触れることで、自分自身に起きる、あるいは起きた別離の心構えをしたり、傷を癒されたりする。確かに私達は、そういう風にできているのかもしれない。


娘と美術館を巡る
作品に見入る
後姿のつつましさ
母の哀しみなど
分からなくていいんだよ

松山佐代子
186p.

 三行目の「つつましさ」が良い。この表現が娘さんの魅力を非常に効果的に伝えていると思う。母の抱える哀しみが、娘さんによってもたらされるものなのか、それとも娘さんには苦労をかけたくないという想いの歌なのか、そこまでは読み切れなかったが、母と娘の穏やかな交流が伝わるお歌。


魚にはなれず
両生類として
あなたに
飼われたことがある
汚れた水辺を好む

紫野 恵
187p.

 魚とは?両生類とは?いったい何の比喩でしょうか?3~5行目も実に意味深。ハテナマークだらけの人を煙に巻いたようなお歌だが、抗いがたい妖しい魅力があり、どうにも心惹かれてしまう。


ただただ
腐るばかりだ
心許なき
ひとりの
根元は

金沢詩乃
194p.

 ご自分のお一人での生活についてのお歌だろうか。一人で暮らしていると、「どうせ困るのは自分だけだから」とついつい色々な面でズボラになりがちである。ただ、五行目で「根元」とあることから、このお歌はそうした生活面での変化だけではなく、もっと人間として根本的な部分が変質してしまう恐怖のようなものを歌っているように感じられる。


骸(むくろ)を
喰(は)んだら
ええ五行歌
出来(でけ)ん
ねんて

陽湖
209p.

 禁忌のような五行歌の本質に光を当てたお歌だと思う。喪失を体験した人が書いたお歌には、確かに名作が多い。作者は、そうした名作について少々食傷気味ということなのか、それとも自分もそうした名作を書いてみたいと思っているのか。関西弁で書かれていることでお歌に不思議な迫力が出ていると思う。「骸」や「喰む」という表現も効いている。


ヤル気が出なくても
いかに
やるべきことができるか
突き詰めるのは
そこだ

作野 陽
288p.

 ヤル気がある時に頑張るのは確かに誰でも出来る。真価はヤル気が出ない時にこそ発揮される。筆者はヤル気が出ない時は割とすぐに何もかもを投げ出しがちだが、作者もそういう弱い自分を認めてそれと向き合う覚悟を歌にされている点に大いに共感した。


レンタル掲示板
お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.